言いたいことは、言ってはいけないこと。
edit2018.12.20 1,594
先日、『子供は欲しくない』という発言を言うと、周りからのバッシングにあったり、人から否定的な意見を言われる、なーんて記事を見ました。
分かる。結婚してる人ではないけど、分かる。
別に、子供を産むことを否定しているわけでもないことも分かる。
不妊治療に関して、別に何か言いたいわけでもない、それも分かる。
妊娠した友人を、素直に喜べないって、モヤモヤもそう。
あんまり人に言えない。
【人の幸せとか、おめでたいことは喜ぼうよ!】
【子供は作ろうよ〜!】とか、、、
その意見は、どちらかというと、『常識』だ。
結婚はするもの。子供は作るもの。
そんな概念は、ほとんどの人の中に当たり前のようにあって、それが可能な年代である間か、もしくはその年齢以上であれば、知り合いでもそうじゃなくても、『なんでそうするべきなのに、そうしないの?』って押し付けを受けることは多い。
周りくどく言ってくる場合もあるから、要注意だ。
と言うか、『注意しなくても良い、私は別に気にしてないし大丈夫』と自分自身信頼出来たなら、それはもう素晴らしいスルースキルなんだけど、中々そうもいかないことが多い。
常識は、時に人を傷つける。常識は、自分を罰する。
それは、誰より自分が『常識から外れない』を意識しているせいもあるけど、それでも、元々自分の中にあった『常識』をもし一旦外せても、周りも一緒に外れるわけじゃない。
追いかけてきたり、思い出すようにまた自分に刷り込んできたりする。
常識から外れたこと、常識通りに思わないことは、言いにくいけど言いたいことだ。
子供を持つのは自由だけど、私はいらない。
結婚は自由だから、私はしない。
籍は入れない。式は挙げない。
etc…
今年の夏、ある方が、『俺たち夫婦は、子供を持たないって話し合って、決めたんだ』と堂々と語っていた。
素敵だと思った。
お金を、子供にかける、はたまた自分達の人生だけにかける。
きっと、人生で得るものは変わってくるだろう。
どちらでも良いんだ。好き勝手に選べるわけじゃないけど、まず選択するのは自分達だ。
そして、自分の希望が『子供を持たない』なら、そう言っても良いし、それを尊重しても良い。
周りがとやかく言うことはない。例えそれが、親だとしても。
前に、恋人と別れた時にとやかく言う女子達は割と多かった。
『えーなんで別れちゃったの〜?結婚すると思ってたのに〜』
別れぐらい自由で良いじゃないか。
離婚の選択だってきっとそうだ。
親の離婚をなんとも思わないか?なんて聞かれたら、そうだと即答出来ないけれど。
友人の離婚とか、もし身内であったとしても、それを『いやいや、あり得ない』と思ってはいけないんじゃなかと思う。
離婚の話とかになると、少しややこしい話になるかな?家族の離婚とかになると、また少し話は違ってくるけれど…。
〜したい。
自分はこうだ。
これが嫌だ。
〜したくない。
どんなに発言の自由があっても、バッシングは多い。世間の意見は冷たかったりする。
もちろん、温かい意見もある。
否定しているわけではないのに、否定されたと思えば、ソッコー悪口やら、非難は来る。
何も、『人を殺しても良い』みたいな発言とか、全てを『イイネ』なんて言うつもりもない。
でも、自分の選択や、感じたことが、例え相手や対象に対する否定的なものだったとしても。
ごめんね。今の私の思いはこうなの。否定でも非難でもなくて、私の本心は、本音は、こうなの。
って、素直に伝えられる人間関係がもし自分の周りだけでも増えたら、楽に生きられる気がする。
ちゃんと目の前の相手を尊重すれば、自分の意見を選ぶ時の言葉も気遣いが生まれるだろうし、嫌な関係を作るような言い方にはならないだろう。
同時に、目の前の相手も、尊重すれば尊重してもらえる可能性がある。
分かり合えない可能性も、すれ違いが起こる可能性もあるけれど。
それでも、同じ意見や、同じ体験をした人が、きっとどこかにいるだろう。
言いたくないこと、言いにくいこと、伝え方の主語は『自分は〜』にすれば、単なる一意見だ。
一意見を否定されないくらいの自由はあって欲しい。
誰にでも、歓迎されなさそうな本音なんて、いくらでもあるから。
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