大切な人との死別はどれほど辛い?

昨日、妻が倒れて救急搬送、急性虫垂炎ということで今緊急手術中です。

執刀医の先生から説明を受けましたが、最悪腹膜炎を起こすと命にも関わるという。

いろいろ誓約書にサインしました。

えっ、急過ぎん。。。?

大切な人との離別とは、まさに突然やってくるもののようです。

死生観を見つめ続けて来ましたが、自分の最愛の人が居なくなる可能性を目の前に突きつけられると、死というものがかつて無いほどにリアルに感じられます。

手術が終わるまであと3時間はかかるようです。

万が一、手術失敗で妻が亡くなったら、僕はそれを孤独と感じるだろうか。

そんなことを考えています。

娘の育児と家事、仕事の両立の大変さは、昨日妻が倒れてからさっそく体験しました。

妻が家庭を回すために、日々いろいろなことに気を配り、頑張っていたのかを追体験すると、頭の下がる思いがします。

待合室でいろいろな考えが巡る中で、人は苦の中からしか死生観を学べない、と痛感します。

正しい死生観からすれば、妻が亡くなったことを孤独と捉え、いつまでも悲観に暮れて過ごすことはよくありません。

胸が押し潰されるほど辛く悲しいことには違いありませんが、泣くだけ泣いたらあとは顔を上げて前を向いて生きることが故人を安心させます。

いつまでも孤独に苛まれるのは、弱さからくる自分勝手なエゴでしかありません。

故人は、大切な人が自分のために苦しみ続けることを望みません。

故人のためを想うなら、悲しみを強さに変えるのが、在るべき姿だと感じます。

万が一、妻の笑顔をもう一度見ることが出来なくなった時、はたして僕はこれが実行できるのだろうか?という自問が生まれています。

大切な人の死に勝る悩みはないと思います。

人生最大の苦であり、最大の試練です。

何より辛いのは、9歳の娘が幼くして母親を失うことです。

僕は小学生時代のいじめから始まり、不登校、多重債務地獄と、つい先日まで苦悩の人生を歩んできました。

しかし、妻を失うことほどの苦痛はありません。

再び心が病むことはない自信はありますが、その苦痛がどれほどのものなのかは想像が出来ません。

今はただ、祈りながら待ちたいと思います。

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コメント一覧

全8件
  1. schedule2025.09.28

    タカミチ

    はるかさん、こんにちは!

    大切な方を亡くされて、お気持ちの整理がつかない場合、とてもお辛いと思います。

    気持ちの整理が中々つかない方が自然だと思います。

    もしよければ、ご相談いただければ喜んでお話を聴かせていただきたいと思います。

    こちらのコメント欄でも大丈夫ですが、もしオープンなのが躊躇われる場合は、チャット相談もしくはお部屋までよろしくお願いいたします。

  2. schedule2025.09.28

    タカミチ

    うさこさん、こんにちは!

    中々自分の時間を取ることができず、お返事が遅れてしまいました

    僕の話に共感していただけたこと嬉しく思います。

    自問自答のような記事が、まさかうさこさんが吹っ切れるきっかけにしていただけたことに驚くとともに、感謝いたします。

    また、お心遣いいただきありがとうございます

    昨日、妻が元気に退院できたことで、僕も家事育児に奔走する必要がなくなりました笑

    また何かありましたら、チャット指名もしくはお部屋の方にでもお気軽にご相談いただければ嬉しいです!

    ご縁に感謝いたします。

  3. schedule2025.09.28

    はるか

    辛くて辛くてどうすれば良いのかわかりません

  4. schedule2025.09.25

    うさこ

    タカミチさん、温かいメッセージをくださりありがとうございます。
    心に沁みました。
    私は、ココトモがあるおかげで、自分の悲しい気持ちを吐きだせています。だからこの一年でだいぶ気持ちがラクになれてきた気がします。

    タカミチさんのおっしゃった霊界の存在を、私も共感しますね。姿かたちはみえなくても、なんだか遠く離れた所からきっと見守ってくれているという想いがあるんです。
    生前母は、おっちょこちょいの私に気をもんでいたから、あの世でもやっぱり心配して見守っているかも(笑)。

    生きている時の苦しみから、もう解放されているだろうと思えば、必ずしも悲しいばかりではないです。

    タカミチさんの言葉で、なんかふっきれたかんじがしてきました。感謝です。
    猫ちゃんのアイコンにも癒やされました。
    奥様の代わりに家事されたり、お子様のこと、入退院の支度等で大変ななか、コメントに言葉をくださいました。
    相談のようになってしまってすみませんでした。
    何かと大変かと思いますが、奥様、タカミチさんお体大事になさってくださいね。
    ココトモの活動、コラム等応援しております。失礼いたします。

  5. schedule2025.09.24

    タカミチ

    うさこさん、お心遣いいただきありがとうございました。

    後悔なんてとんでもないです。ご両親を亡くされているようで、その悲しみは推し量ることが出来ません。

    男性は理性、女性は感情が一般的に強いと言われますので、感じ方、受け止め方も違うと思います。

    ちょっと突飛なことを書きますが、意識は不滅であり、死後の世界がないと物理法則的に辻褄が合わないと科学的に証明される時代です。

    世界中の膨大な臨死体験者の話を研究し、自身の臨死体験と併せて霊界の共通点を証言したアメリカの脳科学者の話もあります。

    僕はその他にも、自己の体験を含めて、あらゆる霊界にまつわる情報を知っているため、当たり前のように死後の世界を認知しているため、コラムのような死生観に繋がる背景があります。

    なので、一般的な感情としては、うさこさんの感じ方の方がリアルですし、共感されやすいと思います。

    なかなかコラムで霊界の話を書くわけには行きませんが、死とは終わりではなく、霊界での新たな人生の始まりであり、僕たちの本質は霊界、魂にあります。

    霊界の真相を説くチベット密教の死者の書にも詳細に書かれてありますが、故人はいつでも僕たちを見守っているのです。

    なので、うさこさんのご両親も間違いなく、安心した世界からいつもうさこさんを見守り、一緒に居ることと思います。

    僕たちも、正しく生きることさえ出来れば、死んだあとで普通に故人と再会が出来ます。

    とはいえ、現実世界に生きるうちは悲しいことに違いありませんが、こうした死生観を持つことで、近親者の死の受け入れ方も大きく変わると思うのです。

    存在する次元が違うので観えませんが、故人は危なっかしい僕たちにハラハラしながら、いつも一緒に生きています。

    ちょっと突飛なことを書いてしまったかも知れませんが、うさこさんのご両親に対する想いの参考になれば嬉しいです。

  6. schedule2025.09.24

    うさこ

    タカミチさん、お返事ありがとうございます。それから、奥様の手術が無事に終わって安心しましたね。

    そういう大変な時に、勝手な自分の思いだけをただつらつらとコメントしてしまい、私こそ無神経だったと後悔しています。申し訳ないです。
    タカミチさんも、祖父母様、猫ちゃんを亡くされていたのですね。そして、悲しみも経験されてこられての意見でした。
    私は、知ったような事を言って恥ずかしいです。

    愛する人を失う事は悲しい事ではあるけれど、避けて通れない事。父と母を亡くした時、もう助からないと宣告されてから覚悟はしました。だから、酷なようだけどなんとか葬儀や手続きを粛々とこなせたような気がします。

    だけど、なんでもマイナスに考えてしまうと、負のループに囚われてしまいますね。
    生きている今、死を気に病む事なく、ただ毎日を前向きに自分なりに生きて行く…。そういう事が大切だと気づかされました。

  7. schedule2025.09.23

    タカミチ

    うさこさん、コメントありがとうございます。

    バタバタして報告コメントが遅れましたが、妻の手術は無事終わって早ければ今週末には退院できると思います。

    祖父母や義母との別れはこれまで体験しもちろん悲しかったですが、妻となるとやはり胸に来るものがあり、気持ちを整理しようとコラムとして書かせていただきました。

    うさこさんを始め、お読みいただき、応援いただいた方々、ありがとうございました。

    うさこさんは昨年お母さまを亡くされてしまったようで、心よりお悔やみ申し上げます。

    このコロナ禍で面会もままならなかったかと思いますので、とても辛い体験をされたことと思います。

    お母さまのお世話の大変さもさることながら、ご自身の仕事やその他家庭のことなど、目まぐるしい日々を過ごしていると、満足な対応ができないこと自己嫌悪されたかも知れません。

    僕の母も糖尿病から間質性肺炎を患い、コロナに罹ると最後と言われていましたが、実際かかってもオミクロンだったためか軽症で済んだのは幸いでした。

    まぁそれでも、いつその時が来るかは分かりませんので、覚悟はしているつもりで日々を過ごしています。

    今回書かせていただいた内容は、死生観に関する僕のポリシー的なことですので、それが正解と言うつもりはありません。

    男女で考え方は大きく異なると思いますし、それぞれのペースで呑み込んでいくというお考えでまったく問題ございません。

    もしご不快にさせてしまったようであれば、申し訳ございませんでした。

    おっしゃる通り、人は体験したことしか分かりませんので、最愛の人の死を体験した時に初めて分かることがあると思います。

    ただ、その時を想像し、自問自答を繰り返すことで、心の準備にもつながりますので書かせていただいたという側面もあります。

    近親者を亡くす悲しみは、死ぬまで完全には癒えないとも思っています。

    思い出せば、それは悲しいことに違いありません。

    僕は2年前に亡くなった先住猫ですら、いまだに悲しくなりますからね。。。

    ただ、前を向く努力はしたい、それだけのことなのです。。。

  8. schedule2025.09.23

    うさこ

    タカミチさん、お話ありがとうございます。
    大切な人との死別。これは、実際体験してみなければ実感としてピンとこないものなんじゃないかなぁって思います。

    私は、昨年母親を亡くしました。私が50代で、母親は80代なのであり得ない事ではないのですが。
    でも、ここ数年ほど私は膠原病が悪化したり、転倒して骨折したり入退院を繰り返し、そのたびに母は対応や世話に走りまわってくれていました。
    いつしかそれを当然のごとく受け入れて過ごしてしまっていて…。

    ところが、母は心臓に持病があり月に1回通院していたのですが、主治医が母を不安にさせるような薬の処方した為に、母は鬱にかかって別人のようになりました。
    こうなると私も病気だといっていられず、母の治療にのり出してあちこち奔走したのです。それでもむなしく悪化し、疲れはてた私はコロナに感染。あげく、母にも感染しました。

    私は入院後コロナからなんとか回復したけれど、母は心臓が良くない所にコロナ感染だったので、肺を悪くして苦しんで亡くなってしまいます。

    悲しかったです。ものすごく。自分のせいだと思った事と、もう自分のそばにいてくれないという事が。
    周りの人達は、いつまでも悲しんでいたら故人が心配するよ、などと叱咤激励してくれます。
    でも私は、それは何か違う気がするんです。
    肉親、最愛の人を亡くしたらそう簡単に心は割り切れなくても仕方ない。そう思います。

    ただ少しずつ、時を経ていくうちに客観的になっていければよいのではないでしょうか。

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