昔、教室に行くのが憂鬱で仕方なかったこと

バレエ教室での記憶

実は昔、私は地方の片隅で、バレエを習っていました。保育園の窓からお姉さんたちを見て(いまでは私がそのお姉さんの年齢なのですが)、キラキラしたレオタードにあこがれたのがきっかけだったと思います。保育園~高校卒業まで続けていたんですが、正直な話、習っている子の中で一番下手でした。断言できます。

・住んでいるところから遠く、いつも遅刻していかなければならなかったから。

・教室に馴染めず、いつもぽつんと一人で練習していたから。

・あんまり目が良くなくて、なんとなくで踊っていたから。

・身体を使って覚えるのが苦手で、いつも覚えが遅いと怒られていたから。

・衣装の管理がへたで、月謝の支払いの遅れを毎度謝らなければならなかったから。

色々「下手」の理由はありますが、それよりも私は教室そのものが嫌でした。小学校六年生の頃など、わざわざ手描きのプレゼン資料を作って、いかに教室をやめたいかということを親に説得しにいったほどです。

それくらい教室に行くのが憂鬱で仕方がなかったのは、同じ教室の子と話すのが、先生と話すのが、怖くてたまらなくなったからでした。

私はもともと内気で、社交的な性格ではありません。同じ教室の子も落ち着いた雰囲気の子が多かったと思うのですが、それでも私よりお話上手です。それになぜか、その教室で話すときだけ、私は魔法にかけられたようにぎこちなくなってしまっていました。そのうち四人しかいなかった同学年の子は、どんどんその子たちだけで固まっていきました。

踊りが分からない時、おしえて、の一言がいえないようになりました。

話しかけようとすると、言葉が詰まるようになりました。

おはようございます、と言おうとするたび、喉に何かがつっかえるような感覚になりました。

そうして、卒業の日が来て、私は卒業発表会で泣くことができませんでした。三人とも皆泣いていたのに、私はやっと終わるんだ、と安心していました。三年間しか所属していなかった部活の大会ではあんなに泣いたのに、少しも泣くことができませんでした。

あ、仲間じゃないんだ、と気づいたのは、その時だったと思います。

三歳から十八歳まで続けてきたこの習い事は、仲間と一緒に作り上げるものではありませんでした。私はこの習い事をやめたくて仕方がないという邪な気持ちで臨んでいたからです。

綺麗な衣装を着て、一生懸命踊っていても、私は少しも楽しくなかったのです。床の柔軟の時間が一番楽だったほどでした。私はおかしいんだ、とレッスンから帰って布団にもぐるたびに泣いていました。

今でも、その記憶がふと思い出されます。夢にも見ます。うまくコミュニケーションが取れない時、親に「なんでそれくらいで泣くの」と言われたりもしました。心の痛みを押し隠して、「話せなくてもいい」と言ったり、「話せなくてもいいのは負け惜しみだったね」と言ったりしたこともあります。車の中での出来事で、夜で、少し寒い季節で、後部座席で無理をして笑っていました。そのあとは言葉をつづけることが出来ず、寝たふりをして涙をやり過ごしました。それくらい、当時の私にとってはつらいことでしたし、今でも涙することがあります。

今では、「続けてよかったでしょ?」と言われることが多くなりました。続けてよかった、とはっきり言うことは、私にはできません。体型だってもうだいぶ太ってしまいましたし、姿勢はだんだんと猫背気味になっていますし、体幹は衰えました。私がバレエで培ったものはあまりにも少ないのです。

逃げてしまってもよかったんでしょう。私はきっと、「バレエ教室」というものに向いていない人間でした。努力しようと頑張ったことはありますが、携帯も持っていない当時、情報を集めるのも至難の業でした。

 

いまでも時々思い出す、昔のことです。

実習の時に顔を見せにこいと教室の先生から言われているので、ふと思い立って記してみました。三年会っていませんが、私は、私の成長した姿を見せられるのでしょうか。

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