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一緒にお話したい

綺麗事は残酷だと思います
visibility182 edit2025.05.12
母と暮らしているのは今現在私一人です。母の後遺症は要約すれば「ボケている」というイメージです。昨年、母が入院中に父が亡くなったのに加え母自身倒れてから食が細くなり必要な食べ物は減ったというのに、そのことを考えないため外食に行けば食べ物を残すので私が母の分も無理して食べたり、購入した食べ物が痛んだり、食べかけのものを処分することがよくあります。私が定期的に家を片づけていますが、片づけた先から散らかします。以上のことを注意しても改善することはありません。以前の母であればこんなことはなかったと思うので、おそらくは後遺症です。
私は母の後遺症の影響で起こる不利益を許すことができないのです。以前、私の靴と母の靴を片方ずつ履いて出かけて行ったこともありました。きっと本来、「後遺症だから仕方ない」と思うべきなのだと思います。そう思おうとして、そう納得させようとしますができません。どうしても苛立ちますし、なぜそんなことになるのだと「後遺症だから」という答えがわかる疑問を抱えます。
遠方で暮らす姉がいるのですが、母のことを話せばいつも「後遺症だから責めてはダメ。仕方がない」という軽く説教じみたことを言われます。これは綺麗事だと思うのです。姉は結局は一緒に暮らしているわけではありません。割と高頻度で実家に帰ってくる方だとは思いますが、それでも数か月に一度数日間のみ。電話をしたり、LINEをしたり、様々な形で日々やり取りはしていても毎日一緒に暮らしているわけではないんです。母の後遺症の影響で起こる不利益の被害を被っているかといえば、私が知らないだけかもしれませんがそういうわけではないと思います。
後遺症だから仕方がないことは分かろうとしていますが、仕方がないからと全てを受け入れることができません。きっと私の心が狭く、障碍者を配慮する心がない優しくない人間だからです。どうすれば以前の母と比べなくなりますか。どうすれば仕方がないと諦められますか。正直、母が死んだ方が楽になる気がするんです。母が死ねばもちろん悲しく、ショックですがどうしても解放された、と過ると思います。
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