いじめられているのを目撃したら②
edit2016.08.06 1,312
こんばんは!urと申します。
今回は、前回のブログ「いじめられているのを目撃したら」の補足としてのブログを書こうと思います。
前回のブログもそうですが、今回も
「いじめを目撃した人」や、
「いじめの当事者の保護者、学校の教職員の方々」に読んでいただきたい内容となっております。
若干長く、拙い文章ではありますが、読んでいただけると幸いです。
「いじめられている人も悪い」?
「いじめ」という問題
10代の子供が、主に学校で受ける「いじめ」。
ときにはいじめを受けた子供が、自ら命を絶ってしまうこともあります。
しかし、「いじめは非常に主観的なものだから、いじめられる側の人にも問題があるはずだ」と、思う方も多いのではないでしょうか。
たしかに、平成25年に公布された「いじめ防止対策推進法」においても、「いじめ」の認定基準は「本人が苦痛を感じているかどうか」であるとされています。
〈参考:いじめ防止対策推進法 第二条一項〉
児童等に対して、当該児童等が在籍する学校に在籍している等当該児童等と一定の人的関係にある他の児童等が行う心理的又は物理的な影響を与える行為(インターネットを通じて行われるものを含む。)であって、当該行為の対象となった児童等が心身の苦痛を感じているものをいう。
被害者の子が「いじめられている」と思えばいじめになる、という認識がなされているようにも捉えられます。
ただし、「いじめ」について考えるとき、問題として注意すべきなのは、「その子が『いじめられている』と感じているかどうか」ではありません。
「『いじめ』と捉えられかねない言動が行われているかどうか」です。
傷つきやすさ、気の強さ、生まれた場所、家庭環境、体型や性格、得意不得意…
それらが人によって違うのは、当然のことです。
それらの「当然の差異」をバカにして笑うより、受け容れて分かり合うことが最善なのは、言うまでもありません。
批判することの危険性
たとえ個人のちょっとした「違い」が集団行動の妨げになっていたとしても、それを頭ごなしに否定したり批判するのは、その相手を必要以上に傷つけてしまう危険性があるはずです。
それに、「その人のためを思って批判するんだ」と言う人がいますが、私は他者の性格や言動を批判すること自体を批判しているわけではありません。
現に批判は、自分が気づけないことを指摘してくれる「教え」であることも多々あります。
私は、その批判の「方法」に注意すべきであると考えています。
批判するにしても、そのやり方が相手を故意に攻撃するものや陰湿なものであったら、考え直すべきですよね。
前述のとおり、傷つきやすさは人によって異なります。
ぶつけられた言葉に対して真っ向から抗える気の強さも、全員が持っているわけではありません。
「違い」が倫理道徳的に間違っているものでない限り、それを理由に度を超えた方法で人を責め(あるいは攻め)、傷つけてしまうのは避けたいところです。
受け容れること、伝えることの大切さ
解り合う大切さ、難しさ
何かを否定したり批判するのは、小さい子供でもできることです。
本当に難しいのは、「受け容れること」だと思うのです。
そしてそれは、難しいのと同時に、一番大切なことです。
全員で力を合わせなくてはならないとき、みんなと同じようにしたくてもできない子がいます。
もしくは、みんなとは違うことをやりたい子がいます。
その子は非常に傷つきやすいかもしれないし、癇癪を起しやすいかもしれません。
そんな子がいたとき、その子の個性を理解し、その子を受け容れること。
真の意味で「協力」し、その子を置いて行ったり仲間外れにすることなく、集団で物事を乗り切ること。
子供たちがそうできるようになったら、自ら命を絶つまで苦しむ子供は、もしかしたら少なくなるかもしれません。
しかし、「受け容れ、解り合うこと」を10年前後しか生きていない子供が全員できるようになったら、「いじめ」はそれで済む話なのです。
全員がそれをできないからこそ「いじめ」も無くならないし、止められないし、現に自殺するまで追い込まれてしまう子供が出ているのではないでしょうか。
では、「いじめ」はなくならないのか?という問題について、以下で私見を述べていきます。
「いじめ」はなくならない?
「いじめ」には、大きな問題があります。
前述の通り、人々には「違い」があるのが当然なのですから、
「他人の個性をバカにしない人」も「そうじゃない人」も、どちらもいるはずなのです。
この問題を解決する鍵は、その「違い」をなくすこと、つまりは「違い」を生み出す原因となっている「教育」です。
「教育」といっても、ここでは学校の先生がやるものだけでなく、広く「教えること」を指しています。
「いじめ」は当事者同士の中だけの問題ではありません。
第三者として、「いじめられている子供にも原因がある」と言うその前に、
「いじめをする子供」に育ってしまわないように、子供たちに、既述のような「否定・批判の危険性」と「受け容れる大切さ」を教えることが重要です。
その教育こそが私達大人の仕事であり、子供に対して負うべき責任なのかもしれません。
その教育を「絶対できない」「そんな子供には伝わらないから仕方ない」で済ましていては、いじめやそれを原因とする自殺は無くならないのではないでしょうか。
しかし、世界的に見れば教育の普及が進んでいる日本であっても、様々な要因で、全ての子供たちを平等に教育できていない現状があるのは確かなことです。
社会全体で協力して、尊い命が自らその灯火を消してしまうのを防いでいかなくてはなりません。
そのためにもまずは、他人を必要以上に傷つけてしまわないよう自他共に注意していきたいですね。
あとがき
…長くなってしまいましたが、最後まで読んでいただきありがとうございました。m(._.)m
今回のブログはあくまで私見なので、一個人の一意見としてニュートラルに捉えていただきたいと思います。
こちらの記事も「いじめ」の原因について違う視点から書かれているので、是非、併せて読んでいただきたいと思います。
「なぜ日本はいじめが多いのか?誰も語らない要因」
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