解決済み
20代前半
女性
幸せになってもよいのか分からないけれど幸せになりたい
905 edit2022.08.11
人によってはこの文章を不愉快に感じるかもしれません。虐待・性被害・性生活などのセンシティブな内容を含みます。
また私は自身の過去についてインターネット上で繰り返し書き込みをしているので他サイトで似た内容のものを見かけることもありえます。
普段の生活で温かい言葉をくれる人はあまり多くないので、画面の向こうのどなたかの言葉の一つ一つがとても有難いのです。
私の両親は私が6歳のときに離婚し私は母について母方祖父母宅で暮らすようになりました。祖父は在朝の人文系研究者で、祖母は専業主婦、母は主に無職で時折水商売などの仕事を転々としながら私とともに居候のような生活をしていました。私が中学生の頃までは身体が不自由な曾祖母(祖父の母)もいました。あとは猫も。
私がごく幼いころ、まだ一緒に暮らしはじめる前の祖父は冗談好きでお茶目でおまけにハンサムだったので私は彼のことが大好きでした。祖母は家事と曾祖母の介護に疲弊していましたが、フェルトのおもちゃや手作りのお菓子をたくさんこさえてくれました。母のことだけは物心ついたころから怖くてたまりませんでした。それでもまずまず幸せだったと思います。
しかし一緒に暮らしはじめてしばらくすると、生活に異変を感じるようになりました。
私は早くから小児自慰を覚えてしまっており祖父母宅でもしていたのですが、祖母に見つかると体罰を受けるようになりました。おしりや顔を叩かれたり、長時間正座させられたり、頭を掴まれて水を張ったお風呂に顔を押し付けられたりといった具合です。
理由を説明されることはなく、どうして怒られたのかがわからない私は家ではなく小学校の教室で自慰をするようになってしまいました。
一方で祖父からは身体的な接触が増え、抱きすくめられて唇にキスされそうになったり身体を舐めさせられたりするようになりました。よく分からないながら怖いと感じていたのですが祖父は私の機嫌をとるために、祖母には禁止されていた添加物がたくさん入った市販のお菓子をくれるのでなんとなく言うことを聞いていました。
母は精神的に非常に不安定でおそらく定期的な治療を必要とするレベルだったのですが、祖父母が世間体を気にして適切な対応をしなかったため私が自宅で様子を見ていました。たとえば私が見ている目の前でもリストカットをするのでかなり堪えましたが、事情を知っている周りの大人も手助けしてくれるようなことはありませんでした。また、母はその頃私の身体をしつこくくすぐってわざと失禁させるゲームを楽しんでいました。そのゲームにはときどき見物人として祖母が加わっていたのを覚えています。これが小学生時代の話です。
その後祖父の定年退職をきっかけに隣県へ転居し、なんとか中学校に上がれはしたもののいじめられたりクラスに馴染めなかったりでいつしか不登校になってしまいました。学校へ通えない間は地域の通級指導教室に通い、学習面を補うため塾も利用していました。
家庭では私が成長していくにつれ祖父の性的虐待も深刻になり、母からの接触もどんどん性的な色合いを帯びてきました。祖父は虐待を隠さなくなり、家族が揃ったリビングで私の陰毛を抜くことさえありました。祖母や母はたしなめますがそれも笑いながらで、本気で止めてはくれません。私はどんどん疲弊していきました。
そんな中でいよいよ来年は受験という15歳の秋を迎えました。通っていた個人塾の先生は話がおもしろく親切に教えてくれていました。ところが10月中旬のある日、二人きりになった教室で突然先生から性被害を受けました。
母に相談すると女性の弁護士さんをつけてくれ、一緒に警察に被害届を出しました。早くこの問題から解放されたかったので示談にしましたが、わずかばかりの示談金のほとんどを母が飲み代にしてしまったのを見て虚しい気持ちになりました。毎年被害に遭った日付になると具合が悪くなり何もできません。
その後高校へはなんとか進学できたものの、こちらも馴染めず中退。その頃Twitterにのめり込んでネット右翼とセクシズムに傾倒していた私は、炎上を繰り返し周囲からの信頼を失いました。これは人生で最大の汚点です。一方で面識のない大勢の大人から、批判の範疇を逸脱した脅迫や誹謗中傷まがいの反応があったことは心の傷になってもいます。
18歳頃高卒認定を取得して通信制大学に籍を置きましたが、19歳で実家を離れたとき生活保護を受給するために休学せざるをえなくなりました。現在は高校時代に同じ同好会だった男性と結婚しています。私も彼もそれなりに重い精神疾患があるため、生活は生保と年金に頼っている状態です。
最近は母から時折送られてくるメッセージに悩まされています。内容はたわいもないものばかりなのですが、母とかかわること自体ストレスになってしまうのです。しかし私と連絡が取れないと母は私の周りの人に何度も電話をするので、ショートメールだけでも受け取れるようにしています。
ときどき、生きることをやめてしまいたいと思うことがあります。「私のような悪人が生きていたところで誰も幸せにはならないじゃないか」、そうも考えるのですが、いざナイフを自らの身体に向けると恐ろしくてそれ以上のことはできません。贅沢かもしれませんが幸せになりたいです。
- ココトモInstagramはじめました♪
-
このたび、ココトモの取り組みや想いを発信するInstagramをはじめました。ココトモメンバーたちが試行錯誤しながら運用してくれているので、ぜひ応援&フォローいただけると嬉しいです(*´`)
Instagramはこちら