お金と常識と思い込み

対面カウンセリングがほぼなくなっている今。

カウンセリングを受ける側の意見をTwitterで目にする機会がありました。

起業とか、個人カウンセラーとか様々な人がいる今。

お金を出したくない、損したくない、そんな気持ちを「大きな金額を払う価値がある。払えばその大きな価値は本人の良質な財産になる。」要は、勇気出して払え、的な「圧」に見えることも少なくない説明がついてまわってるように思う機会も多い。

ちゃんと対価を払う、ことは当たり前で。

例えば思い切って高い金額でも留学したり何かに挑戦したり起業したり、質の高いメンターにお金を払ってフォローしてもらえれば人生変わったりなんだり、

色々変わるんだろう。それは、真実だ。変わった人だって沢山いる。

それでも、お金が払えないと言う人に「高いものでも頑張って払うのよ。それだけのお金を払うこと大切なの。払ったからこそ覚悟が出来ることもあるの。あと、ちゃんと勉強した我々に払うことは当然なの。」なんてことハッキリ言わないけど、そんな節を匂わせるカウンセラーとか、違うよな、と思う。

自分にその価値があるなら、いくら値段つけても良いと思う。5万でも10万でも。いくらでも付けて良くて、いくらでも楽しんで受け取れば万々歳だ、お互いの幸せに繋がる。

でも、払えない人に「正論」っぽいことかますのはダメだよね。本当に本当の意味で相手の幸せを考えた言葉を選べないのはダメだよねって思う。

「決まった金額払わなきゃいけない」ってごく当たり前のビジネス概念を考えてたら、誤解を招く言い方になりそうだけど、なぜか「ご祝儀」に繋がった。

ご祝儀は基本3万。親族なら5万だ。

私は去年もその前も、度々ご祝儀払えないもしくは払うとマズイ状況に陥った。

社会人として、常識人として…色々思われるのが凄く嫌で、ましてや本人に欠席の理由として言うなんて非常識なので、大変迷ったし困った。これまで。何度も。

仕事も辞めてばかりで続かないし、3万は痛い。結婚ラッシュはご祝儀ビンボーという言葉をよく聞いた。

ご祝儀ビンボーと言う言葉って、「払いたくないけど、ご祝儀は3万以上だから、仕方なく払っててビンボーになった」と言い換えることが出来ると思ってる。言い方が悪いのは自覚ある。

なんで3万なの?とは思わない。礼儀でもあれば、数字の意味もあれば、食事やサービスの量が含まれており、ご祝儀でも向こうからしたら足りない。

金額なりのものを受け取るから、ご祝儀を払う、と思う人が多くて、「心からのお祝いの金額が3万だ」と純粋にお金を差し出す人が、何割いるのか私はとても気になる。

そして、それでも、私達はご祝儀を払い、ご祝儀ビンボーを経験してもしてなくても、相手は結婚式をするのだ。

誤解を招いている気がするけど、私はご祝儀も結婚式もカウンセリングも対価をきちんと払うことも、対価をきちんと受け取ることも何もかも否定していないし、すべきだともすべきでないとも思ってない。

なんでもありだ、本人さえ納得しているならなんだって良い。

やりたいなら、そうすれば良い。

どちらかというと、「常識だから」とやっていて、心がこもってなかったり建前でやってることが嫌いだ。

ご祝儀に心がこもってないということもないし、カウンセラーに渡す金額にお礼が入ってないとも思ってない。

聞きたいのは…

ご祝儀が3万じゃなければ、あなたはどうする?とか

対価を払うのは大切だが、払う人払われる人が気持ち良く払うのに、相手の覚悟とかこっちの質とか掲げるのではなく、「あなたが思う金額はいくら?」とか」気持ちよくできる範囲でいくら?」とか「お金じゃないものでも支払いOKなら、あなたはどうする?」とか。

私なら、どうする?

あなたなら、どうする?

これまでどうしてきた?何を常識だと思ってた?どうしてそれをやるの?

なぜやるの?

そのやり取りが、その金額が、変動するのら?当たり前ではなければ、あなたはどうする?

そもそも、ご祝儀ってなに?人に何かしてもらったとき、自分が嬉しいことをしてもらったとき、何かを返したくなる、それが仕事をしてもらった時に相手に支払いたくなる「対価」イコール喜びとか感謝なのでは?

って、聞きたい。

質問したい、そんな気持ちだ。

責めてるとかじゃなくて、否定しているんじゃなくて。

もっと自由なら、どう?って聞きたい。

なんか、当たり前に縛られて、それを全うするのが目的になっていて、心がこもってなくて本来の姿や本質から見失っているものは結構多い。

ご祝儀ビンボーになる程、本当にその人の友人は結婚ラッシュだったのか?

行きたくない結婚式に、わざわざ呼ばれたから頑張って行って、あとで知人にぶつくさ言うくらいなら、私が挙げる側としては来て欲しくない。お金を理由に断られても全然良いし、何ならご祝儀完全自由制になるように、自分の式をコントロール出来たらと思う。

私は、常識より気持ちが欲しい。もし金額が自由ならば、相手が出せる気持ちの良いお金や、もしくはそれ以外のもので、「交換」が出来るのかもしれない。

先にあげた、カウンセラーとか仕事の類もそうだ。

〜円です。ではなくて、「覚悟を決めて」でもなくて、「対価を払うべき」とかじゃなくて。

お金を貰うのはなぜ?お金を貰うということは、どういうことだと思ってる?が、貰う側提供する側がある程度考えた上で、相手に要求(言い方は微妙だけど)することだと思っている。あくまで個人観だけど。

 

時たま、生きてて息苦しいと思う。

決まっていること常識に縛られて、考えなくて良いことは多い。当たり前だからやっていることは多くて、割とそれを盾に攻撃してくる人も多い。

傷つくしつらいししんどいけど、考えない人生はきっと予想以上に虚しい。

なんで?を突き詰めて自分なりに答えを出して進める人は、きっと誰より強い。

そういう意味で、「お金が好きになれない」という割には、これまで私も周りにも責められたり考えたりした分、好きになれない割には結構考えてるのかもしれない。

お金がなきゃ生きていけないんだから、自由ったって。

と言われたりもするんだろう。

お金がなきゃ生きていけないなら、ホームレスでなんか楽しく生きている人達がいるの知っているけど、あの人達が生きている説明がつかない。

お金がなきゃ生きていけないと信じ込んでたら、あんなに楽しそうに自由に生きている人達を、私は知らなかった。

仕事することやお金のことや生きることが本当の意味でどんなこと?とか、普通がなんで普通なのか?を、本質としてどういうことなのか、本当に考えているのは、常識を敢えて破ってみたり、試しにやってみたり、時間が有り余ってていろーんなひとと関わったりしている彼らなのかもしれないと思う。

当たり前を、極々普通に当然にも享受してると気づけないことは多いし、知らない方が幸せであるかもしれない。

最後なにが言いたいんだか分からなくなったけど、私は非常識で面白いものに刺激を受けるのが大好きだから。

自分自身が、例えば結婚式を挙げる時、仕事を自分でする時は、なんかエキサイティングで刺激的な方法(でも勇気ないから大々的にすることはなく、地味になりそうw)を取っていきたいと思う。

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