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「絶対的他者性」ということ

visibility1300 chat10 personSinger edit2021.02.24

わたしはこれまで自分に似た人をひとりも見たことがありません。

主治医はわたしと話しが合うのは千人にひとりだろうといいます。しかしその見方はちょっと甘いと思っています。それだと、1万人に10人も話の合う人が出来ることになります。それはちょと想像し難い。

わたしは孤独がとても苦手です。一方で、自分の価値観・自分の本能・自分の美意識をなによりも大事にしたいと考えています。それに何らかの価値があるわけではなく、それが他ならぬ、「わたし」の「本能」であり「美意識」であり「価値観」だからという理由からです。

ですがそのことが、耐え難い孤独・孤立を意味することは、これまで50年以上の人生で知り尽くしています。

これまで生きてきた経験から導き出されたわたしのモットーは、「人に嫌われるのは簡単なことだ。ありのままの自分でいればいい」というものです。これはモットーというよりも最早揺ぎ無い確信と言ったほうがいいでしょう。

皆さんは、「世界にたった一人遺棄されたもの」になることと、「自己の本質を改変すること」の二択を迫られたとき、どのように考えまた行動されますか?
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コメント一覧

  • refresh約4年前
    退会したユーザー
    >>Singerさん

    ご返信ありがとうございます。

    ピントのずれた返信だなんてとんでもないです。
    まだまだ人生の浅い僕から見ても、Singerさんの人生観は一貫されてるように感じます。
    それが険しい道のりと理解しつつ進んでるのも、他人を差別してると考えながらもそうするのも、分かった上でそうしてるのは素直に尊敬してます。

    面白いトピックでした。
  • refresh約4年前
    追伸

    rinrin99 さん。

    お話していて、気付きました。わたしは「差別主義者」であると。
    差別主義の白人は、目の前の黒人が、どのような人物か。どのような仕事をし、どのような家庭を持っているか。知性的な人であるか、子供に慕われているか?思い遣りのある人か?
    そういうことは一切脇に置いておいて、ただ、彼の肌の色が自分と違う、肌の色が黒い、ということだけで、彼に唾を吐きかけ、殴る蹴るの暴行を加えます。

    何故なら、その白人には、彼の「肌の色」しか見えず、彼の内面を認識する能力が欠如しているのです。

    わたしもそれと同じです。

    現にわたしには、スマホを持つAさんと、同じくスマホを持つBさんの違いが見えません。
  • refresh約4年前
    rinrin99 さん。

    お返事が大変遅くなり申し訳ありません。

    やはりわたしは極めて変わった特異な人間なんだと思います。

    わたしはわたしの考え、主張を攻撃したり、嘲弄したりしない限り、自分と意見の異なる人の批判はしません。(発言に影響力がある人の場合は別です)

    これから先、少し、攻撃的な発言になり、ご不快に思われるかもしれませんが、まあ、普通の人間じゃないんだし、ということで、聞き流してもらえればと思います。

    >Singerさんが自分とは違う価値観を持った他者の考えや理念を受け入れて、尊重するという事が出来るようになれば、Singerさんの理解し難い独特な価値観を、同じように受け入れて尊重してくれる人が現れるのでは無いかと思います。

    余程極端な考え方でない限り、「わたし」は「あなた」ではない。のですから、「相違」はつき物です。

    わたしが最も嫌うのは、最も生理的に受け付けないのは、「わたし」と「あなた」の意見の違いではなく、「わたし」と「その他大勢」との相違です。

    わたしが何故これほどまでに「スマホ」を嫌う・・・という以上に、憎悪の対象にするのかといえば、外に出れば、特に電車などに乗れば、スマホを眺める群集をいやでも目にしなければならないからです。反論を受けそうですが、わたしの目には、「例外のないこと」ことほど憎むべきことはないのです。そしてこれからは何でもスマホ一台で済ませられる時代だと。

    わたしはスマホを持った人間と、自分との間に、米一粒ほどでも共通点があるのかと訝ります。

    そのような世界で、鬱病から回復する意味がわたしには全くわからないのです。

    単純な話なのです。わたしが長く生き過ぎたということです。

    Aさん、Bさん、Cさん・・・といった、個人以前に、残念ながらわたしには、スマホを持つ人持たない人、の2種類の人間しか認識することが出来ないのです。

    失礼な返信、重ねてお詫びします。



  • refresh約4年前
    Lacto さん。

    久し振りのログインになりました。
    このトピックを投稿したのはいつだったでしょうか?

    昨年11月に、既に、電車で二駅の主治医のところまで行くこともできず、できることも年々少なくなっている状態ながら、「家族の事情」で、引きこもりの一人暮らしを始めたことはお話したでしょうか?
    11月初めに府中から立川へ引越し、最初の一月くらいは、なにやら、巣作りに励んでいましたが、寒くなってくる頃から、急に弱り始めました。

    詳細は省きますが、現在は自転車で10分くらいのコンビニに行くことが精一杯です

    既に数年前から、主治医のところには母が代わりに行き、薬をもらってきてくれていましたが、医師に言われるまでもなく、現在のわたしの状態はまぎれもなく「うつ状態」乃至「鬱病」です。

    まだ寝たきりには至っていませんが、改善に向けてはなにもしていません。
    つまり、わたしが考えているのは一点だけ「元気になって何があるの?」ということです。

    これを鬱がわたしの厭世観を生んでいると考えないでいただきたいのです。

    「孤独」とは高校卒業してからの付き合いです。既に2018年あたりのブログを読むと、
    頻繁に「生きていることが苦しい」「何故まだ生き永らえているのか?」という記述か目立ちます。

    加えて、現在は本を読んだり映画を観る気にもならないので、観るともなく、インターネットを覗いています。そしてブログを読み、掲示板を読み改めて確認するのです。

    ここでは生きられないと。

    わたしはあまりにも人と違いすぎる。そして同時にみな余りに似ているように見える。

    わたしは楽になりたいのです。そして「楽になる」とは、友達の一人もいない世界で、元気になることではないのです。

    声をかけてくださって、ありがとうございました。

    ピントのズレたお返事はお目に見ていただければ幸いです。

  • refresh約4年前
    退会したユーザー
    「世界にたった一人遺棄されたもの」になることと「自己の本質を改変すること」の二択なら、「世界にたった一人遺棄されたもの」を選びます。

    本質を変えるのは絶対的に無理。
    もし変えられたなら、それは本質じゃなかったっていうことになるから。
    背理法を使うと、本質を探るのに一番いいのは自分を改変していくこと。
    つまりは変えたくても変わらなかった部分が消去法で本質になる。

    お互いが100理解出来ないと進めないならば、100理解できていると仮定して進むのもありと思います。
    これは仮定法ですが、100必要かどうかを確認するには、仮にそれが存在するならどうなるかを強行採決するのがよきです。追加で考えるなら、100理解できる人間がいるなら恐らくはそれは会話や意思の疎通は不要な物体のはず。つまりそれと一緒にいても出来ることは何もなし。


    そして、矛盾してる理念を持って生きるのも全然いいと思うんです。
    問題はどの生き方を選ぶかのはず。
    後悔と未練さえなければ、人生に合理は不要。

    面白いトピックでした。
    現実で話したら絶対しんみりするから、ここじゃないと出せない議題ですね。
    考察出来て、わたしは非常に満足です……
  • refresh約4年前
    退会したユーザー
    まず、人間は誰しもが常に「孤独」を感じていて、「孤独」が苦手ではない人などいないと思います。
    そして、Singerさんが自分の理念や考え方があって、他者との考え方の相違に違和感を感じているなら、その違和感が大多数の他者とは違う、Singerさんの個性であり大事にすべきアイデンティティであると思います。それに、そのアイデンティティは必ずしも理解されなくても良いと思います。

    ですが、もし、Singerさんが自分とは違う価値観を持った他者の考えや理念を受け入れて、尊重するという事が出来るようになれば、Singerさんの理解し難い独特な価値観を、同じように受け入れて尊重してくれる人が現れるのでは無いかと思います。

    私も、所詮他人は他人であると思うし、お互いを完全に受け入れ合うという事は出来ないと思います。もし出来たとしても、その出会いは奇跡だと思います。
    でも、そんな奇跡の人でなくても、それぞれの受け入れられる部分だけを受け入れあう事はできると思います。それがどんなにそれぞれのアイデンティティのごく僅かな一部だとしても、少しでも共感し価値観を共有できたという事は素晴らしいことだと思います。

    Singerさんは自分の本質を変えなくても良いと思います。でも、他者の価値観を受け入れられるキャパシティを増やせば、もっともっと素晴らしい価値観や理念、考えを生み出せるのでは無いかと思います。

    長々と失礼致しました。
  • refresh約4年前
    bottuさん。

    早速のコメントをありがとうございました。

    >ありのままの自分でいても一緒にいてくれる相手が大切にするべき
    人間というのが私の考え方ですが、

    ありのままのわたしを、それでも見放さずにいてくれるのは母親のみです。
    つまり、母親以外は、全て、赤の他人ということです。

    けれども母親はあくまでも家族であって、友人でも恋人でもありません。もちろん上述した理由から、母の存在なくしてわたしの存在は考えられませんが、家族だけでは不十分なのです。

    友達、仲間、そんな関係が欲しいのですが、それも質問文中に記したような事情から、できたことがありません。

    >0か100か?では無く部分的に合う人や、興味がある相手へは多少なり好意的に
    接して信頼関係を高めることで良い人間関係が出来ると思います。

    おっしゃることは良くわかります。けれども、7割方理解、或いは「かなりの部分で言葉が通じる相手」という人が、現実にどういう存在なのかがわかりません。

    高校を卒業して18歳。それ以降のわたしの40年間の人間関係は、時折のごく短い期間を除き、対立か、でなければ赤の他人でした。

    わたしはほどほどの関係というものを知らないのです。

    そしてまた「現代社会と折り合う」ということも良くわかりません。

    つまり優先順位という点で、「スマホを持った人と友達になれるのか?」という大きな疑問があります。

    何故わたしはこうまでスマホを敵視するのか?その深層心理のメカニズムまではわかりませんが、強いて言えば、何か「全体主義」的なものを感じるのです。
    全体主義とは、言うまでもなく「例外のないこと」「例外を排除すること」です。

    それ以前に、生理的な次元で、みなが同じ動作をしている光景というものにどうしても耐えられないのです。

    まとまりのない文章ですみません。

    お読みくださってありがとうございました。






  • refresh約4年前
    himawari2020さん。

    ご回答ありがとうございました。
    わたしの質問が舌足らずだったかもしれません。

    >自分の自由にありのままで生きていてください。

    人はいつ、いかなる時代、いかなる状況下でも、自分に忠実に生きられるとは思えないのです。例えば先の大日本帝国時代、ヨーロッパではナチの時代、仮にユダヤ人でなくとも、人は自由にものが言えたでしょうか?堂々とヒトラーの批判をすることができたでしょうか?更に遡って、中世の魔女狩り、異端審問のときに、「自己の信念を貫く」ということは、とりもなおさず、「死」を意味します。

    それと今現在とどういう関係が?と思われるかもしれません。

    わたしは今の時代に非常な不自由さ、窮屈さを感じています。
    例えばわたしは、スマホとかタブレットというものが非常に嫌いです。
    現にわたしが持っているIT機器といえば、このふるいパソコン一台です。(これをIT機器と呼べるのなら、ですが)

    持つ持たないはもちろん個人の自由ですが、それに対する忌避感を表明したり、批判することすら許されない緊迫感を常に感じています。

    これはあくまで個人的な考えですが、「自分の自由にありのままで生き」られるのは、時代が許す範囲においてのみだと感じるのです。

    つまり、しばしば個人の自由と、社会性とは背反するということです。

    どうもわたしは場違いなようです。直に消えます。

    改めてご意見をありがとうございました。







  • refresh約4年前
    退会したユーザー
    人に好かれるために、自分の本質を変えたり、自分の意見を変えたりすることはないと思います。自分の自由にありのままで生きていてください。
    でも、世の中には色々な価値観があって、色々な人がいて、あなたと意見が違ったとしても、それを受け入れて仲良くすることは出来ると思います。仲良くなるのが、あなたと同じ価値観の人でなくてもいいわけです。自分と違う価値観だったとしても、そういう考え方もあるんだ。その人の考え方なんだと思えばいいです。別に一緒である必要もないし、価値観が違っても、仲良くなったり交流を楽しむことは出来ると思いますよ。何も孤独を選択しなくていいです。
  • refresh約4年前
    退会したユーザー
    孤独であることが辛いということも自分の価値観・本能といったものに
    含まれていますよね。


    >「人に嫌われるのは簡単なことだ。ありのままの自分でいればいい」
    ありのままの自分でいても一緒にいてくれる相手が大切にするべき
    人間というのが私の考え方ですが、それで一人もいないのであれば
    自分が大切にするべき中に他者に対するものや共同体感覚といったものが
    一切なく更には他者を苦しめたり攻撃してしまうものが含まれているのですかね?
    0か100か?では無く部分的に合う人や、興味がある相手へは多少なり好意的に
    接して信頼関係を高めることで良い人間関係が出来ると思います。

    一先ず、「孤独が嫌」も「価値観」の中にあるものなので矛盾部分を言語化して
    優先順位を改めて考えみてはいかがでしょうか。
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