完璧な人へのラブレター。
visibility1,824 edit2015.01.13
みなさま、こんにちは。
最近ちょっとご無沙汰でしたが、今年初のブログをやっと書くことができました。
うまく言えないなぁ、と書いたり消したりしていたけれど、
結局うまくは言えてません(汗)
ゾノさんの“「想いを発信する」ということ”というブログの、
>届けたい想いを届けたい相手の顔を思い浮かべながら、
>語りかける気持ちで書いたほうが楽に素直に書けるんですよね。
っていう部分を読んでから、
そういう書き方ってすてきだなぁと漠然と思っていて、
だからこれは、ある方へのラブレターです。笑
完璧な人のはなし。
私が困って困って、でもどうしようもなくて悩んでいたときに助けてくれた人がいます。
その人は周囲からすごく評価されてるというか、すごいねー流石だねーって言われまくっていて、いわゆる「完璧な人」っていう言葉がしっくりきそうに思ってしまうような人です。
でも本当は「完璧な(って思われている)人」なんだろうな、と、私の中では思っています。
きっと見えないところでたくさん頑張っていて
たくさんのつらい思いをしてきて
それでも、いや、それだからこそ、つらいと思っている人に寄り添うことができて
優しい気持ちになることができるんだろうな、なんて勝手に思っています。
人の心の中は、見えません。
陰でしている努力は、陰の存在だから、光の中にいるときは見えません。気づけません。
つい光の中にある結果や今のことだけを見てしまう。
もちろんそれが悪いことなわけじゃなくて、
陰まで全部見えてしまう人はとってもつらくなってしまうし、陰を見てほしくない人もいます。
だけど、光を頼りにしすぎて、
「その人は最初っからなんでもできたんだ」
「その人に全部任せちゃえばいいんだ」
って思ってしまうのは、やってしまうのは、とても悲しいことじゃないのかな、なんて思うのです。
自分よりすごい。なんでも出来そう。能力がある。
そんなように感じる人たちも
自分のようにつらい・かなしいを感じる。出来ないことがある。苦手なこともある。
そんな風に勝手に感じています。
だからついお節介で、
「大丈夫ですか?」なんて、声をかけちゃいます。
たまに、「きいてください~><」って、こっちが結局頼ってたりしちゃうのだけど^^;
ともかく気遣っちゃうのです。
だって私も、「完璧な(って思われている)人」だったから。
テストの度に「鷹れんは~点以上はいくだろ」「どうせ最高は鷹れんだろ~」なんてクラスメイトからは言われて、
難しい問題も「鷹れんはできるだろ」って。
最初っからテストでいい点がとれるわけじゃなかった。
必死に時間をつくって勉強してそれでやっとここまできたんだよ。
テストの度にこわかった。先生が私を指すたびに怖かった。
「できるのが当たり前」じゃないよ。
できないことのほうがいっぱい、数え切れないくらいあるんだよ。
できることは、ずーっとずっと頑張って、やっとできるようになったんだよ。
人の傷に寄り添えるのは、傷のつらさを知ってるからだよ。
つらい、かなしいっていう気持ちに共感できるのは、つらい、かなしいって気持ちを知ってきたからだよ。
・・・なんて、個人的な話になっちゃいましたが^^;
まぁそんなこんなな経験から、
「~さんはなんでもできるからなぁ」「~さんがやった方が上手くいく」
なんて言葉をきくと、
きっと違うよ。そうじゃないと思うんだ。
って、かなしいような、残念なような、つらいような?
なんとも言えない気持ちになるのです(´・_・`)
だから私は、(勝手に)心配してたいなぁ、と思うのです。
いつもありがとう。
お疲れさま。
たまには、ゆっくり休んでね。
・・・ラブレターに、なったかな?
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