ハグは温かい
edit2016.10.03 1,719
こんばんは、キュウです。
先日ココトモハウスに行ったのですが、その時に感じたことがありました。
きっかけは、何気ないことだったんです。
いつもの通り、来てくれた人たちが帰るときに「気を付けてね」とハグをしただけなんです。
でも、なんかそれがとても心に残ってて。
私が抱き締めた人たちの反応はそれぞれ、涙ぐんだり、ほんのり目に光が灯ったり、ありがとうと言葉にして私に伝えたり。どの人も私からちゃんと温もりを受け取っているように感じました。
それを見て、そういえば、ハグってあたたかかったなあって。
最近ハグを躊躇うようになっていたから、余計に感動したのかも。誰にもなにも言われてないのに、勝手にハグを躊躇うようになっていたのは、他でもない私自身でした。
というわけで、少し、キュウのカッコ悪い話にお付き合いください(_ _)
ハグは温かい
そういえば、私、最近は人にハグをすることはあっても、人からハグされるようなことは無くなったんですよ。
以前はそういうのが普通の環境に居たのでハグをしたりされたりだったのだけど、最近はそこにも行かなくなって、私を自分から抱き締めてくれる人は鷹れんちゃんのみになってました。(organさんも卒業しちゃったし。)とはいえ、鷹れんちゃんにいつでもハグしてもらえるわけではなく、そもそも会える機会も少なく、久しく人からハグされてなかったなあと。
「あれ?人にハグされるって、どんなんだっけ。」
そんな大事なことを、体験することがなくなったからなのかいつのまにか忘れていた私は、人にハグするのが怖くなってました。
一体、みんなは私にハグされて嬉しいのだろうか。意味はあるのか。こんなことするのは私ぐらいだろう。このまま続けていいのだろうか。
そんなことをぼんやり考えては、躊躇うようになっていきました。そんな気持ちではできないこともしばしば。
でも、そういえば最近私がハグした人たちは、こらえていた涙を見せたり、嬉しそうな顔をしたり、どの人も良い顔をしていました。
そういえば、私が悩み苦しかったとき側に居てハグしてくれた人たちの温もりはどれも心地よかったです。
そういえば、嬉しいとき、抱き合った仲間たちの体からは喜びが滲み出ていました。
そういえば、私の心が孤独で怯えていたとき、されて嬉しかったのがハグでした。そういえば、人の腕に抱かれながら泣くということは、とても心地よかったのでした。
そういえば、私はハグされるのが好きでした。笑
そうだ。ハグって、あたたかかったんだ。嬉しかったんだ。もっと、ハグが与えるいい影響に自信を持ってよかったんだ。私は大好きな人たちを抱き締めてもいいんだ。
怖くて誰にもできなくなるくらいなら、抱き締めたいと思った人を、抱き締めたいと思っただけ、抱き締めてしまえばいい。
ハグには愛や温もりを伝える力があると、そういえば私は身をもって知っていたのでした。
人を傷つけるのが怖い
私は人を傷つけるのが怖いです。看板スタッフをしていた頃より、自分の愛に自信を持っていません。
看板スタッフを卒業するとき、スケジュールが合わなくなったのも、ここよりも目標に向けて時間を割きたくなったのももちろん大きな理由でしたけど、その他の心に秘めた理由として「このままだと私に会いに来てくれる人たちを傷つけてしまうと怯えたから」というのもありました。
当時の私には、大きな変化が訪れていました。自信がなく怯えていた私が皆に愛を与えることで生きる意味を見いだしていたところに、自分の人生にとっての大きな転機が訪れて、自尊心の無さや恐怖などのネガティブな感情が一気に10から2ぐらいになったんですよ。それは、自分には価値がないと頑なに信じていた心を、いやあなたには価値があるんだと根底から覆してしまうような出来事だったんです。そうなると、私は多分次のステップに移ったんでしょうね、悩みに共感するだけでなく、アドバイスをしたくなってしまうようになりました。
最初はとっても我慢してたんです、自分が人に悩みを話すときはアドバイスをされると混乱するから。そもそも、悩みの答えは自分自身の中に眠っているものだと思っていたので、それを引き出すお手伝いをするイメージで話を聞いていたのに、なぜいきなりこんなにもアドバイスをしたくなってしまうようになっているのか。
なぜかと言えば、誰かの悩みを聞いていると、自分が乗り越え終えた苦しみと似ていれば似ているほど心の鎖ワードが見えてきて、ズバっとアドバイスしたくなる気持ちが抑えきれず溢れてきてしまうのを感じるからで、このままではヤバイと思いました。心の鎖ワードに気付くのは本人であって欲しかったし、それが一番効果的だと思ってたから。私が投げかけたくなる言葉たちはきっと、私が自分を相手に投影しているだけにすぎず、本当に問題の本質を知っているのは本人だけだと思うから。
「私はこの鋭い言葉でいつか誰かを傷つけてしまう。いや、もう既に傷つけてしまっているのかもしれない。」
確か、その時にこの恐怖をひまわりちゃんとかに言ったのかな。彼女はそんな私に、自分はキュウちゃんがズバっと言ってくれたのが良かったんだと言ってくれた記憶があります。
もちろんとてもありがたかったけど、それだけでは自分の中にある「人を傷つけるかもしれない」恐怖は無くならず、(今思えば、それは、自分に訪れた予期せぬ変化がもたらす未来が見えないことへの不安だったのだけど)スタッフを卒業してからもずっと、モヤモヤしていたのを覚えています。
「いつかまた看板スタッフのようなことをしたい、でもどうすればできるのかわからない、今はとりあえず目の前のことを精一杯やるだけ。」
そう思って、まずは訪れた変化に適応しようと思い、何度もゾノさんやその他の友達の助けを借りながら、だんだん心が落ち着いてきたのが本当に最近。まだ落ち着き切っては居ないのかな、多分。
そんな今の私には、そんなにアドバイスしたいならしてみたらまずしてみたら良いんじゃないか?という視点も加わりました。どうしても気持ちが抑えきれないのなら、しばらくアドバイスするスタンスで人と接してみて、それでも良かったと思えないのならその時にやめてしまえばいい。せっかくわいてきたアドバイスによって心が整理されるひとも居たかもしれないのに、何を怖がって出し惜しみしているんだ。と。それに、何度か経験を重ねるうちに、アドバイスと傾聴のバランスを取るのがうまくなっていくかもしれないし。
心の動きに身を任せ、本音を解放したときにこそ喜びが待っているというのに、私は自分でその道を閉ざしてしまっていたのかもしれません。
全然、当時の私が人にアドバイスをすることに怯えたことに後悔はしていないけど。
全部が必要な時間でした。笑
私はこれからも、私なりの方法で人に愛を伝えていきます。
おわりに
私の最近の悩みのおはなし、いかがでしたか??笑
私はオルガンさんみたいにいつでも皆にハグできる存在にはなれません。いつの間にか「ハグキャラ」がオルガンさんみたいだと言われることに対して、「そうあらなければならない」という心の鎖が働いて、勝手にプレッシャーに感じていたのは私でした。そうして、他の様々な要素も重なり、いつの間にかハグをする喜びというものを見失ってしまっていたのでした。
オルガンさんがどういう気持ちで皆にハグをしていたのかはわかりません。でも、私は、相手を心から愛しいと感じたり、抱き締めたいと感じたときにするハグが好きです。
私はこれからも、抱き締めたいと感じたときに、抱き締めたいと思った人を、抱き締めたいと思っただけ抱き締めていこうと思います。その瞬間は不意に来るもので、それでいて確かなもので、その瞬間に伝えておきたいものだからです。
皆さんも、よかったら、大切な人たちを抱き締めてみませんか?
ではでは、おやすみなさい(*´-`)
キュウ
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