「人間万事塞翁が馬」をいつも良い方向に転がす方法
edit2022.02.26 1,279
みなさん、こんにちは。
タカミチと申します。
先日、オミクロンに感染し、回復させた対策について書かせて頂きましたが、さっそく再感染の可能性が浮上しています苦笑。
というのも、娘が幼稚園の縦割り教育でお世話をしている年少さんが、昨日園で熱を出して早退してしまいました。
娘はがっつりその子のお世話をしていますので、、。(ひぃ)
まぁ、何事もない事を祈りますが、オミクロンに感染したことは、実は「人間万事塞翁が馬だなぁ」と感じていました。
僕が感染したのはBA.1だと思いますが、現在より強毒性のBA.2が広がりつつありますよね。
なので、BA.2に対する多少の免疫効果は期待できるのではないかなぁ、と思っています。
そう考えると、感染しないに越したことはありませんが、もし感染してしまっても「オミクロンならまだメリットが大きい」と考えるのも、前向きかなぁ、と思います。
そういう事で、今日は「人間万事塞翁が馬」について書かせて頂きたいと思います。
実は先日、「おしえて!めいタマシッダールタ」という心のお掃除ブログを立ち上げまして、そっちの記事からの引用になるため、引用タグで括ることをご容赦ください。
※引用元には前置きがありますので、「【人間万事塞翁が馬】“辛い”はいつか“幸い”に変わる「辛い+−=幸せ」の方程式」を読んでいただいた方が分かりやすいかも知れません。
あなたは“辛”に一を足して“幸”にしていますか?それとも何もせず“辛”のままですか?
ワンオク(ONE OK ROCK)の「辛い+−=幸せ」を聴いた時、「ウマいなぁ」と思いました。
作詞されたTakaさんが意図されていると思う
・辛い人生経験はそのままでは“辛”で終わる。そこに“一(イチ)”を足して“幸”にするんだ!その“一”を見つけろ!
というストレートな意味に加えて、僕は
・人生の浮き沈み「+ -(プラスマイナス)」は、最後は「=幸せ」になる。
という、「人間万事塞翁が馬」的な意味も含んでいると解釈しました。
「人間万事塞翁が馬」は中国の故事成語で、春秋時代における哲学者・老子の言った名言ですね。
意味は、
「人の幸・不幸は予測できず、幸だと思っていたことが不幸に変わったり、その逆もあるから、一喜一憂することは止めなさい」
という事ですね。
つまり、どんな辛い経験も、実は後で幸せを呼び込むための礎だったり、その人が捉え方を変えれば、幸せにも変えられる、という事です。
「ピンチをチャンスに」も暗に含んでいると思います。
でも、これは本当のことでしょうか?
普通は、「辛い事は辛いだけ。幸せな事だけあればいい」と思いますよね。
これについて考えてみましょう。
失った事で、後で得ることは往々にしてある
辛い経験をしている最中は、「これがいつかは幸せに変わる!」なんてポジティブになるのは難しいものですね。
例えば、以下の
- 親からのDV、他人からのいじめを受けている
- 好きな人にフラれた
- 大学受験や就職試験に落ちまくっている
こんな経験をしている最中に、「大丈夫、人間万事塞翁が馬だから」なんて、冷静に考えられる人はほとんどいないでしょう。
もし居たら、その方はすでに悟っていますね笑。
でも、「人間万事塞翁が馬」が正しい方向に動けば
- の人は、それ故に「人の痛みが分かり、人徳を集める立派な人になった」
- の人は、フラれたことで、「後に生涯のベストパートナーに出会えた」
- の人は、学歴に囚われなくなったから「好きな事で起業して大成功した」
というパターンも、世間には往々にしてあるわけです。
でも、これらの人たちに共通していることは、
「“辛”に“一(イチ)”を足して“幸”にすることに努力した」
という事が言えると思います。
つまり、「人間万事塞翁が馬」が言う、「腐ってはダメ!」という事を忠実に守った人たちだと言えますね。
辛い事があれば、落ち込んで、泣いて、苦しんで、のたうち回れば良いと思います。
でも、そこで辛い感情を全力で発散して昇華(消化)させたなら、後は「立ち上がって、前を向きさえすれば良い」という事です。
済んだことを、いつまでもウジウジと考えても、状況が修復されるどころか、さらに悪い方向に転落していくでしょう。
つまり、「人間万事塞翁が馬」を良い方向に向かわせるためには、前向きに生きる事を常に「覚悟する」という事だと、僕は感じています。
前向きに生きる事を常に「覚悟する」、そうすれば自然と「覚醒・悟り」ます
「覚悟」という2文字は、「覚醒して悟る」という意味を持ちます。
「覚醒」とは、「悟る」とはなんぞや?
という事ですが、平たく言えば「どんな時も、心を平穏にして楽しく生きる事ができる状態」です。
「どんな時も」というのは、極論すると「孤独に極貧生活をしていても」、です。
お釈迦様こと、ゴータマ・シッダールタの教えを、アーナンダら弟子が仏典として体系化した「スッタニパータ」では
よく「中道を生きる」という事を教えています。
「中庸(ちゅうよう)」でもいいですが、「良い時も、悪い時も、心が安定していて、自分を見失わない」状態の事を指します。
「覚悟をして生きる」と「中道を生きる」は、同じ意味として捉えて良いと思います。
という事は、例え悪いことが起きても、打ちのめされても、泣き叫んでも
最後は前を向く、という「覚悟」をしておく
という事が、人生を少しでも良くしていく上で、少しずつでも意識していく事が、「人間万事塞翁が馬」を常に良い方向に転がすことが出来るのかなぁ、と考えています。
みなさんに、少しでもご参考になるところがあれば嬉しいです。
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