赤いうわばきを、買いました。

こんにちは、キュウです。

最近、赤いうわばきを買いました。

ただそれだけのことなのに、そのときに感じたことがかなり衝撃的で、そこから親との関係について改めて振り返るいい機会になったんですよ。

というわけで、キュウのカジュアルブログ、今回は共依存・過干渉について考えてみようかなあ。

よろしければお付き合いください^^

赤いうわばきを買いました

キュウは最近、保育園で働き始めました。1ヶ月くらい前のはなしかなあ。

そこでは、うわばきが必要だったんですよ。あの、小学生が履くようなうわばきが。

でも、大人になってからそんなうわばきなんて使わないから持ってなくて。新しく買おうと思って靴屋さんに行くと、赤、青、黄色、白の四種類のうわばきが置いてありました。

 

最初は、黄色いうわばきにしようと思ったんです。

赤は女の子の色、青は男の子の色。幼い頃からそういう刷り込みがあったからなのか、どちらにもなりたくない!と思ってしまうひねくれ者のキュウは、たいてい赤と青以外の選択肢を選ぶ癖がついてしまってました。

でも、その時は迷いに迷った末に、なんとなく赤色の上履きを買うことにしたんですよね。

商品をもって、レジに進み、お金を払って赤いうわばきが私のものになったとき。なんだか、心がスーーって晴れやかになっていくのがわかって。

「なんだこのきもちは!?」

と驚いて、なぜ心が晴れたのか、数日の間思い巡らしていました。

心が晴れたわけ

思い返せば私、小学生の頃、自分の意思で買い物ができるようになってからずっと、青いうわばきしかはいてなかったんですよね。うわばきだけではなく、洋服も青い服ばかりで、自分は男になりたいんだと主張していました。弟の服とか靴とかも借りて、よく着ていたなあ。 それはきっと、親やまわりから「女の子なんだから」と言われていたことに対する自分なりの反抗だったんだと思います。

当時は考え方にボキャブラリーがなくて「男になりたいんだ」と思いそのように動くことでしか反抗できなかったけど、それは本当は「女の子だから、と決めつけられたくない」という気持ちだったと思います。多分、本当に男になっちゃったら今度は「男の子だから」という決めつけが始まるから、女にも男にもなりたくないのが本心だったのでしょうね。いや、性別は女の子でいいけれど、女の子だから、と決めつけられたくないというのが正確な気持ちだと思います。

でも、今は一人暮らしをして親から離れ、周りにそんなこと言う人など居なくなりました。まあ、生きてるとたまに言われるけど、その言葉は私の心にとっては、親ほどの影響力は持っていません。

そう。きっと、心が晴れたのは、「女の子で居てもいいんだよ」と、自分に許すことが出来たという事だったのでしょう。

 

「もう、何も抗うものがなくなったから、赤いうわばきが買えたんだ」

 

そう悟ったとき、親の呪縛から、またひとつ解放された気がしました。

キュウはアダルトチルドレン(AC)

アダルトチルドレン(略してAC)って、ご存じですか??

「機能不全家族のもとで育ったことにより、成人してもなお内心的なトラウマを持っている人」をそう呼んだりするそうです。(wikipediaより)

機能不全家族、という定義がまた難しいんですが、まあ私の場合は一定の年齢を過ぎても親が子離れできなかったために親と共依存関係に陥り苦しめられた、と言ったところでしょうか。

「子供の幸せは自分が一番わかっているはずだ」という勘違いのもと”子供の幸せ”を願う(=自分の思い通りに育てたい)あまり、手取り足取りあれはだめ、これはだめ、こうしなさいああしなさい、これが一番いい道だ、など口を出してくる親で、しかも私の方も、親の言うことを聞くことで自分の「必要とされたい」という欲を満たしたかったのだと思います。無意識のうちに、だけど。

そんなお互いの欲が複雑に絡み合い、共依存は成り立ってしまっていたのでした。

私はきっと、ACだからこそ共依存に敏感

共依存、って言葉、ご存じですか??ウィキペディアで調べたところ、共依存はこんな定義になっていました。

共依存とは、自分と特定の相手がその関係性に過剰に依存しており、その人間関係に囚われている関係への嗜癖状態を指す。すなわち「人を世話・介護することへの依存」「愛情という名の支配」である。共依存者は、相手から依存されることに無意識のうちに自己の存在価値を見出し、そして相手をコントロールし自分の望む行動を取らせることで、自身の心の平安を保とうとする。

共依存という概念は、正しく使えば他者と自己との分離、精神的な自律に役立つ。しかし、共依存に対する誤った認識を持つと、「自分が共依存であるからいけないんだ」という考えにより自らを追い込む可能性があり、注意が必要である。そもそも人間関係において誰かに依存するということは病理とは認定されておらず、あくまでも当事者自身が関係に苦痛を感じていることが問題とされる。

 キュウは共依存が苦しかった

私はきっと、親と共依存の関係だったと思います。というか、ACの人は過干渉な親とそれに応える子供、という共依存関係が成り立ってしまっていたからACなのかもしれないのですが。特に、私みたいな「ケア・テイカー(世話役)」タイプのACはみんなそうなのでしょう。(アダルトチルドレンにはいくつかタイプがあるみたいです)

共依存って、依存する側はもちろん、依存される側も、依存されることで自分の生きる価値を見出している部分があるから、「自分が依存されている」ということに依存しているんですよね。多分。

 

そして、それはきっと、私にとって本当の幸せではなかったんです。

だって、ずっと訳もわからず死にたかったから。

ココトモに来て、「親からの依存に応えなければならない」という生き方に価値を置かなくていいんだと気付いてからは、かなり自分の生き方を見失いましたね。親のためにと空気を読みすぎて生きていた私が、いきなり「自分でなんでも選んでいいよ!」という状況に直面しても、それは全く知らない世界で、右も左も上も下も前も後ろもわからないので、恐怖と不安ばかりを感じていました。というか、そもそも「自分が何を選びたいか」なんてわからなかった。 今までは、「親は(神様は)私にどうして欲しいのだろうか」という基準でしかものを選んだことがなかったんですよね。 自分で自分のために何かを選ぶのがどうしようもなく怖かったし、何を選んでもいい、という概念を受け入れること自体が難しかった。

何を信じて、何を頼りに歩けばいいのか。 何が「正解」なのか。 どこに行けば私は幸せになれるのか。 それを、導いてくれる人や教えがどこにもなくなったから。

「親のいうとおりにしていれば幸せになれる」

「神様の戒めを守れば幸せになれる」

その”刷り込まれた真実”を鵜呑みにして、そう思い込んで動いていた頃の方が、なぜか安心感があったんです。

 

これをしていれば安心、ということを全部教えてもらえるからかな。

目の前の「やるべきこと」をこなすことがとてもわかりやすい「幸せ」だったからかな。

 

疲弊しても、「幸せのためには辛いこともある」という言葉で、そういう苦しみなんだと思ってへっちゃらになってたし。「幸せ」とか、「自由」という概念を勘違いしていたんじゃないかなあ、多分。

誰にも影響されなくてよくなってからも、自分の目上だと感じる人には「この人のご機嫌を損ねてはいけない」と感じてしまってどうしても心が開けなくて、ご機嫌を伺っては言う通りにしてしまう自分がいて。 親がいなくなってからもまだ、人に振り回される性質が残ってるんだなあと、自分にがっかりしたりとか。

それで傷付いて友達に話をしたときに、「もう、何でも好きなように選んでよくなったのに、嫌な人と一緒に居ることを選ぶって面白いねえ。」って言われて、ハッとしたりとか。   でも、なかなかやめられない依存したい気持ち。 依存しないで自分の道を歩めること、を、認めるのが怖かったのかな。 依存は私を苦しめました。

依存されることの利点

もしかしたら、依存は、それまでの私の生きる意味だったのかもしれません。

依存されて、依存して。

それで「私にはこの人しかいない」「この人には私しかいない」という特別感に浸ることに、安心感を見出だしていたのかも。

 

当時は「私しか母親をわかってあげられない」みたいに思ってたし、「母親しか私をわかることができない」みたいにも思ってたし、そのことが嬉しくさえあったんですよね。 相手に頼りにされて、ありがとうと言われ、相手のために我慢を重ねる自分は「我慢の大きさだけ相手を愛せている」という気持ちになり、その事に満足感を得る。それが、本当の愛だと信じて疑わない。

あれ?結果的には、相手を愛せている自分に酔ってたのか。 依存って、それだけ心地よかったんだな。

 

いつからか、それが「私はもう心は独り立ちできるように感じているけど、親が寂しそうだから踏み出せない」「今がバランスが取れているから、崩れるのが怖い」「親に甘えて頼ってあげないと、今度は私が見捨てられるかもしれない」に変わっていました。

親を言い訳にして一歩踏み出すのを躊躇っていた自分が弱い人間だと感じていたし、そんな自分が醜かった。甘えた自分が嫌いでした。

かたや、親の言うことをきいていると安心している自分がいて。でもそれは甘えだとわかっているから、本当の幸せじゃないこともひしひしと感じていて。

 

「親は何故私を突き放してくれないんだろう。」

「何故背中を押してくれないんだろう。」

「本当に私の幸せを願うなら、自立のために『自分のことは自分でやれ』と突き放す(背中を押してくれる)はずなんじゃないのか。」

「『結婚するまで養ってあげる』なんて言うけど、このまま親に養われていたら結婚などできないに決まってる。自立しなさいと子供に説くくせに、自立の大切さをわかっていない。何を言っているんだこの人たちは。」

 

なんて思いながら、苦しい日々を送っていました。 そんな思いも全部全部、自ら親と離れる勇気のない子どもの甘えた言い訳だ、と、自分を蔑みながら。

手を出す時期と、見守る時期

親との共依存や親の過干渉って、難しい問題ですよね。

私は、親が子供に干渉して手取り足取り教えることが必要な時期も、あると思うんですよ。

保育園で働いていると、嫌なことをされても人に噛み付いてはいけないとか、手ではなくスプーンやフォークでごはんを食べましょう、とか、子供が喧嘩をしたら仲直りの仲裁に入ったり、それはそれは辛抱強くなんども教えていく必要のあることばかりで。

でも、ある程度の年齢を過ぎて、着替えとか、ごはんとか、基本的な生活が少しずつ自分でできはじめると、今度は「自分でやりたい」を尊重したり、もうできるから自分でやりなさいと促したりして、手を出さずに失敗を見守る時期がくる感じがするんですよ。失敗の後のサポートはするし、時間がないときは先生がやっちゃったりもするけど。

それと同じで、精神的にも、手取り足取りサポートする時期と、それを経てある程度自分で考えて自分で行動できるようになってきたら、手を出さずに失敗を見守る時期ってのもくると思うんです。もちろん失敗の後のサポート付きで。

 

しかも、それは極端に2分化されるものではなくて、

依存8:自立2

とかの状態から、

(出来事1)依存7:自立3

(出来事2)依存8:自立2

(出来事3)依存6:自立4

みたいな、波を経て、だんだんと自立の割合が多くなっていくもんじゃないのかなあと思うんです。そのペースは子供によって様々だと思うけど。

私は子供を育てたことはないので偉そうなことは言えないのかもしれないですけど、やっぱり、子供には、ある程度の干渉が必要な時期と、自立を促すためにあえて手を出してはいけない時期、というのがあると思うんですよ。その時期を見極められずに、ずっと手取り足取りしてしまうと、自立の妨げ(=支配・過干渉)になるのかなあって。

つまり、私が中学一年生の頃に将来の夢を考えるように促したのは普通の干渉だったのかもしれないけど、もう20歳も過ぎて自分の人生は自分で決めていけるのに、そこを「こうしたら幸せだから」と決めて、できてないことを責めてしまうのは、過干渉であり支配だったのかもしれません。

もしかしたら、私が辛かったのは、途中まではよかった干渉が、いつからか、もう私の心は精神的に自立する準備ができていたのに親が子離れする時期をわからずに干渉だけが続いた、ということなのかなあ。あとは、その前の時期でもステップアップして自立を促すのがヘタクソだったのかもしれないですし。

 

もしそうだとしたら難しいですね。私が最初の子供だったから、初めての子育てでそういう感覚もわからなかったのかもしれません。

そう考えると、許す許さないとかの問題じゃなくて、あー、うちの親は私の自立のタイミングの見極めができなかっただけなんだなあ、という出来事だけを受け止めることができるかも。そうすると、あまり怒りも感じなくなってくるし。

 

まあでも、それはきっと、もう親とも連絡も取らなければ、会いもしなくなったからだし、親が自分にとってそんなに重要な人ではなくなってきたからなのですが。

 

いや、でも、苦しかった原因というのはそれだけではなくて、最初に挙げたエピソードのように「女の子なんだから」という差別的な価値観で私を批判したり、自分の思い通りに育てたいあまり子供の心にしっかりと向き合うことが下手な親だったというのもあると思いますけど。

 

うーん、まだまだ、過干渉については消化できてない部分もあるので、なんとも言えないですね。

そして、一言で結論に導けるほど簡単な問題でもないと思います。

おわりに

今回は、親の過干渉について考えてみましたが、いかがでしたか??

私は、最近自分が保育園で働き始めてから、うわばきを買ったり保育をするうちに

“干渉や依存が全て悪い!!”

ということではなく、

“それが適切でない形で存在していて、どちらか(もしくは両方)がずっと我慢して辛い思いをしている状況”

があまりよろしくないということなのではないか?と思い始めたので、そういう視点から共依存や過干渉を振り返ったらどうなるんだろう?と考えてこの記事を書いてみようと思いました。

 

まあでも結局は、私の親は

「子供の幸せは自分が一番よくわかっている」という勘違いのもと、”子供の幸せ”を願う(=自分の思い通りに育てたい)あまり、子供の心にしっかりと向き合うことが下手な親”だった

というのが一番しっくりきて、やっぱり自分の親は変だったんだなあというふうに落ち着きましたが。

 

これからも、ゆっくりと自分のACに向き合っていきたいと思います。

では、また^^

 

キュウ

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