人の目と親の目は同じ。
edit2017.06.25 1,331
周りの目を気にする人と、親の目を気にする人は、共通点があるそうです。
確かに、親の目を気にしないのに、人の目を気にする人は少ないような…。
そんな気がして、そこから少し考えてみました。
その時に、親の目を気にして、人の目を気にする。
自分にもあるその性格を踏まえて、親の目を気にすると、それが『常に』そうなるんじゃないかなぁ?と思いました。
小さい頃から親の目を気にしています。
それがもし、その人にとって無意識でも『普通』になるとしたら…
学生になり、友人の目を気にします。
社会人になり、上司や職場の人の目を気にします。
恋人の目、もしくはその恋人の親の目とかも、気にするかもしれません。
歳を重ね親が亡くなれば、親の目はなくなりますが、それで気になる目がなくなるわけではない。
無意識に、誰かの目を探して、気にするんじゃないかなぁ?と。
少し小難しいことを言っているかもしれないけれど、『当たり前』になってしまったものって、それが例え悪いものであったとしても、『ないと不安』とか『ないと気持ち悪いもの』になったりすることがあります。
それが、頭痛とか風邪みたいな症状だったとしても…。
そういうことであれば、親の目を気にする人が、社会に出てどんどん他の目も気にしていくことは、自分のことを通して考えても、納得出来る部分がある。
それが100パーセントそうなるか?とか、親の目だけを気にするパターンもあるけど、『人の目』を気にする人は多い。そしてそれが悪いことではないのだけど、本人がそれに苦しむことも多いと思います。
変な話、それが自分にとって嫌なことでも、『普通』じゃなくなるって、恐いことだったりします。
人の目を気にしてきたのに、『気にする人の目がなくなる』って、本来幸せであってもいいはずなのに。
これまで当たり前だったことが変わる、なくなっていく。その意識を手放す。
『変化』だと思います。
今までずーっとそうしてきたのに、その『普通』を変える、変えていくって、実はストレスがかかったり恐いことだったりします。
だから、本当は私もそうだけど、人の目を気にしている自分に苦しみつつも、それが『普通』だから、それに慣れて安心しているかもしれない。
これまでとは違うことをやることは、良くも悪くもかなり意識しないと難しいことだったりします。
周りをそんな気にしないで〜なんて、私も今まで言われてきたけど、実はそんな状況に、自分がこれまでやってきたことだから、実は安心しているかも。
親の目を気にして、周りの目を気にすることは、自然な、当然の流れなのかもしれない。
そしてそれを変えるなら、結構労力が必要、かもしれない。
それが、当然だと思って生きてきたのなら、自分の中の常識を疑い、変えていかなければいけません。
それを変えていけるのは、自分しかいない。
人の目を気にするのは多少は必要です。でももし、この先人があまりやらないようなことや、何か大きなこと、新しいことをしたいという気持ちがあるならば、人の目を気にする性格は、邪魔になるかもしれない。
そしてその性格には、親への気持ちや、親の見方を気にする気持ちが強く隠れていて、やりたいことを親が反対しそうならば、尚更…
そんな事を考えていると、周りより親より誰より、『自分との付き合い方』って、難しいなぁと感じてしまいました。
でも、親まで遡り、意識しなければいけないと分かっていれば、徐々にでも変えていくことは可能。
自分が何を望んでいるか?本当はどうしたいのか?そんな事をきっちり見定めていくと同時に、良い意味で人の目を気にして、良い意味で周りを気にせずやっていきたい。
そんな器用な自分を想像しています笑
- ココトモ「交換日記」を書いて繋がろう♪
-
今日の出来事、気持ち、頑張ったことをみんなでシェアする『交換日記』ができました。 自分の日記を書いたり、他の人の日記にコメント&フォローしたりすることで交流を深めることができます♪
交換日記はこちら