仕事が続かないのは、一所懸命やってるからこそ。

オハナです。

1番言いたいことをタイトルにしてしまいましたので、ぶっちゃけ、「以上になります」って感じですw

(仕事に関する真面目なブログだと思った方ごめんなさい。なので最後に仕事に関するしょーもないこと書いてるので、下の方読んでください。)

そんなんだったら、ツイッターで充分なのですが、ここ2週間の「不幸」とか、言いたいことを、言いたい放題書きたいと思います。

まず、2週間前に日帰り手術しました。(粉瘤切除、去年から累計3回目)

その1週間後に、親が交通事故に遭い、救急車で運ばれました。仕事早退。なんかもう無気力になり疲れました…。

今週月曜日、22時まで残業。帰りがてら、母親(交通事故に遭ったけど、奇跡的に入院せずに帰宅)から、親戚が危篤状態だと告げられました。今はどうしてるか分かりませんし、その親戚はここ10年程会ってませんが、お年玉貰ったり、亡くなった祖母の家の近くに住んでて良くしてもらったので、なんだか落ち込みました。

色々あって疲れて帰宅したら、郵便ポストに、賃貸会社から、「家古くなって取り壊すので、半年後までに出ていってください」的な、退去通知が入ってました。

ここ2週間の出来事です。本当に、その2週間だけの出来事。もうね、月曜日の退去通知は、手が震えました。(もうなんか、顔は笑ってたけどね、夜の0時過ぎに何してるんだ私…)

仕事も今最悪です。過去最高に分からないことだらけの内容で、「こんなベテランじゃないと分からないような難問、無理ゲーな時間制限みたいなの有りでやるとか、ヤバくない?」って、毎分毎秒毎秒思ってます。

さて、ではここから少し上げていきましょうかね。(自分の為に)

まず、手術に関しては、前例から2万弱飛ぶと思いましたが、粉瘤が出来たばかりで酷くない時に行ったので1万弱で済みました。そもそも、手術を入院なく1万弱で済むんだから、ぶっちゃけありがたいしラッキー。

親の交通事故は、実は10年前にも、ほぼデジャヴってくらい同じように同じようなことがありました。

違うのは、前回は帰宅中で、今回は出勤中ってこと。

幸い、仕事場の近くで事故ったので、会社の人がすぐに対応してくれました。

意識もあって、出血もなく、エアバッグが今回もちゃんと作動してくれたみたい。

前回同様、入院せずに帰宅出来たし。

1番辛いのは、勿論本人です。でも、命は無くなってない。生きてます。親の幸運を、前回も今回も感じました。本当に母親は、天国のおじいちゃんか、おばあちゃんか、天使か神様に護られてるんじゃなかろうかと本当に思いました。(母親はとっても運転に向いてないのですが、週7ってくらい運転してるので…)

また、親の交通事故キッカケに、妹の連絡先を復活させました。この事実な複雑な気分です。LINEの写真の姪の姿を見る度、結婚も子供も未だに音沙汰ない自分にモヤモヤします。

でも、久々に連絡取れたので結果オーライだと今は一応思っています。親の交通事故キッカケになんて、皮肉だなぁとどこか冷めた目で見ている自分もいなくない…

親戚の危篤はさすがにラッキーなんて思える要素はありません。今も心に引っかかってますが、多分良くも悪くも変化あっても連絡は来ない気がしています…。。。

で、家の退去通知に関しては、ぶっちゃけ、引っ越しは3年前位から考えていたことで、強制的に運命を動かされている感がしています。

親友達と縁を切ってから、私はここに住んでいる意味は特になかったからです。

物資やら店やら豊かでカラオケ店広くて踊れるし、服屋も多くて安くて最高だし、今住んでるところは好きです。近場の友達とか、ジムの先生とか諸々…。

でも、仕事場とか住んでるところ変えると、やっぱり自分って凄く変わる気がして…。

5年前と今の自分って、生まれ変わった位、考え方とか価値観変わってるから、住むところ変わるのは何も不思議じゃないと思ってます。

私がグダグダしてるから、来たるべき時に強制的に変わらざるを得ない時が来たんだと思いました。

前回の引っ越しは親が実家出る時だけ、荷造り協力してくれて、引っ越し先ではほぼ独りでした。

今は違います。頼めば来てくれる人もいるんだって思いました。

シェアハウスなんて、遠い人がやってる 話だったけど、周りでやってる人が5年経ってこんなにいるなんて自分でも信じられない。当たり前だって正社員も、周りには今ほとんどいない。

次も同じ地域で1人暮らしを一旦考えていますが、シェアハウスに住んだことないし、実際自分が本当に合わないと思うかどうかも分からないので、あと半年の猶予の中で、自分が納得できて、その選択に一目惚れ出来るような選択をしたいと思っています。

そうそう、こんな一見不幸な流れに、苦しみながらも運命を感じている1番の理由は、

退去期限が、自分の誕生日。2020年、令和2年、2月28日だから笑笑

2の数字の多さヤバくないですか?!

私詳しくないけど、同じ数字の羅列って縁起良いんだよね?笑笑

自分の誕生日までに家出なきゃいけないとか…運命でしょ!?

と、思ってます。

そう、とりあえずポジティブに考えてワクワクしてない自分がいないってのは嘘だけど、楽しく感じている訳でもない。

でも、人の命とか、生とか死とか、仕事とか、環境とか、囲まれる人とか…色々考えることが多いし、何より自分の今の基本的な日常を幸せだと思えてない自分は確実にいます。

こうして毎日どれだけ生きていても。楽しくない、幸せじゃない、不幸だと思う。(対面相談とか、遊びは別w)

でもね、タイトルに戻るようだけど、一所懸命生きてると、嫌になるんだなと思いました。あくまで私の場合。

一所懸命やれば、見えることも多いし知ることも多いから、誰より早く嫌になる。分かるから、良いと思うこともあるけど、嫌なところもその分多く見えるんですよ、ある意味でね。

だから、短期間で物事を嫌だ辞めたいと思う自分も、良いと思いました。

不幸だと思いやすい、ここ2年は仕事を4ヶ月位で必ず辞めたいと思うし、実際幸運にも辞められる(契約切れたりとかで)、そんな私がやっぱり私はどこか嫌で、キライで、許せなくて、自分をバカにしてて、卑下してました。

でも、もう諦めて。諦めました。私、もう諦めて。

続けられないもんは出来ない。ダメなものはダメ。頑張っても治せないところは治らない。それでいいじゃないか、そんなんだから、ココトモに会い、今やってる人の話聞いたり対面相談とかが、誰より楽しいと感じて、自分にしか出来ない体験や感情が、この世でたった1人、私にしか出来ないことが出来ていると思えば。

月一とか、その喜びを味わう頻度は凄く少ないとしても。

お金をフツーに稼げる、フツーの仕事はつまらないとか自分の中で例え思っちゃっても。

もう、しょーがない。

しょーがないし、真面目に一所懸命にやってるからこそ、その物事のいろーんなところが見えて、だからこそ嫌になる。

こっからは、もはや自分の愚痴と一方的な今の気持ちですが…

所謂「仕事」って一般的な仕事って、やっぱりみんな、出来る限りやりたくないんですよ。自分の仕事増やしたくないし、余計なことはしたくないし、「考えてから質問しろよ、なんでもかんでも投げてくんな。」的な雰囲気強いのは大嫌いです。

同じジャンルの仕事してるじゃん。困ってる人の気持ち位、読もうと思えば出来るのに、忙しい言い訳にして、責任転嫁たらい回しが当たり前な空気感はキライ。

「ここからは自分、違うんで」的な事がまかり通りやすい大手企業は、やっぱり私苦手だと、数社経験して自分に確信が持てています…

とは言いつつ、みんながみんな、全部が全部、そうじゃないことなんてのもよく分かってます、頭では。偏見が強くなってる自分自身にも理解している。

でも、「所謂…」って流れや環境がやっぱり私はキライ。余計なことするな、って何?思いやってやったことが「余計」なのは、仕事的に理解出来るけど、本心は理解してません。

所謂…に抵抗する自分が、やっぱり自己嫌悪になってしまう。自己嫌悪するくらいなら、私はやっぱり「一般的な、普通の、仕事」というものを、しないほうがいいんじゃないか?といつも疑問が湧く。

単なる社会不適合者の愚痴っぽいけど、もはや適応しててもしてなくても、それが良くても悪くてもどちらでもいい。

これだけ悶々と抱えながら一所懸命生きてたら、多分私、やりきった感で死ねる気がします。

とか言いつつ、「またラベンダー畑見たかった〜!」とか言いながら、死んでいくのかもしれません。

でもきっと、毎度毎度クソ真面目に一所懸命やろうとするところは、もはや性分なんだろうと思ってます。

この2週間でいきなりやってきた青天の霹靂?を、未来の私はどんな風に捉えるのかな?どんな風に映るんだろうか?

それを思う私にとって、多分向こう何ヶ月かは、苦しく悩みそうだけど多分転機なんだと思う。

どこに住むにしてもどの選択を取るにしても、多分何かが変わる気がしています。

言いたいことは一先ず言い終わったぞー!長くてすみません!

おしまい。

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コメント一覧

全2件
  1. schedule2019.09.25

    ohana

    ぬいさん☆
    重なる時あるよね〜と言われて、確かにと思うこともあれば、それでもなぁ…なんて思う時もあります。

    今回のは、しんどさは大きいけれど、ある種ラッキーチャンスな部分もあるかと…とは言いつつ、引っ越しの件だけですが…。

    追い出されないと、心が決まらないって自分がいるのも確かです。
    決断しなきゃなのは、辛さや苦しみがあるけれど、来年誕生日を迎えた私は、どこでどんな風に笑っているのかなぁと思います。
    不思議ですよね、もしやホームレスで仕事ないとか最悪かもしれないけれど、落ち込んでいる自分って、あんまり想像出来ない。
    何かしら、笑っているかなぁ?と。

    大切な物は、もう知っています。何をしていて楽しいか?何は選択してはいけないのか?などなど…。

    だからって、明確に選ぶ先はよく分からないけれど、5年前よりはずっときっと変わっていて、自分を大事にする選択が出来ると信じています。

  2. schedule2019.09.16

    ぬい

    人生塞翁が馬なんていいますね
    いやなことが変に重なる時期もあれば
    案外意味を感じている自分もいたり
    なかなか自分にとって都合のいいようにならないようで
    ある意味では運命に助けられている自分もいたり
    人生いろいろと言ってしまえばそれまでなのかもですが
    それでも自分が今どこに向かいたいのか何が楽しいのか何に意味を感じるのか
    それが少し見えてるだけでも人生違うのかなと最近思います
    人生苦しいことも多いですがまあぼちぼちやっていければなと思ってます

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