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初回返答から提案

「子供」の怒りを聞いて下さい
visibility291 edit2025.04.12
。しかし、言葉では言いながら、自分自身の自己中心的な態度や、他人への配慮のなさには全く気づけない。年齢や立場だけで「大人」として偉そうに振る舞い、本質的な人間性の未熟さには向き合おうとしない。
社会的規範が無条件に良いことかのように、押し付けて、それによって歪められたり苦しめられたりする人がいることや、その規範に矛盾していることがあることに気づこうともしない。それがどうして正しいのか説明できる大人がどれだけいるんだろう。
大人は子供より経験を積んできたからわかる。だから大人の言うことは聞いた方が良いと言う。でも、それを信じて本気で続けて、歪んでいった子達は見て見ぬふりをする。自分の経験を全て正しいかのように美化して、偉そうに説教する。でもなぜそれが良いことなのか、なぜそれをしなければいけないのか、そいう本質的なところは説明できない。
その無責任さと身勝手さが、子どもたちの心に深い傷を残し、愛着障害や自己否定といった苦しみを生む原因になっていると思う。愛されるために必死で努力しいる人達や孤独に1人誰にも言えない怒りを抑圧している子供達のことを、大人たちは「かわいそう」「気にしすぎ」「子供だね」「暗い性格だね」「発達障害」と一括りの言葉で軽視して、自分は関係ないかのように振る舞う。楽しそうにしている人達や普通の幸せを普通に感じられる人達ばかり評価して、その傍で、もがきながら苦しんで真剣に孤独で自分と向き合っている人間のことを、見て見ぬふりをするのが大人だ。その真面目さゆえに歪んでしまった人達が、大人達の無責任で傲慢な態度に歪められているとも知らずに見て見ぬふりをする。
本当に苦しみながらも必死に生きている人たちこそ、他者の痛みに寄り添い、社会を静かに支えている大切な存在であるのに。その価値に気づかず、ただ「問題のある人」として扱う社会のあり方には、大きな矛盾と不公正がある。
そして、この怒りをぶつけられた大人や親は、自分達だって「完璧じゃない」「大人も間違える」「大人も子供だよ」と都合の良い時だけその言葉で自分を正当化しようとする。
間違ってる。それを自覚しているなら子供の間違いを認めて、自分の間違いも認めることだってできるはずだ。大人なんでしょ?
都合の良いように「大人」の意味を使い分けてるだけ。
「完璧じゃない」ことを自覚しているんだったら、「間違えることもある」ことを自覚しているんだったら、なんで自分の言っていることや、規範が当たり前に正しいことかのように発言できるんだろう。
私は、今年で20歳になります。私も「大人」として過ごさなければいけません。でも、「大人」ってなんなんでしょうか?「子供」と何が違うんでしょうか?
私はこの怒りをこれから大人になっていっても忘れたくありません。
でも少し不安があります。この怒りは実際、筋が通っているのでしょうか?我儘ではないのでしょうか?
皆さんの感想や意見を教えて欲しいです。
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