人の目と親の目は同じ。

周りの目を気にする人と、親の目を気にする人は、共通点があるそうです。

確かに、親の目を気にしないのに、人の目を気にする人は少ないような…。

そんな気がして、そこから少し考えてみました。

その時に、親の目を気にして、人の目を気にする。

自分にもあるその性格を踏まえて、親の目を気にすると、それが『常に』そうなるんじゃないかなぁ?と思いました。

小さい頃から親の目を気にしています。

それがもし、その人にとって無意識でも『普通』になるとしたら…

学生になり、友人の目を気にします。

社会人になり、上司や職場の人の目を気にします。

恋人の目、もしくはその恋人の親の目とかも、気にするかもしれません。

歳を重ね親が亡くなれば、親の目はなくなりますが、それで気になる目がなくなるわけではない。

無意識に、誰かの目を探して、気にするんじゃないかなぁ?と。

少し小難しいことを言っているかもしれないけれど、『当たり前』になってしまったものって、それが例え悪いものであったとしても、『ないと不安』とか『ないと気持ち悪いもの』になったりすることがあります。

それが、頭痛とか風邪みたいな症状だったとしても…。

そういうことであれば、親の目を気にする人が、社会に出てどんどん他の目も気にしていくことは、自分のことを通して考えても、納得出来る部分がある。

それが100パーセントそうなるか?とか、親の目だけを気にするパターンもあるけど、『人の目』を気にする人は多い。そしてそれが悪いことではないのだけど、本人がそれに苦しむことも多いと思います。

変な話、それが自分にとって嫌なことでも、『普通』じゃなくなるって、恐いことだったりします。

人の目を気にしてきたのに、『気にする人の目がなくなる』って、本来幸せであってもいいはずなのに。

これまで当たり前だったことが変わる、なくなっていく。その意識を手放す。

『変化』だと思います。

今までずーっとそうしてきたのに、その『普通』を変える、変えていくって、実はストレスがかかったり恐いことだったりします。

だから、本当は私もそうだけど、人の目を気にしている自分に苦しみつつも、それが『普通』だから、それに慣れて安心しているかもしれない。

これまでとは違うことをやることは、良くも悪くもかなり意識しないと難しいことだったりします。

周りをそんな気にしないで〜なんて、私も今まで言われてきたけど、実はそんな状況に、自分がこれまでやってきたことだから、実は安心しているかも。

親の目を気にして、周りの目を気にすることは、自然な、当然の流れなのかもしれない。

そしてそれを変えるなら、結構労力が必要、かもしれない。

それが、当然だと思って生きてきたのなら、自分の中の常識を疑い、変えていかなければいけません。

それを変えていけるのは、自分しかいない。

人の目を気にするのは多少は必要です。でももし、この先人があまりやらないようなことや、何か大きなこと、新しいことをしたいという気持ちがあるならば、人の目を気にする性格は、邪魔になるかもしれない。

そしてその性格には、親への気持ちや、親の見方を気にする気持ちが強く隠れていて、やりたいことを親が反対しそうならば、尚更…

そんな事を考えていると、周りより親より誰より、『自分との付き合い方』って、難しいなぁと感じてしまいました。

でも、親まで遡り、意識しなければいけないと分かっていれば、徐々にでも変えていくことは可能。

自分が何を望んでいるか?本当はどうしたいのか?そんな事をきっちり見定めていくと同時に、良い意味で人の目を気にして、良い意味で周りを気にせずやっていきたい。

そんな器用な自分を想像しています笑

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