自分が何者なのかは、自分が決めて良い。

人と話すことは、自分の中の良いものも悪いものも本当に炙り出されるなと感じた、今日この頃です。

急ですが、あなたは、「無職」にどんなイメージを持ちますか?

私は、「仕事してない人」です。

じゃあ、仕事してないって、何?

そもそも仕事って何?

社会貢献?収入?では収入の基準は?

キリがない、と言うか、正解はない。

友達が20万の収入だと言えば、そうだし、1円でも稼いでいたらとまたある人が言えばそうだろう。

私はこの問いに明確な答えが持てない。

そもそも、無職か、ニートか、引きこもりか?に定義があるとして、その定義に当てはまるかどうか?と言うより、その張本人が自分のことを「何者だ」と思ってるかがとても重要だと思ってる。

本人が「無職です」と言えば、周りが言うことは「そうなんですね〜」で良い。

そもそも、それが悪いとか、いけないとか、本当は家族であってもそれを言うべきではないんだと思う。

そりゃあね、こんなこと言えば、「お金」とか色々出てくるでしょうよ。

誰も助けてくれなくなったら、今はいいけど自活していけないでしょう。そんなんでどうするの?

大人でしょ、もう〜歳でしょう、そんなんでどうするの?

こんな言葉が、本人のやる気や良い意味で起爆剤になるなら、それでも良いと思いますよ。でも私は多分傷つく。

私は、苦しい。(他の人にとっては、分からないけれど)

私も、無職だったことも、ニートだったことも、心療内科に通ったことも、薬を飲んでいたこともあります。

今だって、不眠が全く治ってない。

でもじゃあ、「私は病んでる人です。」と決め付けたところで、自分が落ち込むだけだ。

他人が「いやヤバイでしょ、病んでるw」と言われたら、ほっとけよ、と思う。

自分が自分のことをマイナスイメージやネガティブな者と決め付けたところで、それは個人の価値観でしかないのかもしれないと思った。

そして、そもそもそれがなぜそう思うのか?本当に無職だと言えるのか?引きこもりだと言えるのか?それを自分だと決めて、それが本人嬉しいのか?幸せなのか?

と言うか、なぜじゃあニートだからそれを辞めないといけないのか?

私も固定観念は沢山あって、自分の頭で考えて判断することだって、まだまだ考えきれていない。

そういう時に、ふと人と話してて、「それについてはあまり深く考えたことなかったけれど、そもそもどうして?根本的に、なぜそうなの?なぜいけないの?」って、自分に問い質すべきなんだろうと思った。

引きこもりだと自分を思ってるのに、私よりも外に出て人と積極的に関わろうとしている人もいる。

人に不信感を持っていても、やっぱり人を求めてしまう人は、弱そうに見えても多分強い。

なぜなら、傷つくリスクも危惧しつつ、行動は挑戦的だからだ。

今日会ったあの人は、私よりも強いのかな?積極的なんだろうな…と思った。

少し話はタイトルと脱線するが、友達の作り方を考えさせられた。

私はこの質問にも明確な答えは持てていないけれど。

友達は、作ろうとするより、どちらでも良いと思う方が出来やすいのかな?と感じた。あくまで自論だ。

軽やかな人に、人は集まりやすい。軽やかっていうのは、雰囲気のことだ。勿論ナンパ師とかでは全然ないw

付かず離れず、このまま長く細く付き合っていくかもしれないけど、そうじゃなくても良いという雰囲気のほうが、長続きはしやすいのではないとここ何年かは感じる。

軽い空気感、どちらでも良いという気軽さ、きっとこれは「友達として縁を繋いでも、一期一会としてだけでも、お互い本当は大丈夫だよ。」という意味が含まれると思っている。

自分も相手も肯定してくれるような雰囲気が、きっと嫌われる訳はない。

私はどこかやっぱり誰かと縁が切れてしまったり、自分の中で「プツッ」となると、寂しさもあるし引きずる感もあるので、本当に軽やかな感じがあるかは分からないけど、多分自分じゃ自覚出来なさそうなのでまぁ良いやと思ってる。

話はズレたけど、今回の話で言いたいことは、「自分が何者であるかなんて刹那的で、今ニートでも無職でも引きこもりでも、未来でニートでも無職でもホームレスでも、それは周りではなく私もあなたも、思いたいように自由に判断して良いし、それに基準もなくて、正直何者かであるなんてどうだって良いんだよ、本当は。」という長ったらしいセリフを自分にも言い聞かせたくて、これを書きました。(主語と述語が合ってない気がするけどw)

人から頼まれてるブログが珍しく一件あるので、近々、少しコアなシティハンター の話を自己満で書けたらと思っています。

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コメント一覧

全2件
  1. schedule2020.11.08

    ohana

    ぬいさん⭐︎
    人生カンニングだ!と言っていた方がいるのですが、そう思うと、自分が何者か?は「社会のあらゆる箇所を自分なりに取り込んだカスタマイズ版」とも言えるのかもしれません。
    カスタマイズだとしても何だとしても、根本的に、人って「似たような人」はいても「同じ人」はいなくて、オリジナルだと思っています。
    社会に合わせられるか?合わせられないか?が変わってくるだけで。
    自分が何者なのかを決める、と話しましたが、「何者なのかを決めていい」というある選択の話として書きました。
    多分多かれ少なかれ、「嫌々持っている自分の姿」ってあると思ってて。それが、肩書きとかポジションとか何でもいい。無職ってレッテルでも何でも良いのですが、それが嫌なら別に捨てて良いと思っています。
    無職なら、別に仕事してなくても「無職」を捨てて良い。「フリーランス」と言っても良い。自分が苦じゃない名前を付けたり、何なら産まれた時に名前は後に付けられたんだから、多分元々私達にレッテルってなかったんだ思う。原点回帰しても良いんだと思います。
    この時、なんでこの内容を書いたか思い出しつつ読んでて、ぬいさんのコメントを読んで、多分私の中ではぬいさんの言う「型」とか「レッテル」とか「職業」とかをイコールとして見た上で話していた気がしていましたので、ちょっとごっちゃになってゴメンナサイなんですが…。
    学んで行って何かの真似をして、知識や振る舞いを得て、どうだらけても人は成長していって、いずれ「型」が出来上がるような気がしてます。
    認め合えれば、相手と、社会と繋がりが出来る。そんな喜びを分かち合いながら生きていけたら良いと私は思いました。

  2. schedule2020.11.07

    ぬい

    自分は何者なのかを自分で決める
    それはとてもむずかしいことだと思います
    我々は社会の中でさまざまな模倣を通して学んでいくので
    あくまで完全オリジナルなものにはなかなかなれないような気もします
    社会の型に自分をあわせることはできないのかもしれません
    それでも自分の型を社会にみとめてもらえるようにすることはできるような気がします
    相手と自分、社会と自分
    お互いに認め合うことができるようになれば
    自分として生きていけるのではないかと思いました

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