「自殺はなぜ悪いことか」という悩み

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近況報告

こんばんは。わしゅーです。

およそ2年ぶりに、仕事で出張をしました。現在住んでいるところからは、だいぶ遠隔地への出張でしたので、泊まりがけとなりましたが、久しぶりの長距離移動とあって、どこかウキウキとした気持ちになりました。

オフィスや自宅に引きこもって仕事しているのも、悪くはありませんが、たまには外の世界を見たいものです。自分の眼で直に見て、耳で直に聴くということは、気分転換になりますし、いろいろな発想も生まれてきます。

なぜ自殺は悪いのか

さて、ここのところ、掲示板相談を拝見していると、どうしても、自殺ということが頭をよぎってしまう方が、多く見られます。

ココトモは、相談者様が、どこまでも前に進もうという意思を持っていることが前提で、自殺志願の方は相談をお断りしておりますが、とはいってもこの問題は、深い悩みを抱えた方には避けて通れないかもしれません。。

「自殺は悪いことである」これは当然のことで、本来はいちいち議論するような問題ではありません。しかしながら、自殺が頭をよぎって、しかしそれに踏み切れない方々の悲痛な声をお読みすると、ほんとうにいろいろなことを心配されている、ということが読みとれます。

あらためて、なぜ自殺は悪いことなのか、ということを、考えてみることも、無駄ではないように思えます。

自殺ということについて

Google Trendsで「自殺」というキーワードを検索すると、2004年以降、ほぼ横這いで推移しています。ときおり、有名人の自殺報道で大きく増えることはありますが、ベースは変わっていません。

Google Trends – 自殺

国の統計はどうでしょうか。自殺者数は警察庁が統計を実施しており、これにもとづく厚生労働省の資料では、ここ10年で自殺者数は減少傾向が読みとれますが、2万人/年を切っていません。

厚生労働省 – 警察庁の自殺統計に基づく自殺者数の推移等

自殺の悪さについて考察した研究

なぜ自殺は悪いことなのか、ということについての考察をWebで探していたところ、ミッション系大学である南山大学の社会倫理研究所が刊行している『社会と倫理』第32号(2017年)に掲載の論文が目にとまりました。

「自殺の悪さについての哲学的な議論の調査」, 蝶名林亮,『社会と倫理』第32号 p57-76, 2017年

論文はこちらです。

「自殺はどのような場合でも道徳的に許容できないものなのか?それとも許容できる場合もあるのか?」という問題に対して、現状の哲学的な研究状況を概観することができます。

自殺の悪さ:5つの視点

蝶名林は上記論文において、「自殺の悪さ」には5つの視点があると指摘します。

  1. 自殺は神の意図に反するから悪い
  2. 自殺は自殺者以外を害するから悪い
  3. 自殺は非合理的だから悪い
  4. 人間の生命には特殊な価値があるから自殺は悪い
  5. 自殺は悪徳の顕れだから悪い

わしゅーなりに読み下してみて、5つの視点それぞれを簡単に書いてみます。

①自殺は神の意図に反するから悪い

端的にいえば、自殺は神様が禁じているから悪いという発想です。神様がいるかどうか、人間には分かりませんから、これは「とにかく悪いものは悪い」という発想になります。

著者は、これは神を信じない人には響かないし、信じていたとしても、「だれかのために命を投げうつのは良い自殺だ」というような考え方も可能なので、難しい、と言います。

②自殺は自殺者以外を害するから悪い

これはよくある発想で、「親が悲しむ」「他人に迷惑をかける」から駄目だ、という発想です。

著者はこれも、「だれかが悲しむというのは、はっきり言ってその人次第」ということから、決定打にならない、と指摘します。

③自殺は非合理的だから悪い

ある意味、機械のように冷徹な見方かもしれませんが、これは要するに「死んだ後のことは誰も知らないので、死んだら本当に楽になるかどうか、わからない」ということです。

もっとも、著者は、安楽死にまつわる議論を想定し、この議論は今後も続くだろう、ということで明言を避けています。

④人間の生命には特殊な価値があるから自殺は悪い

これはつまり、「人間の命は尊いものである」から自殺してはいけない、という視点です。

著者は、「命が尊いから自殺はよくない」と決めつけるのではなく、むしろ「命が尊いからこそ自殺が擁護される」という議論はありうる、として、尊厳死に関する議論が今後も続くことを示唆しています。

⑤自殺は悪徳の顕れだから悪い

「悪徳」という言葉はなかなか難しいですが、著者は例として「自殺することは臆病なことか」というケースを上げています。これは分かりやすいです。

つまり、困難から逃げる自殺は「臆病」なのであれば、臆病は悪いことだから、自殺も悪い、という論法です。自殺は人間として立派なことではない、という言い方ができるかもしれません。

おわりに

上で見てきたことをもとに、わしゅーが考えたことをまとめてみました。

  • よく言われる「自殺はとにかく悪い」「親が悲しむ」「他人に迷惑をかける」という一方的な言い方は、自殺が頭をよぎっている人には響かない可能性がある。
  • 「安楽死」「尊厳死」を認めるか、という議論はあるものの、現状、これらはあくまでも、重篤な障害や終末期医療の場面で問題になることであって、まったく健常な人に安易に適用してはいけない。
  • 「自殺は決して立派な行いではなく、むしろ臆病の現れである」という視点は考えてみる価値がある。しかし、自尊心や自己肯定感が低くなってしまっている人にとって、上から目線でいきなりそんなことを言われても、よけいに辛さを増幅させてしまわないか?

相談を受ける側としては、もちろん自殺を否定する立場は崩せませんが、やはり正解というものはなく、しっかりとその人の辛さに向き合い、お話をよく聞き、そのうえで、相談者様に響く言葉を慎重に選んでいかなければならない、と思います。

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