共依存って悪いこと?ー「共生」への道へ
edit2016.04.06 2,175
「依存」と聞くと、あまり良いイメージを持たない人が多いと思います。相手の存在に依ることが依存。確かにとっても一方的で、それがなくなってしまったら、自分はどうなってしまうんだろうって恐怖に怯えて。
その人や大切なものが離れてしまったら、自分が保てないならば、依存はよくないのかもしれない。だけど、それだけの側面だけじゃないのが依存だと私は思います。
そんな私の依存への葛藤のお話です。
私の最初の「依存」は母親から
昔から、祖母とのことがあったせいか、父親とはあまり上手くいっていませんでした。それでも、母親と父親は仲良しだし、一緒に買い物や散歩になども行っていたので、末っ子の私はよくついていっていました。自転車で遠くまで出かけたり、普段なら電車で五駅ほど行く距離を歩いて行ったり…。
父と母は共通して歩くことが好きだったので、私も自然と歩くのは好きでしたし、色んな景色を見ることは大好きでした。
でも、祖母の「女の子らしくいなさい」と言われて悩んでいた頃、小学生くらいになりますが、祖母は息子である父親ではなく母親にばかり懐いていることもあまりよく思っていなかったようです。
「お母さんに頼ってばかりいて…」
この言葉に対しては何も思わなかったのですが、
「本当にお母さんに似ちゃって…もう…」
という言葉は母親否定でもあるし、私否定でもある。
母親を否定される=私を否定されることで、私を否定される=母親を否定されることでもあって…
そんなことを言う祖母との関係もうまくいかなかったし、小学校の時の私の顔はどちらかと言えば、父親似だったので、近所の人などにお父さんに似てると言われる度に、すごく嫌で、思春期には今までは一緒に行っていた買い物も「お父さんがいるなら行かない」「ついてこないで」などと言うようになっていました。
思春期は、父親をよく拒否する、反抗する、と言いますが、私の場合は、反抗期とは少し違ったように思えます。父親が嫌、祖母が嫌、というよりは、
私の味方は母親だけで、母親をとられるのがすごく嫌だった。
この言葉に尽きると思います。
だから、姉兄私の中で、母親が、まず姉から、兄から、○○に行くのを誘った、など、私を優先しない場合は泣いて怒っていたし、どこに行く時も母親の隣じゃなきゃ嫌だったし、独占欲、ともとれるのですが、小さい頃の私の世界は本当に狭くて、「母親が一番の理解者」であり、「依存できる存在」でした。
それは、大きくなってもあまり変わらず、うつ病になったときも、地震があったときも、
「私はお母さんがいないと生きていけない」
「お母さんがいなくなったら、私は死ぬと思う」
とよく口にしていました。
母親もそれをよく分かっていたのか、私を残して死んでも死にきれないと思ったのか、
「何か事故かなんかで、一斉に死にたいね」と言ってくれていました。
ちなみに、母親は全く死にたいなんていうことを考えていない人間でしたから、私を思ってのことだと思います。
結婚してその依存が治ったのか?と言ったら、それもまた微妙で、旦那もいて仕事をしていても、結局私の実家の近くのアパートに住んでいるし、仕事が忙しくて実家に行けないときでも週に1、2回は電話をするくらい、自他ともに認める母親大好きっ子です。
小学生の時から今も「依存」なら、もう少し自立しなきゃいけないのですが…母親にはまだまだお世話になりそうな自分がいます。
学生時代は「no music,no life」。「依存」でうつ病発症
小学生の時、すごく大好きだった歌手がいました。その歌手との出会いはアニメソングからだったのですが、小学生のなけなしのお金でアルバムを買ってたほどの盲信ぶりでした。小学生の頃の私は、その歌手の描く歌詞の意味がほとんど分かっていなかったと思います。「愛が~」「今でも好き~」
「セクマイ」ということを置いといても、小学生の私にはちょっと早い内容だったように思えます。
でも、その歌手が本当に大好きで、憧れていて。
その歌手は女性。私は今でも分からないことが一つあります。
「セクマイ」の私はその歌手を恋愛的な意味で愛していたのだろうか?
たぶん、答えは「イエス」。でも、このことはあんまり考えないようにしています。私にとって、その歌手は神的な存在であり、盲信していた存在。
その歌手の歌が全てで、それ以外は受け付けない。違う人に恋していたときも、歌を聴きながら、自分に酔っていました。ようやくその歌手の描く歌詞の意味が理解できた、ようやくその歌をちゃんと知ることができた、達成感のような、神の教えを読み解けた信者のように。
私はその人にどんどんのめりこんでいきました。
中学・高校時代は、落ち込む度に、その人のCDやライブに行くために明日を生きようと持ち直しました。好きな人にふられたり、「セクマイ」で悩んだり、学校に行きたくなかったり…
いっぱいいっぱい悩んだときでも、やっぱり頑張ろうって勇気づけてくれたのはその歌手の歌で。
それが私の全てで。
「セクマイ」のことは母親に話せなかった分、余計にその歌手に「依存」して、でもそれでも生きてこれたのは、その「依存」のおかげで。
でも、大学二年生の時に転機が訪れました。その歌手の引退発表。まだ若くて、引退なんて何も考えてなかった時期の突然の引退発表。
あまりにもショックで、涙が逆に出ずに、数日間ぼーっと過ごしました。
そのときが夏休みだったということもあり、しばらくは暑いからだ、とか、疲れてるから、と理由をつけていましたが、やる気も出ない、集中力も出ない、覇気もない…
そんな私の様子を見ていた母親や、大学の友達などからのすすめで、3か月後に病院受診。その時もいろいろあって、結局「うつ病」と診断されたのは、病院を変えた半年後のことでした。
大好きなその歌手の引退ライブや記念アルバム、イベントにはなんとかいきました。
でも、本当に最後のイベントのとき、目がかすんで、前列3番目だったのに、その人の顔が見えなかった。
後悔してもしきれないほどのショック。
引退後、その歌手は別の活動を始めましたが、私はいまだに当時のDVDを見ることができません。曲がちゃんと聴けるようになったのもごく最近のこと。
大好きな存在で、助けてもらった存在、なのに、自分が「依存」していたばっかりに、うつ病を患い、こんな風になってしまったこと、本当に申し訳ないし、会う機会がたとえ会ったとしても、会わせる顔がありません。
でも、最近になってようやく思えるようになったこと、それは、彼女に「依存」していたことで、今日まで生きることができ、今の私があること、そして、私のことを好きだと言ってくれる人がいること、それは、私の宝物であり、この経験をしてきたからこそ、手に入れられたものです。
私はずっと彼女が大好き。
それは、変わりません。
彼女は大切なことを教えてくれました。
それは、「前に進む勇気」なのです。
共依存から「共生」へ
そんな依存を繰り返した私。でも、決して依存から脱したわけではありません。
それは、今度ブログで詳しく書こうと思いますが、私と旦那の関係は「共依存」から成り立っているからです。
私の旦那は、発達障害と精神障害で働くことができません。
だから、家で専業主夫としてやってもらい、私が働きに出るという形をとっていますが、まあそこに至るまで、すごーく苦労しました。(そこは別ブログを今度挙げますね☆)
旦那が障害者で、働けない、というと、たいていの場合、「大変だね」と声をかけられます。まるで、私だけが苦労して頑張っているような口ぶりで、私がすごい人みたいな風に言われることが大半です。
もちろん、生活面も精神面も旦那は私に依存していると思います。
が、同時に私も旦那に依存しています。
それは、外では見えにくい、本当に心の支え的な部分です。
私も旦那もうつ病もちなので、どちらも気分が安定しないときもありますし、支えられない時もあります。
「もうだめだ」と旦那がパニックに陥ることもあります。
ですが、私の中で、旦那と離れるという選択肢はありません。
それは、「好きだから」「一緒にいると安心するから」「一緒にいたいから」など、色んな要素がありますが、一番は、旦那と離れた未来を想像できないというところにあります。
旦那がいなかったら、私は働く意味をなくす。旦那がいなかったら、私は何をしていいのかわからなくなる。旦那がいなかったら、私は一緒に泣いて、楽しむ相手をなくす。
旦那がいなければ、私は生きる意味をなくすでしょう。
それは、「共依存」のようで、絶妙な関係。どちらかが壊れてしまえば、もしかしたら、どちらも壊れてしまうかもしれない。
でも、この人と一緒に生きたい。この人と一緒にいたい。
そう思ったら、「共依存」ではなくなるような気がします。
共に生きる、と書いて「共生」。
つまり、色んな問題があっても、一緒に生き、支えあっていくことはできるということなのだと思います。
これは、夫婦関係、恋人関係に限らないと思います。
ふとしたときに隣にいてくれる存在。
いつもはあまり連絡をとらないけど、辛いときに連絡を取り合う存在。
自分では寄りかかっている、「依存」に見えても、実は、その相手もその関係性に「依存」しているかもしれないということになります。
貴方には、心の支えがありますか?
一緒に生きていきたい相手はいますか?
一緒に考え、悩んでいきましょう?
まだまだ未熟な私でも、頼ってくれる人に本当に感謝しています。私の生きる理由を作ってくれてありがとうございます。
貴方の生きる意味も一緒に考えていけたら、幸いです。
以上、ライター・エディターチームの葉音でした。
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