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死以外のどこに向かってるのか

visibility2892 chat17 person退会したユーザー edit2017.08.24

高校2年生女子です。
最近、「どこまで生きたらゴールなんだろう」とよく思います。
歩いているおじいさんやおばあさんを見ても、サラリーマンや学生を見ても、この人たちはなんで生きているんだろう、いつまで生きるんだろう。と思います。
どこがゴールなんだろう。
学生は勉強に追われ、社会人になっても仕事に追われ、子供、大人、学生、社会人、親、高齢者、人生のどの段階でもしんどいことだらけ。どこに向かっているんだろう。
毎日同じょうな時間を過ごして、何事もなければあと70年近くは
続く、人生ってなんだ。
不謹慎極まりないことだとはわかっていますが、これからの楽しいこととかどうでもいいから、とにかく早く終わってほしい。と思ってしまう。
生きるってなんでこんなにめんどくさいんですか。
大学とか勉強とか夢とか、意欲が皆無です。
生まれたから生きるしかない。生きるという人間の本能があるから生きるしかない。死にたいとか自殺とか考えても実行するほどしんどいわけでもない、そんな勇気もない。ただめんどくさくて仕方がない。でも生きていくしかない。
なんなんですか。
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コメント一覧

  • refresh約8年前
    退会したユーザー
    なんちゃかんちゃ言うより、悲観的過ぎやしませんか?なんかあったの? 別に辛いことばかりじゃないでしょ?楽しいこと人生でこれまでにないの?普段の楽しみとかないの? どんな背景をお持ちなのかよく分からないので、出過ぎた事は言えませんけど…。
  • refresh約8年前
    退会したユーザー
    暴論ですが、
    歩いているおじいさんやおばあさんを見ても、サラリーマンや学生を見ても、この人たちはなんで生きているんだろう、いつまで生きるんだろう。
    ていう、疑問があるなら
    追求してみてもいいんじゃない?
    実際にインタビューしてみてもいいと思うし。
    そうして集めたネタをまとめてみたら
    もしかして、すごい哲学の本ができるかもしれない。
    発想力ですよ。
    日本は、個性を押さえるような教育だし、
    家庭でも、誉めて伸ばす、
    を、実践しているところって
    まだまだ少ないと思うし、
    押し付けられるばっかりで
    しんどいのはわかりますが、
    逆を言うと、
    自分からやろうとしたことじゃないから、
    責任を取らなくていい範囲?
    の、中にいるということでもあります。
    まぁ試験に失敗とかしたら、
    自分のせいでしょ
    とかって、言われるかもしれないけど。
    でも、それでも守られています。
    その時期を、どう過ごすかは
    あなた次第です。
  • refresh約8年前
    退会したユーザー
    こんにちは、私も今高校生をやっています。
    mouhuさんの仰っている 虚無感 が、今私が感じているものとあまりに似ているものだったので思わずコメントさせて頂きました。
    タイトルへの私の考えを結論から言えば、生きているものは死以外の何処にも向かっていません。
    毎秒毎秒、それに向かって突き進んでいます。

    私はこのトピックに対して何らかの結論や意見を述べられるほどの人生を経験してきてはいませんが、私の人生観をお話することはできるかと思います。

    私の性格の根本にあるのは 私は自分自身の意志にのみ従う という信念です。
    勿論ココトモで皆さんのアドバイスが欲しいと思うことは多々あります。友達にどうすればいいのかと泣きつくこともあります。
    叱られたら素直に受け入れます。人を不快にさせることはしたくはありません。
    でも、決断をするのは自分です。
    私の人生を生きているのは私だけです。
    どう生きるか、そしてどう死ぬかということすら、私の手に委ねられています。
    今私が進めないのなら、それは私が自分で選択した環境にいないからです。誰かに流された場所にいるからです。

    口ではなんとでも言えるんですよね。
    バイトもしたことのない、社会の厳しさも知らない私だから軽々と言ってしまえる言葉たちなのかも知れません。

    私はあまり長生きしようとは思っていません。
    結婚は分かりませんが、子どもを産み育てる選択肢も私の中にはありません。親不孝者と言われてしまうでしょうか。
    どう死のうかなということは最近考えますが結論が出ません。
    でも、この虚無感とか、孤独とか、そういうものの愛し方が分かるようになってから死にたい。
    だからそれを知ることができそうな場所に自分を連れていきます。ほぼ直感ですが。笑

    精神論ばかりでごめんなさい。
    ただ一つ、mouhuさんにおすすめしたいことがあります。
    沢山本を読むといいと思います。自分でない人の思いや人生を知ることが出来るのは、思ったより貴重なことです。
    そうしたらきっと、名前も何も知らないおじいさんおばあさんやサラリーマンを見た時に今とは違う感想を抱くことでしょう。
    哲学書なども、もしかしたら読んでみると案外興味が持てるかも知れません。

    世の中は自分で無いもので溢れています。
    今後mouhuさんの人生が良いものになることを願っています。
    長文、駄文失礼しました。最後まで読んでいただきありがとうございました。
  • refresh約8年前
    退会したユーザー
    YuuN2さん
    賛同いただき、嬉しいです。
  • refresh約8年前
    退会したユーザー
    色々悩みが絶えない時期かもしれませんが、
    とりあえず、何でも見える目があってよかったですね。どこへでもいける足があってよかったですね。
    目が見えない人や手足が自由に動かない人たちがいます。健常者の私たちからすると、自由が大きく制限された辛い人生に思えます。健常者でも人生がつまらないと思う人がいる一方で、そんな状況でも、楽しそうに笑いながら生きてる人たちがいます。
    その違いはどこにあるのでしょうか。
    それは「足る」を知るということだと私は思ってます。
    私たちが「有る」に気づけないのは「無い」を知らないからです。生まれつき目が見えない人が、もし目が見えるようになって、あなた見ている景色を見たときどんなに感動するでしょうか。それだけあなたは素晴らしいものを持ってるんです。他の人たちがどんなに欲しくても手に入らないものを沢山持ってるんです。
    もし、今あなたが、自分には大切にすべきものが何もないと思っているなら、自分に「有る」ものがただ見えづらくなっているだけです。
    「足る」を知るとは、それが有ることの有り難みを知ることです。有ることが本当は難しいと知ることです。これに気づいて初めて出てくるのが「有り難う」です。
  • refresh約8年前
    退会したユーザー
    おっくんさん、いいこと言いますね~~
    わたしも、そう思えた時期がありましたよ~~
    けっこう思う人いるんじゃないかな?
    とりあえず、学校に行っている間は
    世界は狭いし、つまんないし、なんで行かなきゃいけないんだろう?と、思いました。
    まぁもう時代が違うんだよね。
    戦後は、学校にいけることは、ありがたいこと
    って、いう感じだったけど、
    今は、情報たくさんあるし。
    学校で学ばなくてもいいんだよね。
  • refresh約8年前
    退会したユーザー
    そういう虚無感は、思春期に感じやすいものだと思います。
    精神的に成長する際のギャップのようなものです。
    生きる目的とは、それ自体が目的なんだと思います。
    つまり、生きる意味を見つけることです。
    あなたが、普段見かけたサラリーマンやおばあさんは、皆それぞれに必死に生きているとは思います。
    あなたが思う以上に、現実はドラマチックで濃厚です。
    それぞれに物語があり、苦しいこともあれば、楽しいこともあるのです。
    その一つ一つの感動(心が動くこと)に意味があるんです。
    そして、人生は自分自身の選択で成り立っています。
    レール的な生き方も、自分で選択したんです。
    妥協という選択を。
    これは、言い換えると、選択自体は自由にできるということです。
    自由な意志で、責任もともないながら。
    だから、必死になるし、だから、感動するんです。
    社会に旅立てば、虚無感に浸る暇すらない感動の連続が待っているでしょう。
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