ちょっとした事は笑って許してみない?
visibility1,114 edit2022.02.07

みなさん、こんにちは。
タカミチと申します。
5歳の娘が熱を出したので、今日病院に連れて行って抗原検査をしたら、コロナ陽性でした泣。
これで僕も濃厚接触者で、今のところ目立った症状は出ていませんが、少々違和感あります。娘の幼稚園、まさかのクラスター発生です。
こんな時こそYouTubeでも観て笑いでコロナを吹き飛ばそうと、妻子3人で団結しました笑。
普段モットーにしている「辛い時こそ笑顔」を実行しどきです。
という事で、今日は、例え自分に非がなくても「笑って許してみよう」という事について書いてみたいと思います。
干渉しすぎが喧嘩を生む
些細なことで人と喧嘩をしていませんか?
伝えたことを忘れた人に
「なんで覚えていないの?怒」
「さっき言っただろうが!」
自分の価値観に無いことをした人に
「何でそんな変なことをしているの?」
「キモっ」
生活ルールを忘れたor守らない人に
「ドアを閉めろって!」
「ここに置けって言っただろ!」
挙げればキリがないですが、日常の中で些細な喧嘩が起こりますよね。
でも、大抵の事は干渉、深追いさえしなければ、平然としていられることだと思います。
流しておいても、命まで取られるわけではありませんよね。
でも、自分の中で許すことができないと、こうした些細なことで日常的に怒りを貯めることになり、結果的に寿命を縮めています。
怒りが寿命を縮めるというのは科学的な検証がされていますので、とても勿体ないことですね。
普段から怒らないようにしたら、一体何年寿命が伸びるのでしょうか。
相手が大切なら大概の事は笑って許そう
とは言え、明らかに自分は正しいのに、それを間違っているかのように指摘されたり、相手の勘違いから指摘をされるとイラッとするものです。
特に家族や、夫婦、カップルなど近しい人であればあるほど、こうした摩擦が起きやすくなると思います。
もちろん、間違っていることを穏便に指摘するのは全然良いことです。
ただ、最初は穏便に諭し始めたとしても、気づいたらヒートアップしていた、なんてこともよくありますよね笑。
これは、自分の主義主張を強引に押し通そうとするとこうなりがちです。
生活する上で重要なことであれば、多少語調が強くなることもしょうがないと思いますが、どうでも良い些細なことで自分の主張を通そうとするのは、それはただのエゴだと思います。
「相手と喧嘩をしたい」という好戦的な性格なのであれば、それはまた別の話になってしまいますが、普通は相手と喧嘩をすると疲れますので嫌ですよね。
であれば、平和に、幸せに生きるための目標は「人といさかいを起こさない」という事に尽きます。
相手にそれを求めるのは難しいですから、自分が相手の至らない部分を許す、スルーするなど意識していれば、喧嘩は極力起こらなくなります。
負けた気がする?…なら、明るく負けてあげよう
自分が正しいのに、言い負かされたようになると悔しいかもしれません。
でも、そこを寛大な気持ちを持って
「ここで言い返すとこの人は怒るからね。しゃーない、負けてあげよう」
と、明るく負けを認められるようになると、見違えるように人生が生きやすくなります。
実際にそれができたなら、あなたは相手よりもはるかに心が大きい人であることは間違いありません。
そして、そうした心になっていくと自然と周囲とのいさかいが自然と減っていくものです。
「柔よく剛を制す」
という老子の言葉がありますが、常に心を“柔“の状態にしている人は、“剛“の人を寄せ付けない雰囲気を纏っています。
多くの人は自我に囚われ過ぎているので、自分の自我が考える価値観にないことが許しがたいのです。
宮本武蔵が、晩年に無刀の境地に至ったように、「構えない」「空の状態」ということが最強だったりします。
僕も、主に妻を相手に無刀の境地を目指しています笑。(だって妻に怒られたくないモン)
少しでも、参考になれば嬉しいです。
みなさんの心に常に太陽が在る事を祈りつつ。
お読みいただき、ありがとうございます。
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