『理解』への理解

 

大学祭関連で、精神的に不安定な状態になってしまい、なかなかブログを書けなかった雪灯です。大学に入って初めての長期休暇明けの登校にて、大丈夫だと思っていたのにいざとなると不安になってしまい。そこに重なるようにサークルでのいざこざがあり。大学祭が終わった今もふっと不安に陥ります。そんな中、昨日、とある出来事があったので、久しぶりに書いてみようかなという気にさせられました。

 

 

理解されない苦しさ

私には、ある種のトラウマと呼べる記憶が大量にあります。尚且つ、今もそれの予備軍とでも言えるような記憶が作られ続けています。具体的にいえば、友達からの些細な言葉とか。今の時期がちょうど、高校時代が終わるまで苦しみを感じ続けた時期と重なるからこそ、尚のこと傷つきやすいのです。

 

 

その中のひとつに、両親によって作られたものがあります。

それは私が中学2年の時のことです。ある夜中、今から寝ようという時に、私は父親から呼ばれました。居間には私たちふたり以外、誰もいません。母親はキッチンで食器の片付けをしながら話をきいていたようでした。その中で差し出されたのは、私が隠しておいたはずの遺書。

「何でこんなことしたんだ」

「母さんがこれ見つけてきたんだぞ」

「これ見ながら泣いてたんだぞ」

大方、言われたのはこんなことだったと思います。私にしてみればそんな話なんて聞きたくなかった。わかってもらえないのにそんな話なんてして欲しくなかった。どうせ親の自己保身だろとも思いました、家庭から自殺者なんてどうかしてるとでも思ってんだろ、と。

 

だから、逃げるように寝室に向かったんです。

でも逃げられなかった。何故なら、追いかけるように母親が寝室に入ってきたからです。

「何で、ねぇ雪灯何で?? 」

そう言って泣かれました。寝室には、まだ幼かったほかの兄妹もいますから、叫ぶように大泣きされるということはなかったです。言わばすすり泣き、というものでした。

当然、母が退室するまで眠れませんでした。寝たフリを続けながら、すすり泣く母親の泣き声をきき続けるのはすごくしんどかったです。

 

話もきいてもらえることが少ないのに、今更そんなこと言って欲しくなかった。私のことをわかって欲しいのに、それは出来ないとわかってしまった瞬間でした。

 

『理解されない』ことへの理解

昨日、約2ヶ月ぶりの通院で、私は担当医の先生にこう言ったんです。

「大学祭あたりから、不意に死にたいと思うことが増えた」

「結構な頻度で、自傷したくなった(実際にはしていない)」

 

担当医の先生はこう言われました。

「それは大人の対応が出来ているんですよ。大人はストレスの発散をする時、弱いものに当たるんです。それがいじめに繋がることも多い。でも、皿を割るとかそうやって物に当たる分には普通なんです。雪灯さんはそれが自分に向いているだけですよ」

「僕だったら親だとしても雪灯さんのことを褒めますよ、よく周りの人を傷つけなかったなって。」

その時、その流れで私は、死にたい、自傷したいって言うのがすごく怖いと言ったのでした。そして、前述の話をした後、だからこそ母親がいる時にその話をするのがすごく怖く思える、と伝えたのです。たまたま、妹の部活の試合に出かけていた母親は、昨日の診察には来られませんでしたから。

 

「それは辛かったですね」

話し終わった後のその第一声に、泣きたいほど安心したことを覚えています。

その時、担当医の先生に教えてもらいました。

「世の中には、雪灯さんが傷ついていることが理解できない、という人もいるんです。それで、多分ご両親もその中に入るんですよ」

「確かに雪灯さんが理解されないことがすごく辛かったですよね。だけど、これからはご両親がそういう人なのだということもわかってあげられると、ちょっと楽になれるかも知れませんね」

 

『理解』への理解

確かにそうなのだろう、と私は思いました。だって、私が自傷行為をしたと知った時、母親が思春期以降の子どもとの関わり方に関する本を買って隠していたことを、私は知っていますから。そこまでわかってもらえないのかと当時は酷く失望したものですが、今にして思えば、それはただ単に親だから心配だったという、ただそれだけだったのかもしれません。

 

そしてきっと、それは友人にも当てはまるのだろうとも思いました。

サークル関係でのいざこざというのは、元々は私が所属する劇団サークルで書いた脚本が原因でした。何度も手直しして、それでも先輩にも信頼していた友人にも沢山ダメ出しをくらって。睡眠時間も確保しにくくなってきた私へのダメ押しの一言が、大学に入ってから初めて出来た友人からの「ゆっきー、観劇とか全然しないからわかんないんだよ」という一言でした。

確かに、私は観劇経験はほぼありません。演劇に関することは、これっぽっちもわかりません。その点は私に非があるのもわかっています。だけど、そのせいで脚本も私自身も何もかも否定されたみたいですごく悲しかった。

周りの同級生たちはだんだん、演劇に熱を上げていきます。でも、それに遅れをとるように何も出来ない、同級生たちのようにガッツリ演劇に向き合っていけない私のことも、彼女らには理解できないのだろうと昨日、病院からの帰りに思いました。

 

 

 

 

『理解されない』ということで苦しむのは、理解されない本人です。でも、だからといって完全に理解しろと強要するのは違う気がするのです。だって、それじゃあみんな、話す楽しみも全部無くしてしまう。考え方も画一化してしまう気がするのです。

 

『理解する』ことは、確かに一部では必要だと思います。アレルギーの患者さんや、私みたいなうつの患者さんにとっては、ある程度の理解は必要です。だって、それは命に関わるものだったり、ただの感情の問題という訳ではなかったりしますから。

だけど、『理解できない』ことにも理解が必要なのだと思います。だって、誰だってそういうことはあるのですから。私にはきっと、それが今まではなかなか見えてこなかっただけなんだなと今回は改めて考えさせられました。

 

 

『理解』への理解も、なかなか難しいものですね(^_^;)

 

 

.*・゚雪灯.゚・*.

 

 

 

 

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コメント一覧

全1件
  1. schedule2018.10.30

    ぬい

    自分が理解できないものをどうするか
    それはひとつ難しいことなんだと思います
    人は自分の理解できないものに直面してしまったときどうしてもネガティブな評価をしてしまいがちなんじゃないかなと私は思います
    理解できないことをそのまま受け入れること
    知らないうちに理解できないものを否定していないか
    すこし立ち止まって自分の心を確認することも大切なのかもしれませんね

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