恐い方が正解で、常識は全部逆で。

こんばんは、一昨日物件見学に行ってきました(3回目w)

同じ場所を3回も連れ回した営業さんには大変申し訳なかった…汗

で、同じ建物内の2箇所で悩んだんです。

広さ6畳、もしくは8.75畳。

家賃は8千円も違う。

8なんて大台の家賃は、私には凄く怖かったです。黒くて大きな魔物を目の前にしてる気分(大袈裟)

今回退去通知が届いたことで…

シェアハウス?

バックパッカー?

ホームレス?

また1人暮らし?

と、9月からずーっと悩んで、もうすぐ2月です。

色々悩んで、でも「これだ!」って見つかることもなく…

大好きなシティハンターの小説も、読んでるようで読んでなくて。

時間はどんどん過ぎて、答えもピンとくるものも見つからなくて。

どうにか1人暮らしの家を探しに行く気になれたらいいのに…でも現状維持では今の実は苦痛な人生は何も変わらない。

動かなきゃ、でも頑張りたくない。

急がなきゃ、でも無理したくない。

今と同じ選択は嫌。でもお風呂はゆっくり浸かりたい。。。ならシェアハウスやバックパッカーやホームレスとか、まず無理じゃん(銭湯とか色々あるけどさ…)

とか、アレが嫌、これが嫌、これが良い、何が良い?何が良いのか分からない。

私らしく生きたいって何?

体調良く働くことが出来ない。

色々我慢も結局出来ない。

周りの言うことは愚痴が多くて居心地が悪くて信用ならない人たちばかりで…

うぁぁぁぁぁぁぁ\\\٩(๑`^´๑)۶////

ってなって、いっそ死んだ方が全て丸くスッキリするんじゃないか?と思いました。

自分の幸せってなんだろう?って。

何がどうしてどう生きてどう生活したら、私は幸せなの?って。

唯一、幸せだったのは、「誰かと本音で話して、その人とその一瞬で終わる関係でも、ずっと続く関係でもどちらでも良い、自由な間柄でいられること」でした。

個性を発揮するこんなことは、この世で私にしか出来ないことで、それは誰でもそうで。あなたも私も、同じように喋り、同じように動くことなんか本当は出来なくて。

でも「好きなことを仕事に!」っていうのも、私は違って。でもお金で悩んでいない訳ではなくて、今の仕事が合っているとも言えないまま2年が過ぎた。

全てが分からなくなって。

誰もピンとくる答えを教えてはくれなくて。

でも元気付けられることは沢山あって。

人に恵まれているとは思っていて。

仕事も二月半ばで一旦辞めると決まってから、肩の荷が降りて。

それでも嘘をついてる部分は延々あって、それが罪悪感になって仕事はしんどい部分は前も今も多くて。

でも、去る日が決まっているのは自分の心には潤いでしかなくて。

幸せだけど苦しくて、楽しいけどしんどくて。悩んでいるけど不幸ではなくて。

多分、本当の本当に不幸とかではなくて、答えが出なくて、自分が納得行かずに悩んでて。このまま流されるように、または納得出来ない風に終わるのが、絶対嫌だった。

1月に入って、三連休に断捨離をして。そのまま毎週色々棄てて。(買ったりもしてたけどw)

そうしてスッキリしたのか、先週土曜日に、初めて家を見てて楽しかった。

その前までは、もう初期費用を見せられたりするのが辛くて。

これから良い家に住めることを考えたら良いのに…。自分の借金見せられてるような、そんな気分だったのに。

退去日が近づいてきて、お尻に火が付いたのかなんなのか分からないけど、なんかやる気になった。

そこで1つだけ分かったことがある。

自分が1人暮らし以外の暮らし方(生き方)を考えた理由が、「お金」って要素しかなかったこと。

本当は、シェアハウスなら「誰かと住みたい」って想いが、バックパッカーなら「知らない世界を見たい(これが見たい)」つて想いが。

そんなものが欲しかったけど、そんな気持ちは湧き起こらなくて。

今住んでる地域の物資豊かで価格も安いところが好きで。

今の場所に未練があって、1人暮らしを選ばない理由が、「お金が恐い」ならば。

いっそ、そっちに突き進んで、後悔してみようって、思った。

後悔しても大丈夫。むしろ後悔したくないと思って、無難を沢山取ってきたけど、無難な方向に私の幸せなんかなかった。

折角、自分が傷つかないように、傷つきたくないから、怖くないほう、お金を守れる方、人間関係を失わない方を選んできたのに。

それでも、失ったものは沢山あって、予想外ばかりで、なんにも思い通りにいかなくて、人生こんなはずじゃなかった。

でも、予想外に得られたものは沢山あって。

「お金にならないじゃん」って、ココトモを始めたリストラされた私に友達は言った。でもココトモがなかった、私がとっても大好きな対面相談にも、そこで出会った人達も、ハウスで出会った人達も、知らない自分を沢山教えてくれた人達もいない。

「稼げないっすね」と言われた、私の単なる話好きな性格が、対面相談キャンペーンを通じて、あんなに楽しく人と話して、好きな金額出してもらってその金額を楽しむとか、それがはるか斜め先の方向に飛んでいって、良い意味で人に裏切られて、あんなに楽しいなんて、利益を無視する大切さがあったなんて。そんなこと、あの時あれが始まってああしてこうして、自分で勇気を出して、周りからバカにされそうなこんなやり方をやってみなければわからなくて。それを後押ししてくれる人がいるなんてことも思ってなくて。

仕事辞めて収入絶って1人暮らしで、南フランス行くのに40万近く失って、でも下手に仕事選びたくなくて。貯金は口座6万とかになったけど、なんとかココトモ経由で出会った会社に拾ってもらって、それでも生きられるなんて、こんな選択しても結局私が想像した「お金も仕事もなくて何もかも失う未来」は想像やイメージだけが自分を苦しめて終わった。

現実にはならなかった。ただただひたすら恐くて、周りも否定はしなかったし、本当に怖かったけど、その怖さに最初に飛び込んだのは、会社を辞めた自分で。その時久々に好きになった人の連絡先も一緒に棄てて。悲しくて。

正社員や契約者にこだわって探して失敗して、でも恐いからまた同じように探して。

でも何度やっても続けられなくて仕事は辞めて。結婚すると思ってた人ともダメになって。

周りが大丈夫って思ってるし自分も思った。親もその方がいいと思ってるし、誰にも否定されないからそうしたのに。

怒られたくないし否定されたくないし、私も変な方向行きたくないし、何より恐いことしたくない。

お金を払うのは自分なのに。お金を守らなきゃいけないのに。安い方がいいのに…

そんな、「なのに…」は、私のことをいーっつも裏切っていった。

その代わり「こうなると思ってたのに、なんで?!」と思うことは、いつも驚きがあって、その後自分の幸運を運んできたり、面白い結末になることがあった。

予想外って、恐い。と言うか、恐いことをしないと予想外って起きないのかな?なんて思うこともある。

あんな高額(自分にとって)な家賃なんて、今も自分に払えるかどうか分からない。

でも、1つだけビックリしたのは。

初期費用が、今住んでる安いアパートより、なぜか7万近く安いんですよ。

紹介してくれた賃貸会社の管理物件って理由もあるんだろうけど…昨日、目が点…だった…。

勝手に、初期費用40万とか予想してたけど、かなり大きく外れて結果が来た。

こんなこと多いと、私、自分のことも周りのことも社会のことも、案外まだまだ怖がってばかりで、真実をきっと知らないんだろうなぁとつくづく思う。

今回は、恐いほうを取った。恐い方に行きたくないだけの自分を自覚したから、この選択をした。

後悔しそうだと思うし、どう考えても最終的にうまく行かなそうだけれど、それは今の私が分かるわけはない。

後悔しそうなんて、後悔すれば良いって思った。恐くて、頑張って選んで、失敗した!って、後悔したらいい、私。

自分に裏切られれば良い。

一度「やっぱり悪い方向に行ってしまえ!」って、自分に思える勇気が欲しい。

よくよく思い出せば、本当に頭の中の通りに悪い方向に行ったことって、ない。

予想してたことって、結局それが起きてもそんなに後悔はなくて。

予想範囲内って、思ったより傷つかないから、悪い予想してる時点で、それはそんな悪い結果には本当に繋がらないのかもしれない。

私のネガティブさは何年経っても健在だけど、そのネガティブさは、ココトモに出会った幸運にちゃんと繋がった。

ネガティブも、あながち悪いもんじゃない。

恐がりなのも、悪いもんじゃない。

そうすることで自分を守ってる。守り過ぎてて冒険出来なければどこかでそんな自分に苛立って、燻ってるのが嫌で。

ある日突然親が交通事故に遭って、退去通知が来る。

背中を押される。

交通事故がキッカケで、ぶっちゃけネガティブに行くと思っていた母親は、今回無事だった自分に、私の予想以上に感謝している。

私は、交通事故がキッカケで妹とまた繋がった。

退去通知は、今の職場で嫌なことを嫌だと言い、辞める決意をもたらし、辞めると決まったら自分を出すことが怖くなくなって、前より職場に居やすくなった(でも辞めるけどw)

引越しと仕事を辞める時期を散々悩んで決めても、相手の言ったことで気持ちは変わり選択は変わり…予め色々考えて決断したのに、こんなにも相手の出方でコロっと変わるなんて、なんて「前もって頑張って悩んで選択して、タロットまで引いて悶々と悩んで」という自分の行動が無駄な時間であることがとても多い、ことを思い知らされた。

バカバカしい。

たかが、自分の人生じゃないか。いや、すごく大事にしなきゃいけない自分だけれど。

怖がって恐がって、血なんか流したくなくて痛いのは嫌で不快も嫌で。

でも、そんなウジウジしてる自分にもイライラして。

それでも決断する時は来て。その時は、その瞬間に、自分の直感がちゃんと後悔しないすべき選択を教えてくれる。

だから、時間に猶予がある時に色々悩んでも、私はあまり意味がないことが多い。

だから最近は、選択も、割と直前でいーや。にしてる。

だって、その瞬間、変わるんだもん。

その瞬間、自分の答えを知るんだもん。

それを、後悔したことって実はない。

「なんで変わったんだろう…?」と、後で頭を抱えるけど、自分に自分が問い質しても意味はなくて。

いっつも、逆だ、私は。

この世の中でよく言われることが、当てはまらなくて納得出来なくて疑問しか浮かばなくて。

同意出来ないことが苦痛で。

「お金って必要じゃん?」「なきゃいけないじゃん?」「親が背中にのしかかってるから…(だから稼がなきゃいけないの)」って、ネットワークビジネスを始めた友達の言葉も、聞いてて不思議だった。

あなたはお金に何を感じてるの?お金を得て何がしたいの?

親を支えたいのは、理解出来るけど、それはあなたの幸せなの?もし…もしだけど…苦痛に歪んだ顔であなたに世話されることが、親の幸せなの?

「〜いけないじゃん?」と言う人に、良い顔の人なんかいない。

まるで言い聞かせるように。正論を振りかざすように。そうまるで攻撃してくるかのように。「当たり前のことでしょ?」と攻撃してくる。

向こうに攻撃してるつもりなんかなくて。きっと正解だと思ってて、信じてて…。

でも、それが「やりたいことなの?」と聞きたくなる顔は、何となく分かるわけで…。

でも親を支えることや、お金がなきゃ生きていけないことなんて、私もそうだと思うし、それに反論の余地なんてない。

でも、そんな正論を楽しくなさそうに、仕方なさそうに、言う相手を、見てて辛い。

それを言って、この場が何になるの?そんな話してて、あなたは幸せ?

「この仕事(ネットワークビジネス)が人の幸せに繋がってるんだよ!」と言われても、「幸せ」って言葉の安売りに聞こえた。

あなたは?私は?「幸せ」ってものがなにか、知ってるの?解って言ってるの?

ただただ、不快で、ただただ、不思議だった。薄っぺらい「幸せ」。

権利収入を得て、あなたは何がしたいの?

とりあえず老後の為?アーリーリタイアの為?

何か、お金を使って、やりたいことあるの?

金属や紙が好きなわけじゃない。お金があれば、自分の経済を気にすることなく休んで、自分の経済を気にすることなく動くこともできる。好きなことに時間を費やすことも。

お金を稼いだ「その先」が見えない人の話は、つまらない。何にもない。何も感じない。ただただ、「お金が欲しい」って、事実だけ。

そりゃ、私だって欲しい。そんなの万国共通?だ。だから、みんな必死で、みんな頑張ってて。でもお金がある人はあって。でもある人も実はそんなに毎日幸せそうに生きてるわけでもないってことは、実際に会って知っている。

何かのため、誰かの為にお金を使う喜びを知って、だからこそそれに向かって「お金を得る」為に迎える人が、実は本当に幸せそうに「お金が欲しい」って語ってる。

そんな人に「何に使うの?何の為に?」と言えば、きちんと返ってきて。尚且つ楽しそうだ。

お金があってもなくても、欲しくてもいらなくても、どっちでもどうだって良いんだけど、中身のない、感情のない、表情のない会話は嫌いだ。聞いててつまらない。世間一般の常識を語られても、「ふーん。よく言うよね。」しか思わない。

だからなんだ。お金が欲しいこととかネットワークビジネスのやり方を語られるよりも、私は相手に自分の趣味とか、ハマってるものの魅力とか、なんでハマってるか?を話されたほうが10010101倍マシだ。

もっと「あなた」を語って欲しい。あなたが好きなものの、あなただけが分かる魅力を話して、私に新しいことを教えて欲しい。

良くも悪くも、対面相談って、会う人会う人みんながそれを教えてくれるから、多分私は好きなんだ。

肩書きや権利収入やビジネスのやり方だけの話は好きじゃない。心の話がしたい。

もっとシンプルに言うと、「人とは楽しく話したいよね」ってだけだ。

んでもって、これは私のコミュニケーションの好みの話でしかない。そう、自己中な想いだ。単にわがままな望みを話しているだけ。

でもしかたない。これが今の「私」だ。

どれもかんでもうまくいかなくて、多数の人と逆を楽しんでしまって、このままだとお金に興味なさ過ぎて死ぬ。

ほっといても人は死ぬんだろうけど、死ぬ時だけは恐かったり辛くないようにしたいと、今も自分に約束したい。

生きてて辛いなら、死ぬ時くらいは幸せでいたい。安心していたい。そう思う時は、大抵生きるのが辛かったり、恐かったりする時だ。

何が言いたいのか、全くまとまらないし、話も繋がってないけど、私は今、非常に恐い選択をして、今後何年もこの恐さを味わい続ける可能性が高いリスクをこの度取った。

でも死んでみようと思う、この選択で。

それで、生きていたら、それをネタに人に語ったり、こんなふうにブログに書こうと思う。

たんに、それだけの話なんだと思う。

あぁ恐い。さすがに半年近くも同じことで悩んでるなんていい加減疲れたので、2月半ば仕事やめたら、引越し云々早めに切り上げて、穏やかな誕生日を迎えたいものだ…

終了。

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コメント一覧

全2件
  1. schedule2020.02.19

    ohana

    ぬいさん⭐︎
    「怖くないよ」というフレーズ。実は引っ越しを決める前に、ネットサーフィンしてて、引っ越しする意味として、似たような言葉を目にして、今それに支えられています。目に見えることは大切だけれど、たまにそうじゃない言葉も欲しくなる。
    運命は怖くない、その通りだと思います。本当は大丈夫、本当は怖くない。それを知る為に、私達は生きているかもしれない。

    なんて言いながら、私も恐いもんは恐いです。だからもう、恐いままで生きていこうと思ってます。

  2. schedule2020.02.09

    ぬい

    怖いこと
    誰かの聞いた話に仏様は私達に怖くないよと言ってくれているのだそうです
    我々は過度にいろんなことを恐れながら生きているのかもしれません
    仏様が言うように涅槃に入ってしまえば何も怖くないのかもしれません
    let it be
    我々がどうあがいても
    行き着くところに行き着く
    だから恐れないで自分の運命を受け入れる勇気をもつこと
    逆に運命は怖くないと知ること
    そう感じられるようになること
    それは生きていくためにはひとつ必要なことかもしれませんね

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