大切な人との死別はどれほど辛い?
visibility37 edit2025.09.22
昨日、妻が倒れて救急搬送、急性虫垂炎ということで今緊急手術中です。
執刀医の先生から説明を受けましたが、最悪腹膜炎を起こすと命にも関わるという。
いろいろ誓約書にサインしました。
えっ、急過ぎん。。。?
大切な人との離別とは、まさに突然やってくるもののようです。
死生観を見つめ続けて来ましたが、自分の最愛の人が居なくなる可能性を目の前に突きつけられると、死というものがかつて無いほどにリアルに感じられます。
手術が終わるまであと3時間はかかるようです。
万が一、手術失敗で妻が亡くなったら、僕はそれを孤独と感じるだろうか。
そんなことを考えています。
娘の育児と家事、仕事の両立の大変さは、昨日妻が倒れてからさっそく体験しました。
妻が家庭を回すために、日々いろいろなことに気を配り、頑張っていたのかを追体験すると、頭の下がる思いがします。
待合室でいろいろな考えが巡る中で、人は苦の中からしか死生観を学べない、と痛感します。
正しい死生観からすれば、妻が亡くなったことを孤独と捉え、いつまでも悲観に暮れて過ごすことはよくありません。
胸が押し潰されるほど辛く悲しいことには違いありませんが、泣くだけ泣いたらあとは顔を上げて前を向いて生きることが故人を安心させます。
いつまでも孤独に苛まれるのは、弱さからくる自分勝手なエゴでしかありません。
故人は、大切な人が自分のために苦しみ続けることを望みません。
故人のためを想うなら、悲しみを強さに変えるのが、在るべき姿だと感じます。
万が一、妻の笑顔をもう一度見ることが出来なくなった時、はたして僕はこれが実行できるのだろうか?という自問が生まれています。
大切な人の死に勝る悩みはないと思います。
人生最大の苦であり、最大の試練です。
何より辛いのは、9歳の娘が幼くして母親を失うことです。
僕は小学生時代のいじめから始まり、不登校、多重債務地獄と、つい先日まで苦悩の人生を歩んできました。
しかし、妻を失うことほどの苦痛はありません。
再び心が病むことはない自信はありますが、その苦痛がどれほどのものなのかは想像が出来ません。
今はただ、祈りながら待ちたいと思います。
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