青春の終わり (SLE体験記①)
visibility1,662 edit2016.12.08
2003年6月24日 17歳の頃です。
全身性エリテマトーデス(SLE)の初めての症状は、全身の異常な倦怠感、微熱、関節痛、頬の湿疹でした。
地元の皮膚科を何回か受診していたのですが、一向に改善されませんでした。
「膠原病の疑いが強い」医師の言葉が理解できませんでした。でも、当時高校生だった私にもこれはとてつもなく嫌な病気なのだな、と思いました。
医師から大学病院を紹介されたことで、私の嫌な予感はますます強まりました。
医師の診断は「全身性エリテマトーデス(通称 SLE)」という聞いたこともない病名でした。
2003年6月24日 大学病院に入院しました。
治療を始める前に2つの大きなことを乗り越えなければなりません。
皮膚採取
正確な治療方針を決めるために、左耳後ろ辺りの皮膚を一部採取します。
腎臓組織検査
腎炎はどのくらい進んでいるのかを調べるために腎臓の一部を採取するという過酷な検査を受けなければなりません。
腎臓は腰の約5~7cm上の位置にあります。左腰に注射器を使って部分麻酔をし、腎臓の細胞一部を採取します。穴が空いているので医師が厳重に止血をし、半日寝返り厳禁。リスクが大きく慎重に行わなければならない検査です。
病気の進行具合と治療方針が決まり、45mgのステロイド投薬治療に入りました。この薬は効果が強い分、副作用も多いので1〜2週間経過を見て良好であれば3〜5mg減量します。不良化している免疫を意図的に抑えているので、大量服用中は感染症予防のために1〜2ヶ月入院をしなければいけませんでした。
高校3年生という忙しい時期と重なった上に、ステロイドの副作用のせいで増幅したイライラ。こんな不治の病なら治療しても無駄でしょう。と医者を恨んだこともありました。
入院中、同じクラスの友人たちがお見舞いに来てくれました。
感染予防のためにマスクをしているとはいえ、頬は赤いし、ステロイドで丸くなった顔という醜い姿を見せるのは気まずかったのと同時に、私のことを本気で心配してくれる素晴らしい友人たちだと心打たれました。
退院後は生活が一変してしまいました。
自宅の最寄り駅から電車で30分ほど、さらに徒歩15分の高校に通うのは何とか越えることができました。
登下校時の際に制服姿で日傘をさすのが苦痛でした。周りからの好奇の視線が嫌で嫌で仕方がなかったのです。
それに体育ができないので、いつも見学する。
幸いだったことは難病を患った私に対してのいじめがなかったことです。おそらくクラスのみんなは私が重い病気にかかって入院していたことは知っていたのかもしれません。でも、誰一人そのことに触れないでいてくれたことがありがたく思いました。
「これから私はどの道へ進んで生きて行けばいいのだろうか」卒業式を迎えた私は独り置いてけぼりになった気持ちでいっぱいで、門出の祝福モードどころではありませんでした。
当時、私は心理カウンセラーを目指して、大学に通うことを希望していましたが、療養を最優先することにしました。
大学進学が決まった人、就職が決まった人。
その中で、私独りだけ生きる屍…難病のせいで青春を奪われたと一層悔しさを強めた一日でした。
次回は 12月15日 【魔のシグナル】と題して、
19歳で1回目の再燃を経験した話についてお伝えいたします。
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