解決済み
一緒にお話したい
20代前半 女性

みんなの哲学スレ⑤  信じるとは?

閲覧数438 コメント数17 person愛の花 edit2024.07.13

なんと、哲学スレも5回目を迎え、
毎回皆さんの素敵な考え方にたくさん触れることができ、私自身とてもたくさんの刺激と学びを得られ、とてもうれしいです。

5回目のテーマは、
「信じる」とは?です。
自分を信じる。人を信じる。
自分の可能性を信じる。希望を信じる。
など?
信じるには、色んな形があります。
ですが、信じるとはどういう状態なのか、
よく分かりません。

皆さんの「信じる」とは何か、どういう状態のことか、を是非教えてください。
ココトモメンバーたちと交流しよう♪

ココトモメンバーたちと交流するための『メンバーのお部屋』掲示板ができました。気になるメンバーと気軽にお話することができます。ぜひ色んなメンバーのお部屋に遊びに行ってみてください♪

メンバーのお部屋はこちら

コメント一覧

  • refresh約1ヶ月前
    愛の花 20代前半 女性
    花から皆様へ🙇

    私の哲学スレにコメントをくださり、本当にありがとうございます。
    ただ今、自分責めの影響により、
    「信じる」を語りたくても語れない葛藤に苦しんでいます。
    皆様の大切な「信じる」を教えていただき、
    私自身も、信じるとはどういう状態なのかということが、なんとなくですが、分かってきたような気がしています。
    なので、本当にありがとうございます。

    コメントをくださった1人1人の方々と
    丁寧に向き合いたいので、皆様のコメントへのお返事を私の気力がチャージするまで、
    待っていただけると幸いです🙇。

    皆様からのコメントをくださってすごくうれしかったし、勉強になりました。
    本当にありがとうございます。

    皆様の「信じる」が、
    それぞれの方々の人生の生きやすい道しるべになりますように。
  • refresh約1ヶ月前
    なっち 30代 男性
    サティさん 初めまして。
    是非私の考える「信じる」を伝えさせてください😊
    かなり尖った意見になると思いますので、
    一つの意見と思っていただけると幸いです。

    信じるって特に恋愛などでよく聞くワードですが、
    実はとても難しいことだと思っています。
    個人的には人間関係の最上位であると。

    その対義的な意味合いで、「裏切られた」なんて言葉もよく耳にしますが、そもそも信用というのはそんな軽はずみな行為ではないと思ってます。

    じゃあ具体的にはと言うと、
    私的には真の信用とは、
    「相手の全てを受け入れること」だと思っています。

    相手が自分に何を与えるか、どんな成果を出してくれるか、
    それは一切含みません。
    ただ、自身が相手の人間性に感銘を受け、
    ただひたすらに受け入れることです。

    他人は、自身では計り知れないほどたくさんの人生経験を積んで今に至っています。
    そんな他人を自身の枠に嵌め込む事など不可能です。

    自身が他人に何かを求めることは、
    それは信用ではなく単なる押し付けです。

    自分がイメージする相手は、単にイメージであり、
    相手をどうイメージするかなど、それは自身の勝手で、
    それで相手にこうあってほしい、こうであると信じている、というのは単なる傲慢ではないでしょうか?

    例え何かを理由に裏切られたと感じても、
    その背景には、その先の相手の利益があったり、
    過去の経緯、生き様からの人柄があったり、
    あらゆる可能性が潜んでいます。

    信用する際、その可能性を微塵も考えないことも、深く一考することも、
    それは自分自身の問題であり、
    また、結果的に信用するのも自分自身です。

    もっと言えば、その裏切られたと感じる悪さの反面に魅力を感じ信用に至る場合だってあります。

    浮気性の人だからこそのユーモアや人当たりの良さ、
    詐欺師ならではの口のうまさ、
    ホストならではの癒し、などがそれに該当します。

    裏切ったと感じる相手が、一切そういうことをしない根っからの真面目な人だった場合、そもそも好意すらもっていなかった可能性だってあります。

    信用するか、しないか、
    裏切ったと感じるか、感じないか、
    全てはあなたの勝手なイメージです。

    より相手を深く知り、全てを受け入れる覚悟を持った時それが「信用する」になりうるのではないでしょうか?

    となると、「信用しあう」は、さらに最上級です。

    浅はかな例えですが、
    将来を誓い合った仲の良い若いカップルがいたとして、
    目の前に、超高スペックで容姿端麗、数億円の資産を保有した異性が、そのカップルのどちらかに猛アタックしてきたとしたらどうでしょう?

    コロッと行っちゃう人もいるのではないでしょうか?

    それは裏切りでしょうか。
    自身よりも遥かにその人を幸せにできる可能性を秘めた相手を選択する行為は、私は裏切りだとは思いません。

    では、数千万円の資産ならどうでしょう?
    まだ仕方ないでしょうか?
    数百万円の資産なら?
    顔が悪いだけなら?性格が悪いだけなら?

    どこに惹かれる、選択をするかは相手次第です。
    逆にどこまでなら仕方ない部類に属するかは自分次第です。

    信用って儚いですね。

    しかし、非常に仲の良い一生を誓い合った
    熟年の夫婦がいたとします。
    目の前に、先ほどのような異性が現れた場合、
    コロっといくのでしょうか?

    それ以上の大切な物を見つけあった二人です。
    揺るがない人が多いのではないでしょうか。

    それこそが自分の感じる最上位の「信用しあう」です。

    数ヶ月、数年で築き上げられる代物ではないでしょう。

    お互いの信用するが噛み合ったとき、そこで初めてごく自然に信用しあう形が生まれるのだと思います。

    長くなってしまいましたが、
    尖った意見としてでも参考にしていただけると幸いです。

  • refresh約1ヶ月前
    visibility_off

    ※このコメントは閲覧できません

  • refresh約1ヶ月前
    サティ 30代 女性
    花ちゃん、おはようございます✨
    「信じる」
    考える良い機会をもらい、ありがとうございます✨
    皆さんのコメント、めちゃくちゃ勉強になります、、!

    花ちゃんの日記からは気づきをいただいています。
    コメ欄閉じてたから、こちらでお礼を伝えさせてね。ありがとう。

    「信じる」がどういう状態か、深く理解することに努め、前向きな姿勢を持つ。心から清廉な気持ちを持つ。
    すばらしい未来を想い、行動する。
    とかいろいろ考えたけど、むずかしいね〜
    ヽ(;▽;)ノ

    「信じる」ですが、信頼って言葉もあるように、自分や相手のことを深く理解するからこそ信じられることがあると思います。

    「信じる」には、相手のことを知ろうとする努力が必要なものと、そうではなく無意識のうちに、自然に感じられるものがあると思いました。

    わたしは自分のことをたぶんあまり信じられていないから自信がないのだけど、それは自分のことを知ろうとする努力に欠けているところがあるのかもしれないと思いました。
    想像力豊かな面白い夢をみたりするように、自分のことって分かっているようで分かっていないこともまだまだたくさんあると思いました。

    でも「信じる」には、理由や根拠なしに信じられる!!っていうこともすごく大切だと思っていて、、
    それは、なんだろう、ガッツ(笑)で、育んでいきたいなと思いました。

    花ちゃん、貴重な機会を本当にありがとうね〜✨
  • refresh約1ヶ月前
    メンバー
    すいっち 40代 男性
    愛の花さん
    私、哲学は好きなんですが
    このスレがあるのを⑤になって気づきました。

    「信じる」ですか。

    これは意識してもできるものではないけれど
    無意識で信じ始めたら知らない間に「信じている」になるものでもありますよね。

    「半信半疑」でも半分信じている。

    時には、最初は「そんなの信じられない」であっても
    いつの間にか「私は信じている」ことになっている。

    思うに、人間はまず信じないと行動できないのかもしれません。

    「これから乗るこの電車、大事故を起こすかもしれない」
    「私は明日、交通事故に遭うかもしれない」
    などと思っていたら、外にさえ出られません。

    「この食べ物、バイキンがあるかもしれない」
    何も食べられません。

    「信じる」とは人間が行動する前の無意識の情動、なのかな、と思います。

    生きていく上で最も必要なのは
    「希望を信じること」

    悲観主義と楽観主義がありますが
    「希望を信じること」は後者に属するのでしょうね。
  • refresh約1ヶ月前
    すずらん 20代前半 女性
    花ちゃん、こんばんは。

    「信じる」かぁ……。
    私にとっての「信じる」というのは、相手のことを受け入れて、その上で自分自身のことも成長させるということなのかな?って思った✨

    というのも。
    「信じる」って、人(自分自身も含めて)がいないと成り立たないのかな?って私は思っているんだよね。

    相手のことを受け入れるのもそうだし、自分自身のことも成長させるという部分でも、
    その向こうに人がいることで、はじめて成り立つ感情じゃないかな??
    実際、漢字の部分にもにんべん(人を表す物)が入っているくらいだし。

    私は、人を(心の底から)信じられるようになってから10年経つか経たないか……ぐらいだから、もう少し「信じる」ということについて考えていきたいなと思った!
  • refresh約1ヶ月前
    メンバー
    みぃ 10代後半 女性
    初めまして愛の花さん

    確かにいざ「信じる」ことについて考えるとなると難しいですね…。
    私が思うに「信じる」とは自分自身が生きやすい・幸せと思える人生を作るための一種の生命活動だと思います。そして信じるとは尊いものであり、ときに残酷なものであると思います。

    人には皆それぞれ「信じるもの」があって、ときにはそれが周りに理解されないことだってあるじゃないですか。
    ここで「浮気」を例に出させて頂くと、
    世間一般では浮気は悪いこと!という認識が多いと思うのですが、浮気をした側の立場として考えたとき、その人にも自分の考えがあり、思うところがあって、「それが正しい」「自分の生きやすい人生を作る」などという考えから、浮気をするという道を選ぶのではないかと思うんですよね。
    こう考えると、浮気をした人は自身の幸せを作ったということになるので、その人からしたら良いふうに捉えられてしまいます。
    ただ、浮気をされた側からしたら当然いい気分はしないので、全部が全部良いとは言い切れないません。

    話を少々戻し、何が言いたいのかというと、たとえ周りから批判されようとも、正しいと信じることで、自分の人生を形成しているのですから、「信じる」ことは生きるという中でとても重要な役割をしているのだと私は思います。結構壮大になっちゃいますが笑
    生命活動に貢献するときもあれば、誰かを傷つけてしまうということもあるので、一概に「信じる」ことが全て正しいとは言えませんがね…。

    長々となってしまいましたが、まとめると「信じる」とは人生にとって切っても切り離せない存在であり、尊いものであるが、それと同時に誰かを傷つけてしまうことも存在するので良くも悪くもあるというのが私の考えですかね。

    色々とごちゃごちゃしていて読みにくいと思いますがご了承下さい…
  • refresh約1ヶ月前
    ちーちゃん 40代 女性
    信じるという言葉はとても深い意味がありますよね。
    信という感じは「人と言」で組み立ててあるので、人とのコミュニケーションという意味もありますよね。
    人との会話、自分自身との会話を通して自尊心を育てる、自分に自信を持つ事。
    私にとっての「信じる」は SELF ESTEEM自分に自信を持つ事だと思います。
keyboard_arrow_up