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ずっと誰かに聞いてほしかったんです。
980 edit2020.04.17
私は小学校にあがる直前まで、母と二人暮らしでした。母はいわゆるシングルマザーで、私が生まれた時からその生活だったと聞いていました。でも母方の祖父母が毎日のように遊びに来てくれて、保育園も毎日楽しくて、寂しいと思ったことはなかったです。
ある時、保育園の送り迎えが祖母の車にかわりました。毎回祖父も一緒でした。それまで母の代わりに祖父母が送り迎えをしてくれることは度々あったので、私は少しも不思議に思わず過ごしていました。
それである日、保育園に迎えに来てもらった車の中で尋ねたんです。「ママは何で来ないの?」と。
「ママはね、死んじゃったの。」とのことでした。当時、おそらくその年代の子供の中では人一倍「死」という言葉には敏感だったからでしょうか、車中で泣きました。悲しいとそのとききちんと感じていたのかさえ覚えていません。
というのも、私の母は、リストカットをしていました。自殺未遂もしばしばしていました。その行為に私も付き合ったことがあります。母が来いと言ったのではありません。
「死んでくるね」と母が言うものですから、じゃあ私も行くとついていっただけのことです。
母もわかったといいましたが、娘には生きていてほしかったのだと思います。何があったかは言えませんが、母が私が死なないようにしたからでしょう、その時私は母ともども助かりました。
一度母のリストカットを見たとき、母に「おじいちゃんたちには言わないで」と言われたことがあります。ですが私は大馬鹿者でした。翌日祖父母の家を訪れた際、祖父に母の腕の話をしてしまい、母にそのあと怒られました。私は手首を切るということに、当時深刻さを理解できなかったのです。母は平然と包丁を手首にあてがうし、痛そうな素振りも見せない。加えてそれを繰り返しているというのだから、「きっと手首を切るという行為は、あまり痛くないんだろう」と漠然と、馬鹿みたいに思っていました。馬鹿ですよね。私が少しでもその痛みを理解して、お母さんやめてと伝えられていたらといつも思います。なんて頭が悪いんだろうと自虐ネタとして周りに話せるような内容ではないのでこちらで言わせていただきました。
母の亡くなった理由は、祖父母からは「心臓の病気」とずっと言われていました。私はそう信じて疑いませんでした。ですが中学生のとき、保育園からの幼馴染が同じクラスになったんですね。彼は小さなころに仲が良かったので、特別私の境遇を知っていた存在でした。
そして隣の席になったとき言われたんです。
「お前のお母さんが死んだ理由、俺らの保育園にいたやつらみんな知ってるよ」
心臓の病気でしょと言いました。彼は何か含んだような笑顔で、ですが何も言わず、「ふ~ん」と言いました。
中学生でさえ私は馬鹿でした。気になって仕方がなくて、半ば野次馬根性で何か違っているのなら教えてくれと懇願しました。
彼は、自殺を仄めかすようなことを言いました。なぜそれを保育園の同級生が知っていることを彼は知っていたのかわかりません。彼が言いふらしたのでしょうか。
私はそのことを知りませんでした。正しいのかどうかさえも分からず、それから私の胸にはもやもやと申しましょうか、いやそれよりもっとこんがらがった気持ちが渦巻いているんです。
気になってしかたなくて、でも祖父母にも単刀直入に尋ねたくなくて、ずっと頭の中で母との記憶を頼りに頭の中で彼の言葉の真意をこねくり回す日々が続きました。
それから一大決心をしました。
母の死後、私は祖父母の家に預けられ、毎晩三人で川の字になって寝ていたのですが、ある晩、まだ祖母が布団に入っていない時間、私は寝転ぶ祖父に、疑問を口にすることにしました。
答えは返ってきませんでした。正確には、有耶無耶に流されたという感じです。
なぜ母が自傷行為をしていたのか、なぜ死んだのか、すべて子供だと思ってはっきりと教えてくれませんでした。
私もそうなってしまってはもう言及できませんでした。なぜなら自殺ということは祖父母は口にしたことがなかったので、自殺ではなかった場合、私が母の死因を自殺であると考えていることが、ただの探偵ごっこをしている考えの浅はかなガキだということを示唆するからです。祖父母を、母を信じられなかった愚か者になってしまうからです。そのごみみたいなプライドのために、私はそれ以降も心の片隅に居座る苦しみに耐えることになりました。
ご教示いただきたいことは、二つあります。
いつ死んでもおかしくないような心臓病を患った人が、小学校に上がる前の子供と二人だけで生活することって珍しくないんですか?入院したり、どこかで療養したりということにはならないのでしょうか?もしこれが「普通は入院等したりする」ということでしたら、母はやはり自殺になるのでしょうか。祖父母が心臓の病気と私に伝えたのは、「心の病気」の隠喩でしょうか。
次に、死にたいというのは何なのでしょうか。
私はどうやら人より心が強くないようで、定期的にどうしようもなく消えてしまいたい、私のことを知っている人が誰もいない場所に行ってしまいたい、理由はわからないけど死んでしまいたいなあという面倒くさい時期が訪れます。どうせみんな私のことなんて嫌いなんだとヘラり、自分のどんなところがいかに嫌いであるか、暇ができると考えています。母のようにリストカットをしたら楽になれるのかと、カッターを手首に当てたこともありますが、痛いのは嫌いだし、死んだらもう二度と楽しいときも来ないと思うともう何をしたらいいのかわかりません。きっと私の「死にたい」は、人から嫌われるマイナスな自分に死んでほしいという「死にたい」なのだろうということで落ち着きました。
では、母の「死にたい」と私の「死にたい」はどうちがうのでしょうか。私は母の気持ちを理解したいのです。
五才の私は母の苦しみを理解してあげられませんでした。その苦しみは、もしかしたら私の存在にもあったのではないかと考えてしまうことがあります。一人で私を育てるのはつらかったと思います。私は母からたくさんもらったのに、何も返せずに終わってしまった。ただ母が幸せに生きる邪魔をしていたかもしれないんです。
「死にたい」の理由に挙げられるものだけでも構いません。教えていただけるとありがたいです。
ここまでお読みいただきありがとうございました。
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