ただ話を聞いてほしい
30代 男性

何がこんなに苦しいのか分からない、よければ聞いてください

visibility52 chat1 personうみ edit2025.10.28

今、とても苦しいなと感じています。
ですが、いろんなことがありすぎて、その苦しみが何が原因で、何をどうしていけばいいのか分からなくなってしまいました。

経緯はとても長文になってしまうと思いますが、順を追って書いていこうと思います。よければ読んでください。

まず、幼少期。僕の両親は喧嘩の絶えない日々を送っていました。
記憶にあるのは、小学校1年生ぐらいからの記憶です。喧嘩の原因は母のパチンコでの散財。僕は母のことが好きだったので、母が父に怒鳴られているのがとても嫌だったし、可哀想と思っていたし、父が怖かったです。父は廊下で大量の一万円札を母に向かって投げ捨て、「金が欲しいんだろう!」のような事を怒鳴っていたのをうっすら覚えています、母はヒステリーを起こし、泣きながら何かを父に向かってわめいていました。僕はそれをどうすることも出来ず、見ていることしか出来ませんでした。喧嘩の後、母は風呂場にこもって、カミソリでリストカットをしようとしていました。僕はその側にいて、何か言ったかもしれませんが、記憶がおぼろげです。

そんな毎日が何年か(ここはおぼろげです、平和な時期もあったかと思います)続き、僕が小学校3年生の時に母は自宅のリビングで首を吊って自死しました。
僕は第一発見者で、なんとかしようとハサミでナイロンのロープを切り、しかし、それ以上は何もできず、へたりこんで泣いてしまいました。父が来て、「何をしてるんだ!」と僕は怒られ、父は警察に電話をした後、人工呼吸をしていたと思います。
その後、病院で母はそのまま息を引き取りました。

小学校でも、僕は上手く友達とコミュニケーションが取れず、半分いじめのような扱いを受けて、いじられキャラをしていました。僕は学校で居場所を確保するのに必死で、周りが嫌がるようなこと(虚言癖など)もたくさんしてしまったと思います。なので、いじめられるのも仕方ない部分があるのですが、それもまた辛かったです。
いじめに近いいじられキャラは中学校まで続きました。

(たしか)小学校4年生の頃、父が新しい母と再婚しました。父と新しい母は、共通の歌手のファンクラブに入っていて、そこで親しくなったようです。
新しい母は、とても厳しい人でした。僕は父とはほとんどコミュニケーションを取っていなかったので、新しい母とのコミュニケーションが多かったですが、産みの母親とのギャップがあり、なかなかついていくことができませんでした。
また、自分はどんくさい所があり、新しい母を度々苛立たせ、怒られ、よく泣いていました。
僕が泣くと、新しい母は、「泣くな!悲劇のヒロインぶるな!」とよく怒っていました。
そのあたりからだんだんと、自分はダメな人間なんだと、思うようになっていきました。
家では怒られ続ける毎日が続き、学校でもいじめに近いものを受け、どんどん、自分が悪いんだと思うようになっていきました。

高校生になり、彼女ができて、僕は家のルールなどを守らなくなっていきました。反抗期だったと思います。その頃、新しい母から無視されはじめました。
12歳年の離れた妹がいるのですが(新しい母と父の子供)、妹には嫌な思いをしてほしくないという気持ちがあり、また、(僕以外の)家族にとって僕は邪魔な存在になるんだろうという気持ちもあり、高校を出て就職してからは、なるべく実家に関わらないようにしてきました。
事を荒立てたくなかったし、自分も今の両親が好きではなかったし、お互いの為と思って、そうしました。
今も、もう何年(10年経つかも)も両親や妹とは連絡をしていません。

社会に出てから、僕はどの仕事も長続きしませんでした。(ホームセンターのアルバイトが一番長く続き、3年程勤めました)
人間関係で疲れてしまうことと、急に全部が嫌になって引きこもってしまう事が原因と思います。
介護のデイサービスの仕事をしていた時に、自殺未遂をして、精神科に緊急入院をしました。その後、うつ病の診断を受け、精神手帳を取得しました。

精神科では認知行動療法の治療も受け、認知のゆがみはある程度改善されました。
昔に比べて、ぐるぐる考えることも減り、気持ちが楽になった部分も多くあります。
しかし、認知の歪みを治したことで、情熱みたいなものが減ってしまった感覚もあります。
その情熱とは、母の自死の経験を自分の人生に絶対に活かしてやる!といったような感覚です。
治療を受けるまでは、それを原動力に生きていました。それは負のパワーといいますか、悪い事もたくさん起きてしまうのですが、わかりやすい原動力でした。
それが無くなって、ポカンと穴が開いたような感覚になったのを覚えています。

じゃあ、僕は何のために生きていけばいいんだろう?
そう思っていた時期があります。

今は、就労移行支援に通い、訓練や就活を行なっていますが、社会に出ることへの恐怖心と自分への自信の無さが相まって、なかなか一歩を踏み出せずにいます。
また、一歩踏み出そうとするたびに、拒否反応のようにメンタルを崩し、引きこもりに逆戻りしてしまいます。

人間関係も、なかなか他者を信用することができず、打ち解けられない為、孤独感を感じることが多いです。

彼女がいますが、こんな自分で申し訳ないという気持ちがあります。働けない自分を情けなく思います。

過去や現在の色々なことが複雑に絡み合って、ぼんやりとした苦しさ、消えてしまいたいような気持ちがしばしば出てきます。

僕はいったい何に悩んでいるのか?それが分からなくなってしまっている状態です。
ただぼんやりと、ふっと消えたい気持ちがあるといった感じです。


こんな長文を読んでくださりありがとうございます。
共感や聞きたい事、アドバイス等あれば、コメントをもらえるととても嬉しいです。
ありがとうございました。
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コメント一覧

  • refresh2時間前
    うみさん、大変なお話を書き込んでくださりありがとうございます。

    認知の歪みが整ったあとに「情熱がなくなった」と感じるのも、深く頷けます。
    かつては悲劇を背負ってでも生きるという強いエネルギーがあった。
    でもそれが癒えてきた今、空白ができた。
    そこに「次の生きる意味」をまだ見つけられていない
    それが、いまのぼんやりとした苦しみの正体かもしれません。
    ひとつ言えるのは、
    あなたはいま「終わり」ではなく、「静かな始まり」の手前にいます。
    これまで生き延びるために使ってきた力を、生きるための力に変えていく過程にいる。
    焦らなくていいです。
    まずは、何が「苦しい」のかを探る前に、「自分がここまで生きてこれたこと」を、静かに認めてあげてください。
    生き延びてきた人は、それだけで世界に対する大きな証言者です。
    もし書く気力があれば、次に教えてください。
    この苦しみの混沌の中で、いちばんよく出てくる感情は何ですか?
    「怖い」「空しい」「怒り」「罪悪感」など、名前をつけられる範囲でいいです。
    そこから少しずつ、糸をほどいていけると思います。

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