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いのちについて、毎年夏に思うこと
658 edit2017.08.07
おばさんが死んで、お葬式の時、ずっとおばさんと心の中で会話してました。おばさんとは、生前は、僕が大きくなってからはあまり話しができてなくて、ご無沙汰ばかりでした。でもなぜか死んじゃってから、おばさんを近くに感じました。それ以来ずっとなんでかを考えてました。
ちょうど夏で、今くらいの時期でした。お盆で御墓参りとかありました。
また別の疑問が。「何でこんなあっつい季節に、お盆なのかなぁ」…ずっと考えてたら僕なりの結論に達しました。
あ、つらつらと退屈で長い話です。
お墓とかは山の方にあります。風で揺れる山、虫、蝉の声、雷、夏って、生命活動が1番活発な時期です。昔の人って、今まで死んだ人全員、山に、土に、裏山に虫や、歌にあるけど風に、なって一緒にいるって感覚だったんじゃないか、昔は土葬だから、土に帰る。そっから木が生えて、酸素ができて、僕らが生きていられる。今まで死んだ人全員、すぐそこにいる。と感じました。街中だと目の前にはコンクリートや金属だけど、感じにくいけど、何となく、漠然と、だから夏なんだと思ったと言うか、感じた。
…ってことは、そっからまた考えた。命って、僕の、あなたのじゃなくて、いのちはただ1つの大きないのちで、そっから各からだに出張所のように来てるだけで、また戻ってみんな一緒になるんだ。
なんか、絵に描いて見たんです。んで、線で結んで見たら、何と、隣の誰かが死んで大っきないのちに戻ったら、距離が半分に縮まったんです。
だからおばさんが近くに感じたんだ!と、勝手に納得した。その時は、おばさんに何で生前もっと話ししてあげなかったんだろうとか、死ぬの怖かっただろうなとか思ったけど、自分もおばさんも身体は自然の一部、そこに帰れたんだと思ったら少し安心した。
その後自分が死にたい感覚の時も、死ぬ瞬間は怖いけどその後は安心、と思って、でもやっぱり、死ぬことが安心なら、最悪、何もかも放り投げて、廃人のようになって自然死でいいか、と思ったりもした。死刑じゃなくて終身刑、みたいな。
…
いやー、すいません。よくわからない思うことでした。
自然の中に身を置くと自然からエネルギーもらうとか言うけど、今まで死んだ人(生きた人)にもらうんだ!書いてて今思った。
…
すっきりした。ただ僕がそう感じたって言うだけです。
…
読んでもらいありがとうございました。
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