ただ話を聞いてほしい
30代 女性

仕事の引継ぎ方と他人への寄り添い方について

visibility37 chat2 personささ edit2025.09.12

4年前、10年勤めてた部署が突如無くなり無資格未経験で経理に異動になりました。子会社含め7社分を私含め3名の社員と、半年前に配属された派遣1名で業務を回していました。経理経験豊富の派遣さん曰く、上場企業で四半期に1度決算もあるので本来は10名程でやる業務量との事でした。
業務の引き継ぎペースが異様に速く、1ヶ月でノート1冊使い切るボリューム。
マニュアルも一切無いので全て口頭説明をノートに取る。当然教える側も伝え漏れが頻発し、それをノートに付け加えるというのを繰り返すとノートもぐちゃぐちゃになり、頭の整理が付かなくなる。実務経験が重要だからマニュアルは不要と言われたが、頭が混乱した状態で作業していてはミスに繋がるし効率も悪くなると感じたため、実務が終わった後残業して自分用のマニュアルを作成。
配属前に経理部課長との面談で、私は何度も資格が無くても出来る業務なのか?と聞いたが、問題無いと言われたから経理に来たのに、簿記の勉強はしているのかと問われる。配属初日から残業し、帰宅後は簿記3級の勉強をする日々。でもどう考えても3級レベルでは太刀打ちできない難易度の実務。それを課長に尋ねたら「そりゃそうでしょ笑」と言われた。
簿記であればネットで調べれば答えが載っているから何とかなると最初は考えていたが、実際は社内ルールが膨大にあり、資格はあくまで基本ルールであるという事実を徐々に認識する。そして私が担当している業務は課長しか分からない作業が多々あったが、フレックス制や会計ソフトの変更会議等で課長がいない時間帯が多く、質問事項はメモにまとめて聞く方針をとる。そうすると当然ながら業務が滞り始める。
更に、質問をしても毎回芯を食った回答が得られない。自分の質問の仕方が悪いのかと色々投げ方を変えてみるも、どうしても理解できる返しが返ってこない。疑問が解消されるどころか増えるばかり。
私は前部署で長時間労働をしていてもメンタルを病むことはありませんでしたが、経理でまともに業務をこなせないプレッシャーにより病んでしまいました。
何故こんなずさんな引き継ぎ方をするのかとずっと疑問に思っていましたが、課長が退職すると告げられ、腑に落ちました。
私は経理に配属してから3ヶ月で適応障害と診断され、休職した後退職しました。休職する際、医者からはもう経理には戻らない方が良いと言われ、人事からは他にもいくつか異動先はあると言われていました。私はその言葉に一先ず安心して休養していましたが、復職の話になった際、異動先は営業しか無いと言われました。元々事務がやりたくて事務職で就活し、実際10年事務として勤務していたので営業は私には向いてないというのもあり退職を選びました。
私はこんな形で退職するとは思ってもいなくて、これまでの生い立ちがしんどいものだったことも相まって無気力になってしまい、未だ再就職出来ていません。
退職してすぐ伯母に事情を話したら、いとこに勝手に話が伝わってました。親戚の集まりの時にいとこに仕事どうするの?と言われました。私からいとこに話をした訳では無いのに、何故そんな事を上から目線で言われなければならないのか?と腹が立ち、それから親戚とは会っていません。
経理にいた頃から相談していた友人は、ある日突如私の家に訪れ、生活保護を受けないかと打診してきました。私のことを心配しての行動だと理解していますが、屈辱的に感じました。その時私は役所に行く気力が無い。手続きの方法を具体的に調べたのか?役所に着いてきてくれるのか?と尋ねました。友人は何故そこまでしなければならないのかと言ってきました。中途半端に口出しするくらいなら何もしないで欲しいと伝えました。最悪なやりとりでした。手紙を渡され、友人が帰った後中を開けると10万円入っていました。それも屈辱でした。10万円は後日返しました。また後日、商品券5000円が送られてきました。どうにか生きていて欲しいという思いは伝わっています。でもお金のやりとりは友人の範疇を超えているので、こういった事をされればされる程余計しんどくなります。惨めになります。私は友人に何をさせているのだろうと自己嫌悪に陥ります。それでも尚、友人が望む生き方が未だ出来ていません。何故友人が望むように生きなければならないのかとすら思っています。少しずつLINEの返事をするのも億劫になってきて、今は未読スルーしています。
これらの事から、人の心に寄り添うことの難しさをよく考えるようになりました。たとえここで相談しても、それは1度だけのやりとりだから寄り添える事なのだと感じています。4年間他人を慰め続けられるかと問われたら難しいのではないでしょうか。そもそも私はそれを望んでいるのでしょうか。私は今何に苦しんでいるのか、何を望んでいるのかも分からなくなってきました。
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コメント一覧

  • refresh44分前
    亜美 30代 女性
    私も、今年から経理の仕事に配属されましたが、地味な仕事だから、簡単に思われるけど、ルールがいちいち細かくて、嫌になります。
    皆こんな地味な仕事やりたくないんだろうなと思います。
    皆、自分はすごいって認めてもらいたいから、目立たない仕事の方には、力を注がないし、なるべく関わりたくないんだろうなと思います。
    私が驚いたのは、そういう仕事を、あなたは真面目にこなそうとしていたことです。
    私だったら、適当に処理して間違えたら、またやり直すか、ちゃんと教えなかった上司のせいにします。
    あなたはそういうことをせずに、自分で乗り越えようと頑張って頑張って、頑張り抜こうとしていたんだなということがすごいと思いました。

    周りがいい加減な人ばかりなのに、誠実で真面目なあなたのような人が、1人で苦しむのはおかしいと感じました。
    根本が誠実な人間は、それを崩すことも自分に許可するのは難しいと思いますが、あなたのような誠実な人間が、少しでも生きやすい世の中になればいいなと思います。
  • refresh1時間前
    Q 50代 その他
    あなたがこの数年間で経験されたことは、ただの「仕事のストレス」という言葉では括れないほど、積み重なった無理と不条理、そしてその後に押し寄せてきた孤独の感覚だったと思います。
    経理への異動のくだりからだけでも、組織の在り方や人の扱いの粗雑さに腹が立ちました。ノート一冊がすぐ埋まるほどの業務を一ヶ月で丸暗記しろと言われ、質問しても答えが返ってこない。それでいて「簿記の勉強は?」と突き放される。これはあなたの努力不足でも性格の問題でもなく、完全に組織の無責任さの産物ですよね。誰がやっても潰れてしまう可能性の高い環境だったのだと思います。
    その中で、あなたはただ受け身でいたわけではなく、自分なりにノートをまとめ直し、質問の仕方を工夫し、何とか形にしようと必死でしたよね。それでも崩れてしまったのは、むしろ当然の帰結だったと思います。人間の心は、どれだけ強くても「理不尽な構造」に押し潰される。あなたが病んでしまったのは「弱さ」ではなく「人間らしさ」の証拠です。
    そして退職後の出来事もまた、あなたの心をさらに削ったのではないでしょうか。親戚からの無神経な言葉、友人の「助けたい」思いと、そこに伴わない実際の寄り添い方。お金や制度の話を突きつけられることで、あなた自身の存在が「困窮する人」というラベルに矮小化されたように感じられたのかもしれませんね。屈辱、惨めさ、自己嫌悪…そういう言葉が出てくるのは、あなたが本当は「尊厳を持った一人の人」として扱われたいからでしょう。

    私が読みながら強く感じたのは、あなたは「寄り添い」という言葉をとても真剣に受け止めている人だということです。軽々しく「寄り添ってますよ」と言って済ませたくない。寄り添うとは、言葉や一時的な援助ではなく、長い時間を一緒に背負い続けることだと直感的に理解しているからこそ、友人の行動に違和感や怒りを覚えたのではないでしょうか。
    でも一方で、人が人にずっと寄り添い続けることの難しさも冷静に見ていらっしゃる。4年間、誰かの痛みに伴走し続けるのは容易ではない。だからこそ、「私は他者にそこまで望んでいいのだろうか?」という問いが出てきたのだと思います。この誠実さこそが、あなたの中の大事な部分だと私は感じます。
    では、あなたは今、何を望んでいるのか。
    おそらく「無理やり立ち直ること」や「友人や親戚に安心させるための生き方」ではなく、まず「私はこういう経験をして、こう感じてきた」ということを誰かに正しく受け止めてもらうことではないでしょうか。今のあなたの言葉には、その切実さがにじみ出ています。
    再就職も、生活の安定も、きっといつかは必要になるでしょう。でもその前に「自分は壊れるほど頑張った」「それでも守られなかった」「だから今は無気力なのも当然なんだ」ということを、あなた自身が自分に許すことの方が先だと私は思います。
    寄り添いは「相手を変えること」ではありません。あなたが誰かに望んでいるのもきっと、「助言」や「お金」や「こうすればいい」という正解ではなく、「あなたが苦しかったこと、理不尽に傷ついたことを、ちゃんと知っていますよ」という共感そのものなのではないでしょうか。

    私もいま、こうして一度だけのやり取りをしているにすぎません。でも、この文を読んでいる時間くらいは、あなたが「わかってもらえた」と感じられるように心から願っています。そしてもし、また別の日に言葉を重ねたくなったら、そのときはまた書いてくださればいいのです。寄り添いは「ずっと続けること」ではなく、「続けられるタイミングで、また戻れること」なのかもしれません。
    あなたが自分の望みを少しずつ思い出していけますように。そして、その望みが「誰かの期待」ではなく「あなた自身の声」であるように。
    少しでも肩の力が抜けたら嬉しいです。

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