介護を1人で抱え込まないということ
visibility575 edit2024.11.20

こんにちは😊ゆるふわと申します。
あまり自身のプライベートのことを話すのは苦手なのですが、友人が1人で介護を抱え込んでいる様で心配なのと、相談としても数が多いことから私の親の介護の体験談についてお話します。長くなりましたが、何かご参考になれば幸いです✨
~目次~
🐏父の物忘れの始まり
🐏父の認知症の兆し
🐏1人で介護の相談と手続きをする
🐏自身の心身の状態が悪くなる
🐏介護を助けて貰うということ
🐏穏やかな生活の現在
🐏介護についてお伝えしたいこと
🐏大好きな父のこと
🐏認知症を理解するために読んだ本
🐏父の物忘れの始まり
私の父は70歳を超えてから少しだけ物忘れが増えてきました。会社経営をしていたこともあり、引退しても60歳でTOEIC930点を取り、ボランティア活動で英会話講師もしていて物凄く頭の良い父でしたが、日にちの感覚が無くなってきていました。所謂、良性健忘という物だったのかなと今は感じています。
私がとても敏感な性格で心配性だったのと車いすユーザーだったので、何かあった時に1人で対応出来ないと感じ「物忘れ外来」に通って欲しいとお願いしました。英会話講師が物忘れ外来何て絶対に行きたくないという頑固な父を2年かけて説得して通って貰うことにしました。結果は脳の血流が少し悪くてアルツハイマー型認知症の疑いもあるということでした。父はショックだったようですが、私としては「疑い」だから決定ではないよと別居の家族にも報告出来て少し安心しました。本当に「疑い」の段階だったので、その後も健忘はかなり緩やかな進行でした。
🐏父の認知症の兆し
80歳を超えてからスーパーで買い物をしてくるのですが、5割引きの物しか買わない、何度言っても大量に買ってくるなどあり、食べないと不機嫌になるので食べるのが凄く大変で、所謂、食べ物モラハラの状態が3年近く続き、私は体重が20キロ以上増えてしまいました。
後は暖房をかなりの高温で点けて、2ヵ月連続で電気ガス代が4万円を超える日がありました。うるさく言うと怒り出し、他の場面でもちょっとしたことで雷が落ちるがごとく手がつかなくなるくらい大きな声で怒鳴られることが増えてきました。
夜にスーパーで見切り品を買うことに対して執着が物凄くなり、半分徘徊のようになってきて、ある日、買い物の帰りに大きな交通事故に父が巻き込まれてしまいました。弁護士を立てて2年かけて示談にすることが出来、認知症もまだそこまでは酷くなかったので、父もリハビリを頑張って歩くことが出来るようにまでになりました。
🐏1人で介護の相談と手続きをする
これからの父との生活のことが心配になりヘルパーをやっている友人から「地域包括支援センター」へ行くと良いよとアドバイスを貰い、入院中の父と一緒に介護の判定を受け、「要介護1」という結果を貰いました。
判定を受ける時に注意したいことは、家族以外の人と接する時にいつもより元気に接したりはっきりした態度で接したりすること、それによって判定が軽い結果になったりすること、父にその点をしっかり説明して理解して貰い判定を受けました。
ヘルパーさんや理学療法士さんや訪問看護などを1割負担の金額でお願いできることになりホッとしたのですが、入院・弁護士・介護の手続きを車いすユーザーの私が、仕事もしながら、別居の家族にも生活があると感じたため、殆どを1人でやったことで、知らず知らずのうちにストレスが凄く溜まってしまっていました。
🐏自身の心身の状態が悪くなる
疲れは後から来るようで、自身の心身の状態がどんどん悪くなってきました。その時は気付かなかったのですが、蜂窩織炎になって足がパンパンに腫れあがり40度の高熱が出たり、朝、急に大量に吐いて救急車で運ばれたりして、どうしたらよいか心療内科の先生に相談したら入院をすすめられました。
私も父も迷惑をかけたくないという一心で別居の家族に配慮していたことなども降っとんでしまうくらい、入院先で何故情報を事細かに共有していたのに、こんなに困るまで私たちを放置していたのかと激怒してしまって、今考えると本当に申し訳なかったし、気持ちのやり場が無かったです。
🐏介護を助けて貰うということ
私のスペース以外家が父の物で散乱していたので、別居の家族に頼み、ダンボールを24箱分もゴミを捨てて貰い、マンションの父と私の住居スペースをくっきり半分に分けて貰い、お互いの動線が交わらないようにして貰いました。その後、私は退院してから、別居の家族が差し伸べてくれた手を有り難く受け止めて、週2回様子を見に来て貰う、ケアマネさんについての引継ぎもやって貰うなどし、父が事故の時から認知症も更に進行してきて「要介護2」になったので、物忘れ外来から引き継いだ病院でドネペジルという薬も定期的に服薬して貰い、デイサービスも父を2人で説得して通って貰うことにしました。凄く渋っていて時間はかかりましたが、お前たちが俺のことを思ってくれて進めてくれていることだから、行ってみると言ってくれて、日中のデイサービスへ行くことで夜に買い物へ行く半分徘徊することはなくなりました。
別居の家族のアドバイスで何とか続けていた英会話講師も辞めて貰うように説得しました。父のやりがいと思って良かれと思っていて続けることを私が強要していた形になっていたのかと感じてしまって、本当に父に申し訳なくて、かなりの負担だったようで辞めてから大きな声で怒鳴ったりすることも無くなりました。凄くホッとしました。
🐏穏やかな生活の現在
介護は1人ではできないこと、身に染みて体験しました。大きな声で怒鳴られないこと、夜徘徊し無くなったことで、また事故が起こる心配も無く、私は今は夜はぐっする眠ることが出来ています。夜に玄関の鍵がガチャリと開き父が戻ってくるまで様子を伺ったり監視のようなことをしなくても良くなり、賞味期限切れの見切り品の食べ物を我慢して沢山食べなくてもよくなり体重も10キロ減りました。
今は毎日同じことを聴かれて負担があることもありますが、あの時に比べたら凄く楽になっていると振り返って思います。
実は一睡もしないで働いていた時期があり、仕事も退職することになってしまいました。でも暗闇みたいに辛い時期は抜けて今から幾らでもやり直せると感じています。
🐏介護についてお伝えしたいこと
車いすユーザーの私には凄く大変で大切な介護の体験のお話でした。大したことがないと感じられる方もいらっしゃるかもしれません。今、友人も親御さんが嫌だからということで支援の手も入れずに1人で介護をしていて凄く心配です。認知症はどんどん進んでいき、待ってはくれないので、介護は1人でやらないでぜひ支援の手を借りてくださいということを強く言いたいです。私は父に以前より優しく接することが出来ています。支援の手を借りることが、親御さんの為でもありますので1人で抱え込まないで、「地域包括支援センター」へ相談に行き、必要なサービスを利用し普段の様子などケアマネさんに話をぜひ聴いて貰ってくださいね。
また家族が自分以外に居れば手伝えることは30分や1時間でも良いのでお願いしてみてください。気持ちの負担が全然違いますし、話を聴いて貰うことで、介護の仕方や暮らし方ついて客観的な良いアドバイスが貰えたりします。
🐏大好きな父のこと
時系列順に書いていきましたが、大切なことがあります。私は小さい頃から父のことが大好きで、今でも大好きです。でも父が認知症で大きく変わってしまった時期があり、私が一番頑張って居た時に、『ゆるふわのことが大好きだよ。』と言われて何故か私の中でそこで父は死んでしまいました。父が穏やかになった今も父に対する気持ちや心はもう折れて居て、治ろうとしません。だからどうか皆さんも1人で抱え込まないで欲しいです。私の様になって欲しく無いからです😢
私自身の心が折れてしまった対処としては今後もセルフケアを大切にしていきたいと考えております。ストレスを溜め込まずに小出しにすること、何かあったら早めに周りに助けを求めること、皆さんもぜひ気を付けて欲しいです。
🐏認知症を理解するために読んだ本
親が認知症であることを受け入れるのは考えているより難しいこと、別居の家族も口を酸っぱくして言っていましたが、認知症は病気であること、本来の本人の性質や性格ではないこと、それを理解するために「認知症の本」と「接する際の言い換えの本」などの本を読みました。とても参考になったので、最後にご紹介いたします。
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