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10代後半 男性

なぜ人は比べたがるのか

閲覧数822 コメント数21 personさいとう edit2023.11.03

自分は勉強も運動もそこそこできると思っています。だからこそ説得力があると思って話します。なぜ人は他人と比べたがるのでしょうか。なぜ自慢をするのか、とかそういう規模ではなく、受験や就職競走はなぜあるのかということです。文明がなかったらそんなものは存在しないでしょう。
ちょっと思想の強い学生の戯言だと思って聞いてください。
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コメント一覧

  • refresh約5ヶ月前
    さいとう 10代後半 男性
    最近忙しく、コメントができずすみません。
    皆さんとても深く考えてくださっていて、嬉しさと同時に尊敬を感じます。

    もう少し論理的に話を展開して、どちらかと言うと皆さんの賛同(?)を得られるような話をしたかったのですが、私の勉強不足で詰めが甘かったのもあり、やはり既存の常識に対抗する意見を説くのは難しいものがあると感じました。あ、別に賛同を得なくても良くて、否定的な意見をむしろ聞きたかったんですけどね笑 でも、もう少し分かりやすく説明をできたかな、と自分では思いました。また、皆さんの話を聞いて納得した部分もありました。私自身、この話を広げるのは能力不足で限界です。高校生ということに免じて許してください。笑 申し訳ありません。

    でもこの話について皆さんの意見をもっと聞きたいので、何かありましたらお聞かせください。こまめに返信します。
    • refresh約5ヶ月前
      退会したユーザー
      このコメントを読んで、さいとうさんのその熱意と言うか、思い入れというか、単純に言って興味なのですかね、そういうものをとても感じました。それから、この比較というテーマは深めていくととても面白いテーマだと感じています。ですので、また少し僕の感想を話してみようと思います。

      まず、人間の認識についてです。この世界を認識するためには比べるということが必ず必要になってきます。この世界と書きましたが、自分というものについてもそうです。人間の認識システムである五感(心を入れると六感)がありますが、この五感で受け取ったものを元にして、こちらとそちら、これとそれ、そういったものを比較して仕分け、概念化、認識、そして判断がうまれてきます。

      そのように、人間が何かを認識するためには比べるということが必須になっているので、人間は何かにつけて比べる癖をそもそももっているのです。その上で、以前にお話しした、より良くという欲を人間は持っています。それは、人間には自我があるからで、そして、その自我を維持したいという思いがあるからです。自我は比較による認識により、この体を自分だと認識しています。それゆえに、自我はこの体を維持したいという欲を持っています。体の消滅を自我自身の消滅だとも認識しているからです。それゆえに、体を維持できなくなることに不安と恐怖をもっています。

      その欲は精神の安定、維持にも同様に働き、自分にまつわる物理的なことや精神的なことをより良くしようと考えます。そのときに、今ある社会の中では比較をしてあれこれしたほうが自分の維持に都合がいいと思うからそのようにするんです。そもそも、比較をする癖があるので、そのように考えやすいということもこのことに大きく関与しているように感じます。

      今ある社会の中ではとお話したのは、僕自身が今ある社会の中のことしかデータが取れないからで、恐らくはどのような社会であっても、そして人間社会でなくても同様でしょう。生き物であれば自我を持ち、そして認識は比較から始まるのでしょうから、恐らくは同じように比較、そして競争というものは生まれがちだと思います。例えばですが、オスはオスのカッコよさを競争しますし、メスはメスでそれを比較しますよね。

      それから、さいとうさんが意見の広がりに限界を感じたり、詰めが甘くなると感じる原因ですが、それは常識に対抗しているからではなく、科学的でないからです。科学的というのは、推測や感想を積み重ねるのではなくて、観察から積み上げられたデータを積み重ねるという方向性です。まあ、今回のような場合は思考のお遊びでしょうから、そこまで科学的でなくてもいいのだとは思いますが、論理的に話を展開しようと思ったら科学的である必要が出てくるように感じます。

      さいとうさんの場合、思考力というのですかね、頭の回転力や発想力というものはとてもあるように感じるのですが、その元になるものが観察から積み上げられたデータではなくって、推測や感想であるところがあまりにも多いように感じます。これは学校の勉強や業務をするための学習などとは別の能力が必要で、それはものごとに対する観察力です。この観察力を養っていけば、自然と実態へのデータは集まってきて、それが論理的な話の展開へ繋がる力になっていきます。

      とまあ、勝手にアドバイスもしてしまいましたが、さいとうさんはこういう類のお話も好きなのではないのかなと思い、ちょっとついでに話してみました。

      今、高校生なんですね。謙虚さと誠実さがとても感じられ、その点に関してはとても頭が下がる思いです。未だにそうですが、僕が高校生だったころなんかは今以上に傲慢で何の謙虚さも誠実さも持っていなかったように思います。個人的にはこのテーマへの興味と言うよりは、その人間性に触れにきたような感じです。まあ、そういうわけで、あれやこれやとコメントしてみました(^^)
  • refresh約6ヶ月前
    ゆず 10代前半 女性
    はじめまして、よろしくお願いします。

    人間には「優越感」というネガティブな要素が備わっているため、
    人々は他人と比較したがるのでしょう。これは私個人の考えです。実際、「見栄っ張り」は無意識のうちに形成され、みんな自分が比較していることに気づかないかもしれません。ただ「私はこの点で優れている」と言うだけで、比較が始まってしまいます。人間は競争心がありますから。これにはさらに多くの要因が関わっています。
    「見栄っ張り」が存在すると、競争も避けられません。人間の本能とも言えるでしょう。
    しかし、もし人間の本性にこの要素が存在しないとしたら、文明の進歩は遅々として進まないでしょう。競争や刺激がなく、容易に満足してしまうと、文明は進歩しません。
  • refresh約6ヶ月前
    さいとう 10代後半 男性
    またお返事をいただけて嬉しい限りです。多くの人が答えてくださっているので、まとめて私の考えを伝えます。

    確かに自分が気にしなければ、または気にしないくらい価値観の離れた人であれば比べる事にはならないのかもしれませんね。比べられるということは自分自身とその対象が社会的にも精神的にも近しい位置にあるということを意味しているのかもしれないですね。


    しかし、やはり気にしてしまう人は不憫ですね。周囲と違う=悪いという集団的な価値観がやっぱりよくないと思うんですよね。働いてない(お金を稼いでいない)=悪い という認識じゃないですか。一般的には。それがなんで悪いかって言われると、「社会のためにならないから(かなり省略しています)」とかなり論理的に返されてしまいます。しかしこの論理的な理由って、社会のためになる=良い という考えの上で成り立ってるわけで、そもそも社会(文明)がなかったら?とやはり考えてしまいます。論理的な説明というものがおかしな(この世に存在していない第三者視点から見たとして)設定の上に成り立っているのは個人的には納得できないんですよね、、

    これを分かりやすく説明すると、
    この世には実数と虚数がありますよね?(他に良い例が思いつかなかったので高校生の知識で勘弁してください)
    中学校で習う二次方程式だと、虚数になる場合は「解なし」となってしまいます。
    これが私たちの世界(地球でも宇宙でもこの世でもいいです)とします。でも、虚数を学んだ私達からしたら、それっておかしいですよね。

    私達人間は、集団として文明を作り上げていくかわりに、ルールを課してしまっていると私は思います。別に革命を起こして世界のルールを変えようなんて思ってないですが、現在の状況が完全に正しいとは私は思いません。
    郷に入っては郷に従えという言葉がありますが、その「郷」が、この世の全てとなってしまってはどうしようもありません。

    話が逸れてしまいましたが、人と違う=悪い
    という認識は、そもそもどのようなものが普遍的であるかということに帰依している、ということです。

    皆さんの意見をお聞かせください。
    • refresh約6ヶ月前
      Gash Kiyo 30代 男性
      そのルールは集団とか地域によって変わってきますね。所変われば
      品変わると言って。
      ルールって言うと機械的に聞こえるけど、実際はかなりしなやかで
      有機的なものだと私は思います。
    • refresh約6ヶ月前
      退会したユーザー
      不快に感じられたらご免なさい。

      さいとうさんの真意は何処かな〜と思って眺めているのですが、まあそんなところも含めてずっとその話題をしていると考えると少し面白くも感じますね。
    • refresh約5ヶ月前
      さいとう 10代後半 男性
      もちろんわかっていますよ。笑
      意見を言うだけの私と違って深く考えてくださっていてとても嬉しいし凄いと思っています。
      確かに、動物の話はそうですね。一人で生きていくのはどの動物も難しいでしょう。
    • refresh約5ヶ月前
      さいとう 10代後半 男性
      分かりづらくて申し訳ありません。
      自分は高校生ながらいつもこういったことを考えてしまい、そういった解決策を考えると結局理想論になってしまう、良く言うと壮大なことについて疑問を感じてしまうんです。なので、私のそういった考えを誰かに共有してみたくて投稿しました。世間一般(?)の方の意見が聞きたいので、真意と言えば、ただ他の人の話を聞きたい、ですかね。
      私が投稿したのに聞く側に回るというのは変かもしれないですね笑
  • refresh約6ヶ月前
    銀ノ月 20代前半 男性
    はじめまして、銀ノ月と申します。
    なぜ人は比べ「たがる」のかという言葉が印象的だったので、コメントさせていただきます。

    私の考えを伝える前に、1つ質問をさせてください。
    さいとうさんが考える、人が他人と比べたがっている「こと(対象)」とは何でしょうか?

    私はこのスレッドを読んで、初めは「人間の能力」を何故他人と比較したがるのかということなのかと思っていました。
    しかし、”なぜ好きなように生きることが出来ないのか”というさいとうさんの思いや”他人の目”という言葉から、私は「世間一般で誰もが通るだろうと考えられている生き方」と「好きなように生きる生き方」が比較対象なのかなと考えました。

    私は国語力がないので、さいとうさんが尋ねたいことを正確に出来ていないかもしれません。この質問自体も的外れな気がしますが、答えていただけると幸いです。
    長文失礼しました。
    • refresh約6ヶ月前
      さいとう 10代後半 男性
      コメントありがとうございます。
      結論から言えば、貴方の仰られた事はどちらも対象です。
      初めはわかりやすいように受験や就職での競争について言いましたが、それは大元をたどれば人間の思考に基づくものだと考えました。その思考を一般化して考えるために、生き方や他人と比べてしまう本能に話を繋げました。
  • refresh約6ヶ月前
    さいとう 10代後半 男性
    私は、ごく普通の高校生で、運動も勉強も人並みにはできます。嘆いてる訳ではないのでご了承ください。

    なんで人は比べたがるのか、それは私とっては永遠の疑問です。受験や面接、東西ドイツの話を聞かせてくれた方もいましたが、それは確かにそうですね。大いに共感します。しかし、私が話したいのは社会的で論理的な理由ということではなく心理的な話です。
    この違いが伝わるか不安なので説明します。ここで言う社会的な理由とは、「競争させた方が良いものが生まれる」などの利益や社会の仕組みに基づいた理由のことです。一方で心理的とはどのようなものを指すのかと言うと、まさに「人はなぜ比べたがるのか」ということです。比べるのかではなく比べ「たがる」のかです。受験や面接を行う理由ではなく受験や面接のようなシステムを人間が生み出してきたのはなぜか、私はそこに疑問を感じます。

    文明が生まれた時、人間は競争した方が文明が発展していくぞ!と考えたでしょうか。それは流石にありえませんよね。なんか規模が壮大になってしまって、何言ってんだこの高校生はと思われるかもしれませんが、単刀直入に言うと、なんで好きなように生きることができないんだ、ということです。

    好きなように生きれるだろ、と思った方、その通りです。もちろん、狩猟採集で生きたければ勝手に生きることが出来ます(法律による妨げはこの話に関係は無いので考えないとして)。しかし、世の中には他人の目というものがあります。もちろん、好きに生きるならその覚悟を持って生きろと言われればそれまでです。ですが、他人の目とは一人の人間にとってはとても大きな要素です。あなたが野球を習っていたとして、世の中ではそれが特異とされていたら、あなたは野球を続けることができるでしょうか。想像しにくいかもしれませんが、私が言いたい「比べる」というのはこういうことです。

    沢山のコメントありがとうございます。質問お待ちしております。皆さんの意見も聞きたいです。
    • refresh約6ヶ月前
      退会したユーザー
      成る程。
      その「比べる」ことに関してはどうしたものか案件なのが正直な気持ちですね。
      未練を断ち切れば良いのかもしれませんが、果たしてそれで良いものか否か。
      ある感覚での答えと別の感覚での答えも違うように感じます。
      こんな回答は期待されていないかと思いますが、さ いとうさんはもう決断なされているのでしょうね。
    • refresh約6ヶ月前
      おきくさん 30代 女性
      最初に文明が形成されていった頃、そこには「リーダー」的な存在が現れたと考えられ、そのリーダーは「より強いチーム、社会」をつくるために「優秀な参謀や力持ち、多様な能力者」を自分の近くに集めようとしたのではないかと思います。そこから今度は「リーダーに抜擢されたい」人たちが「自分の能力を周囲に知らしめようとする」ようになった、という仮説はいかがでしょうか。結局、リーダーに評価されれば、生活水準は良くなったと考えられ、その積み重ねで私たちは「周囲より優れた能力を誇示する」ような「マウント合戦社会」を形成するに至ったのではないかと、こちらのスレッドを読んでいて考えました。より多くの人たちが「自分らしさを活かして」生きられる社会の形成はかなり昔から政治の目指す方向となってはいますが、まだまだ「うまくいっていない」というのが今の状況かなと私は感じています。人と人が「蹴落としあう」のではなく、「支え合い、大切にしあう」ような社会、風潮が根付いていくといいですね。私たちは社会の中で生きている以上、常に「社会的責任」も背負ってしまうため、「社会の中で最も生きづらく」なっている方々の状況を常に考えながら生きる必要があると私は個人的には思っており、さいとうさんの今回持たれた疑問はそういったこととも深く関連しているように思います。
  • refresh約6ヶ月前
    メンバー
    ほめほめ 20代後半 男性
    さいとうさん、こんにちは
    相談ありがとうございます。

    当たり前に皆がやっていることに疑問を持ってみる
    素晴らしい姿勢ですね

    文明がなければ、受験や競争はない。と考えておられるのですね。
    よければ、どういうことか教えてください😌

    併せて、さいとうさんの考える文明の定義
    動物界にも競争や闘争の先に優劣がつくこと自体はありますが、このことについてどのように考えているのかも教えていただけると嬉しいです
    • refresh約6ヶ月前
      さいとう 10代後半 男性
      確かに動物界にも競走はありますね。実を言うとそこはあまり考えていませんでした。動物は既に自由に生きることができている、というのが私の意見です。動物は争わなければならない状況におかれているのか、争いたいから争っているのか私はまだまだ勉強不足で分かりません。だから一応の意見として、文明がないため自由に生きられている、と答えておきます。他人の目という意識があったらもちろん話は別ですね。
  • refresh約6ヶ月前
    Gash Kiyo 30代 男性
    初めまして。思うのですが、就職活動の場合、
    1つの募集に何十人も応募するなんてことがザラに
    あります。対して当然企業だってそんなに全員雇える
    「お金」が有る訳では無いから定員数を決めて採用します。

    そうなると、「全員は雇えないから、試験で優秀な人を
    5名選抜して雇います。」という形になります。
  • refresh約6ヶ月前
    退会したユーザー
    まず、比べるということと競うということを分けて考えた方がいいのかなと思いました。

    比べるというのは単に比較すること。競うというのは相手や順位を意識して自分が上に行こうとすることだと思います。

    そして、何故そのようなことをするのかというと、比べる、競う、どちらにしても、より良くしたいという願望を人間が持っているからだと思います。

    適材適所になればものごとはスムーズでしょう。その方がより良くなると思っている。だからそうするために比べたり、そして比べるために競わせたり競ったりするのだと思います。

    多くの人から少人数を選ぶ時に、比較することがよりよい選択をもたらすと多くの人は考えます。教育機関であれば、基準の学力と比較したほうが、教える方も教わる方もよりスムーズに教育が進むと考えます。

    営利団体でも、利益をより出しそうな人を比較により選ぶことが、会社にとってより良いと考えます。就職を希望する全ての人を雇えるわけではないですからね。

    競えば自分自身の力を確認できますし、他者に向けてアピールできます。自分自身がよりよい教育を受けたり、よりよい職場に行くことを考えれば、競う気持ちも出てきやすいのだと思います。

    競うことで自己研鑽、あるいはお互いに切磋琢磨し合えるという人もいるでしょうけど、それも競うことが自分自身、あるいはお互いをより良くしたいと思う気持ちがあるからでしょう。

    まあ、だから、自慢したがるというのも同じことだと思います。そうすると自分の気分をよりよくできると思うからそのようにするのでしょう。

    何を良いと考えるかは人それぞれ違ったりするとは思いますが、何をするにしてもしないにしても、基本的には全ての行為は、物理的なことや精神的なことをより良くしたいという人間の願望がそこにあるからだと感じています。
    • refresh約6ヶ月前
      さいとう 10代後半 男性
      真剣に考えてくださり、分かりやすい返答ありがとうございます。

      しかし競うは比べるから来ているのかもしれないと私は思います。競うはシステム、比べるは心理だというのが私の意見です
    • refresh約6ヶ月前
      退会したユーザー
      まあ、いろんな意見がありますよね。理屈の世界は無限ですね。

      *一度いろいろと書いていたのですが、ちょっと内容を変えました。
  • refresh約6ヶ月前
    さいとう 10代後半 男性
    誰か聞きたい人がいるなら話します。特に誰かに押し付けたいという訳でもないので、聞きたい方はコメントお願いします。
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