恐い、で始まったものは恐いまま。じゃあ逆は…?

私の過去に望んだものは、「恐れ」が前提でした。

お金がないから、このまま無くなったら『恐い』から仕事を探す。

面接に落ちれば、このまま無一文になるのが『恐くて』進む。

受かれば、また就活が『恐い』ので、体を壊そうが何だろうが続ける。続ける上で、人の評価を『恐い』と思う。

また続けられなくなった時、転職回数が増えていくことを『恐い』と思う。

恋愛も同じ。

自分のことをどこか卑下していれば、誰かと相思相愛になっても『ダメで変われない自分』を恐れる。

相手との関係に不安を覚えれば、別れる『恐れ』が過ぎる。

嫌われる『恐れ』をカバーすべく、相手を変えようとしたり、自分が変わろうと(と言うか、我慢)する。

結婚しようと頑張るのも、『結婚出来ずに子供を産まずに終わる自分』を『恐れる』ことから来る。

勿論、この『恐れ』が発端だとしても、コンプレックスをバネにして成功するような形もあるし、自分の恐れを教えてくれる人がいることもあるから、一概にこれが正しい訳ではない。

でも、私自身が自分の人生を振り返った時、同じことを、仕事でも恋愛でも繰り返したいなぁと思った時に、共通点はこれだった。

全部、何かが『恐い』から、行動していた。

最悪のイメージをどうにか阻止したくて、頑張った。

情けない、ダメなやつ、なんて、思われたくなかった。

プライドがあった。

バカだと思われることを、恐れていたのかもしれない。

変わらなきゃ、と思った自分には、相手を変えなきゃいけない、もしくは自分が変わらなきゃいけないと思うような恋愛ばかりが来ていたなぁと思う。

じゃあ、もし、ありのままの自分でいたいなら、過ごして生きたいのならば、

自分が、『変わらなくて良い』と、私自身が認められればいいような気がした。

類は友を呼ぶ。同じような人間を引き寄せるのが、もし本当ならば、私はこのままで良いと思えば、そのままでいさせてくれる人間関係を作ることが出来ると。

仕事においてもプライベートにおいても、そうなれると思った。

『恐さ』から、行動しない。

私は、多分そのほうが良いジャンルの人生なんだと思う。

恐いから、避けようとする。避けるべく望んだものが手に入れば、それで幸せなはずなのに、『恐い』からは逃れられることは、私はこれまでなかった。

不思議だった。どうしてだろう?って。

お金や不安定が嫌だから、正社員で土日休みで事務職を選んでも、不安は消えずに人間関係はどんどん悪化した。

会社は大嫌いになり、職場を出た後にスマホで小説を読んでひたすらのめり込んだ。

自分の人生ではない、他の幸せな人生を見ているのは、本当に幸せな時間だったけど、私は自分の人生を全く生きてはいなかった。

恐れを前提とした行動は、常に恐怖と不安を抱えた人生になり、取り巻く人はその流れを強化するようになる。

恋愛もそうで、初めは良いけど、徐々に違和感を感じたり、「どうしたら相手が良くなってくれるんだろう?」「自分がどうなれば、相手との関係がうまくいくんだろう?」と思った。

時には、苦い感情を無理に飲み込み、自分がどうにかすればうまくいくと試行錯誤して本を読み漁り手がかりがないか探したりもした。

変わらなきゃいけない、変わって欲しいと願う私には、いつも自分が変わるか、相手が変わるか、二択を迫られるような恋愛が多かったような気がする。

でも本当は、相手を変えるなんて、おこがましくて、自分だってそんな簡単に変わる訳ではない。

人にされて嫌なことは、人にすべきではないけど、これには続きがあって、自分にもそれをしてはいけないと最近知った。

だったら、『変われよ!!!!』というアクションを、私は私に対してしてはいけないなぁと思う。

変わりたくて、散々泣いた。色々やってみた。

黙ってみたこともあるし、何も気にしないようにしようと、平気なフリをしてみたこともある。

でも、何も変わらなかった。

何も起こらなかった。

努力しているのになぜ?

そう思った。

そりゃそうだ、楽しくて始めたわけじゃない。

楽しくて、そうしている訳じゃない。

苦しいから、恐いから、もう嫌だから、やってる。

何かから逃れたくてやってるんだから。

ベースが『恐い』じゃ、それは当たり前のように、常識のように、ずっと続いていくんだなぁと思う。

この先、仕事においては、無理に変わらなくても良い職場、働き方をしたいし、恋愛においても、無理に変わることも、相手を変わらせるようなことも無く、過ごして生きたい。

別にこれは幻想ではないし、仕事においては色々な幸運が舞い込んで、別に何かを変えようとか無理していないというありがたい状況になっている。(数十年生きてて、こんなん初めてだろうな、なんて思う)

恋愛に関しては、人を好きにとーってもなりにくい体質なので、どうなるか分からないけど。

周囲の幸せそうな方々にお聞きしたところ、「自然」にそうなっていく形が幸せな関係であることらしいので、毎日強く望む訳でもなく、穏やか〜な感じで良いのではないかなぁ?と思っている。

今、幸運だと書いたけれど、今日やった福引きは4回もガラガラ回したのに、ぜーんぶティッシュでした。

1つ位、旅行券か家電(空気清浄機欲しい)当たったら嬉しかったのになぁ。

とても感覚的で漠然とした話ですが、昨夜から今日まで何となくうつらうつらと思ったことを書いてみました。

おしまい。

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コメント一覧

全4件
  1. schedule2018.03.27

    ohana

    おっくんさん☆
    怖さの経験があったからこそ…。
    面白いですよね、その経験は、思い出すと決して幸せな思い出ではないけど。
    ある意味で『糧』にはなっているのかもしれませんね。

    〜しなくては…。
    これには私も、毎日ぶち当たります。
    とても些細なことから、結婚や妊娠のことまで…。それこそ毎日。

    後悔しない人生って何だろう?自分だけの幸せな人生って、自分にとっての自由でワクワクする生き方って、どんなんだろうな?って。
    毎日のように考えてしまいます。
    おっくんさんの言う通り、好奇心のような『ワクワク』する事が多ければ多い程、幸せな人生のような気がしています。

    お互いに、周りではなく自分を中心とした、幸せな人生を見つけていきましょうね。

  2. schedule2018.03.27

    おっくん

    何々しなくては…
    何々じゃなきゃだめだ…
    僕も「怖さ」が先に立つことが多いです。
    これは、本能的にリスクを嗅ぎ取っている気がします。
    一方で、僕も「好奇心」から始まることもたくさんあります。
    「怖さ」には、重く冷たいもの。
    「好奇心」には、軽く熱いもの。
    そんな感覚があります。
    僕は最近、好奇心が先に立てるような生活を探しています。
    俗習や常識に縛られず、良い意味で自分にとって「楽」な生き方を。
    でも、それは「怖さ」の経験があったからだと思うんです。
    不思議で面白いですね。

  3. schedule2018.03.26

    ohana

    ぬいさん☆
    それはありますね…。ビジネスにもそれはある意味で、言えるかもしれません。

    好奇心、それに突き動かされて生きていくことって、凄く素敵なことだと思います。
    恐いという不安も乗り越えて、自分が『やりたい』に突き進むこと。
    それって、良い面を信じて、ポジティブに考えて?と言うのかな?
    表現が難しいのですが、良い意味での行動動機である気がします。

    恐れが原動力の時って、ポジティブに考えているとは言い難い場合が多いような気がしていて…。

    ワクワクするから、やる。
    そんなシンプルな行動を繰り返していくことに、その先にある幸せを見つめて行けたらなぁと思っています。

  4. schedule2018.03.26

    ぬい

    恐怖が人間を動かして行く
    歴史をみれそういう事例はよく現れたりします
    そうやって人間は歩んできた反面
    もうひとつ人間を動かしてきたものがあります
    それは好奇心、探究心、ワクワク感
    そういうものが恐怖すら乗り越えて
    リスクを冒してまでその向こうに人を誘ってしまったりする
    恐怖と探究心
    二つをうまく利用する
    これも大切なのかもしれません

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