後悔しないための生き方~「今を生きるために」

ライター・エディターチームの葉音です。

 

「今日人生最後の日として生きる」

これは、私が高校のとき、好きだった女の子が好きだった言葉です。彼女のことはすきだったけれど、私が唯一彼女のことで疑問に思うところでもありました。

人生最後の日に何をする?と聞かれたら、まず好きな人といたいと思うだろうし、家族といる人も多いと思う。でも、今日が人生最後の日として生きるってなんだろう?って。今日が人生最後の日だったら、まずいつものように高校なんて来てないと思うし、勉強もしてない。やり残したことをやるだけだと思います。

その言葉が好きな理由は知っていましたし、その言葉の真意もわかっていたつもりではいます。

それは、『後悔しないように、毎日を生きよう』ってことだということ。

でも、それならこの言葉のほうがしっくりくるし、彼女が好きな言葉を否定したいわけではなかったけれど、今日を人生最後の日だと思って生きる、という言葉自体があまり好きではありませんでした。

彼女信者だった私にとっては、彼女への初めての反抗でしたし、今でもしっくりこない言葉です。

 

だからこそ、この言葉を私は掲げます。

『後悔しないように生きること』

 

後悔してきた毎日

私は今まで、色々考えてきたつもりでも、後悔ばかりする選択をしてきたように思えます。

 

明日への不安におびえ、死にたい毎日。何度も考えた自殺。

友達なんていらなかったし、恋愛もどうでもいい。自分なんて嫌いだし、家族のことも考えられずに、毎日を無駄に過ごしてきた気がします。今思えば、無駄なことなど一つもないとわかりましたが、後悔ばかりしました。

中学生までは、何も考えずにひたすら小説を書きました。自己表現がそれしかできなかったから、小説を書くこと、遊ぶことに夢中でした。友達は限られた人数の狭い世界で、小説を書くことは、私の幅が広がるわけではなくて、ただひたすら自己嫌悪と自問自答を続けながら書き連ねた悲痛な叫びばかり。

それだけ、自分の世界を確保すること、「自分を何とか守ろうとすること」に必死でした。

そのときはそれだけで良いと思っていたけれど、将来の展望もなく、友達と遺書の書き方を考えたり、だらけたりする毎日。

勉強が得意な姉と兄にコンプレックスを抱いて、勉強をすることを諦めては、自分のできなさ加減に落ち込んで…の繰り返しでした。

 

勉強を頑張るようになったのは、中学校三年生のとき。

中卒で働くような度胸もなく、高校進学のために始めた、必死のあがき。でも、両親に「良い子ちゃん」としてそだてられた私は少し勉強すれば、授業態度も悪くなかったため、内申をうまくあげることができ、高校に推薦で進学できることになりましたが、やはり努力も気持ちもついていかず、姉と同じ高校に進学したいという気持ちをきちんと出すことができず、内申もたりず、本当の志望校に進学することはできませんでした。

 

それでも、そのときは悔しくありませんでした。姉と私は違う、という気持ちが大きかったのもありますが、何よりも傷つかないように、高望みすることを諦め、自分を守っていました。

 

高校では、人間関係を築くことが更に困難に感じるようになりました。

「セクマイ」で悩んだ時期でもあるし、自分の感情をコントロールすることも、自己表現することも本当に苦手で、怖くなってしまいました。

唯一、自分の価値を見出せたのは、勉強を頑張って結果を出すこと。私の高校は試験ごとにクラス順位と学年順位が出るところでした。

勉強を頑張れば、両親にも認められるしクラスの中でも一目置かれる。自分にとって誇れるものが一つできることに固執して、勉強を頑張ることに専念し、高校の最後のテストでは学年トップをとることはできました。

頑張った結果、には違いありません。

祖父母も私のことを誇りに思ってくれたし、大学にも推薦で進学することができました。

でも、このころの私は、勉強で自分の価値を見出すことができなくなったら、自分には何があるのだろう?と自己否定感ばかりが募り、自分で自分を追い詰めていただけでした。

高校のときにできた友達は少人数ですが、今でも仲良くしてくれる、誇れる友達たち。

でも、心を通わせ、ちゃんと付き合えるようになったのは本当に最近のことで、高校のときの私は心を閉ざし、きちんと「人」と向き合うことができていなかったのだと、今になって思います。

 

大学でもそれは変わらず。

大学三年生のときに吹っ切れたように、妙に人と話すようになりましたが、それもうつ病の一時的な心の変化で、本当の私として、誰かに接することはあまりできませんでした。

 

振り返ると、本当に後悔ばかり。

何よりも、たくさんの人間の信頼を裏切り、きちんと関われなかったこと。

関わりたかった人と、向き合うことができずに、連絡がとれなくなってしまったこと。

何よりも後悔していて、今でも心に残っていることです。

 

過去は変えられないけれど、もしも戻れるなら、ちゃんと関わりたかった人は沢山います。

 

たくさんの人たちとの別れと後悔をこえて

 

前回のブログで『最期の言葉』という文章を書かせていただきました。

そのブログでも書いたように、私は介護職としてたくさんの方の死と関わり、祖父も亡くしました。

 

祖母は先日、大阪まで見舞いにいってきたのですが、気丈にはふるまっていましたが、随分と痩せていました。

前は私よりも体重があったのに、今では30キロ前半…

覚悟はしなければいけないとは思ってはいます。介護職として見ても、状態から見ても長くはないでしょう。頭ははっきりしているので、祖母もわかっていると思います。

でも、もしものことを考えたくない気持ちもありますし、祖母にも諦めないでもらいたいと思っています。

だからといって、祖母の見舞いも怠りたくはない。もう、後悔をしたくないからなのです。

頭の中は矛盾でいっぱい。でも、それがいまの自分にとってできる、唯一の後悔しない生き方なのです。

 

このことは死別に限ったことではありません。いつどこで、人との縁が切れてしまうのか、誰にも分らないし、突然のお別れを経験することもあります。

私にはたった一つの行きつけの店があります。その店は化粧品店なのですが、昨日、たまたま時間があり、その店に寄ったら、店員さんの一人が退職してしまうということを知りました。三月末での退職。その店員さんとはなかなか会う機会がなく、昨日になって初めて知った事実です。

店員と客。

それ以上でも以下でもない関係。その方が店にいなくなってしまったら、もう会うすべがありません。

連絡先を交換するというのも違う。本当は、関わっていたいけれど、見送ろうと覚悟を決めました。

でも、後悔しないために、伝えることは伝えて、最後の日も会いに行くつもりです。自己満足でしかないかもしれませんが、後悔だけは絶対にしたくないから…。

 

これが、私の決めた道です。

 

後悔しないために?

人生最後の日となって良いように?

 

なんだか、それだけじゃない気がします。

でも、人間はともに生きていく生き物だし、私は少なくとも、人と関わって生きていきたいから。

 

後悔しない生き方とは?

それは、『関わりたい人と関わり、想いを伝え、人とともに生きること』だと思います。

 

関わってくださる皆さま、ありがとうございます。

私は、貴方のおかげで今日も生きていくことができます。

一緒に、生きていきましょう?

 

葉音

 

 

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