幸せになる恐怖の話

こんにちは、キュウです。

今回は、私が感じた「幸せになる恐怖」について書いてみたいと思います。

よろしければお付き合いください^^

私は私が好きで、私が嫌い

みなさん、自分が好きですか?

”自分”という存在を好きという人も嫌いという人もいらっしゃると思いますが、私は「自分には好きな部分も嫌いな部分も両方ある」というのが今の気持ちです。

自分を全部好きにならなくてもいい。自分を全部嫌いにならなくてもいい。そんなの、割とどっちでもいい。

それが、最近の気持ちかなあ。

私だって一人の人間だもの、いい部分も悪い部分も両方あるわけで、複雑な人間の心だからこそ、好きな部分も嫌いな部分も両方出てくるわけで、それはそれでいいんじゃないかなあって。

 

以前はよく「自分を好きになりなさい」という言葉を聞いてはプレッシャーに感じていました。でも、どうしても好きになれない部分ってあるじゃないですか。そこを「好きにならなきゃ」と思うと、余計に好きになれない気がするんです。

だから、どっちでもいいやって思いました。

「自分を好きになりなさい」には、「自分を好きでも嫌いでもどっちでもいい」と思う。

「幸せにならなければならない」には、「今が幸せでも、不幸でも、どっちでもいい。」と思う。

それよりも、今この瞬間を「生きて、知る」ことの方がよっぽどわくわくすることだなあと感じています。

 

この「生きる」には、嬉しいことも含まれます。

悲しいことも含まれます。

綺麗で心洗われるような感情も含まれます。

あまり人には言えないような感情も含まれます。

努力も、偶然も、失敗も、成功も含まれます。

それだけではなく、生きていればぶち当たる全ての出来事が含まれます。

 

そうして、身の回りで何かが起きた時の自分の心の動きを、すこしずつ、「生きて、知る」。

きっと私は、そうして自分の心の動きに敏感になって、分析することが好きなんだと思います。

極端な考えは、とたんに視野を狭くする

どうしてそういう考えになったかというと、「自分が好き」と人に話しても、しばらく経てば嫌いになっていたり、「自分が嫌いだ」と人に話しても、数日後には「あ、やっぱり悪くないかも」と思ったりすることに気がついたからです。

「自分」というくくりで判断すると、自分のあらゆる部分について、すべてひっくるめて「良いか悪いか」「好きか嫌いか」という極端な判断になってしまう。

 

でも、それって、本当にいい判断なのでしょうか。

 

過去には、自分はすべてひっくるめて「悪い」・「嫌い」と思ってた時期も確かにありました。

でもそれは、今思い返せば自分のいい部分にフォーカスを当てて自分を認めることから逃げていただけ。自分を人として扱いながら向き合うことから逃げていただけだったんですよね。

その「自分を認めるのが怖い」という気持ちから逃げずに、とことん分析して向き合う姿勢に変えられた時。少しだけ自分も悪くないかもという自尊心が芽生え、心がすこしずつ楽になっていくのを感じました。

極端な考え方をしてそれを自分に言い聞かせていると、細やかな心の動きに注目するチャンスを失う。

そうして、その細やかな心の動きを無意識のうちに否定・抑圧してしまうことが積み重なると、自分が本当は抑圧していることや葛藤していることにも気がつけずに「わけもなく悲しい」や「わけもなく苦しい」「わけもなく涙が出る」「わけもなく死にたい」につながっていくような気がします。

「幸せになる」という恐怖

私は以前、幸せになる恐怖というものを体験しました。

それは、恋人を恋人として意識し始めた頃のこと。実際のところはわかりませんが、彼が私にアプローチをかけてきてるんじゃないかと思い始めた時がありました。

そして、とても怖い気持ちになったんです。

その時に友達に送ったラインがこれ。

私、今もしかしたら人から恋人として意識されているかもしれない。
怖い気持ちとあったかい気持ちが入り混じってて怖い。こんな感情私知らないよ!って思ってて。。。

それに対し、彼女から来た返信は

キュウちゃん!
大きいしあわせが、届いてるんだね…しあわせが、一番怖く感じるから。。

でした。

私の心は今こんなに恐怖で満たされているのに、それを「幸せ」と表現した彼女のLINEを見て、私の心は驚きました。

「幸せになるって、怖いんだ。」

そこから自分と向き合っていくと、彼女の言う通り、幸せになる恐怖のような鎖が見え始めて。

「本当は彼を好きになりつつあって恋もしてみたいけれど、様々な要素を考えると、私がこの人を好きになっちゃダメだと思う。」

という葛藤が、当時の私の心の”ざわざわ”の正体なのではないかと思うようになりました。

今までは「本当はこうしたいけど」という本音を無視して「こうするべきなんだ」の方に従っていながらも、無意識の世界では葛藤が続いているためモヤモヤを抱えながら(抑圧しながら)生きており、その生き方に慣れていた私は「本当はこうしたいけど」の方に目を向けることに慣れておらず、恐怖を感じるようになっていたのだと思います。

 

「こうするべき」に従えば、辛い気持ちが待っていることはわかっている。(そして、その辛い気持ちを乗り越えるためのパターンもだいたい見えている。)

でも、「本当はこうしたいけど」に従うと、どうなるのか結果が見えなくて怖い。

これが、当時の私の本当の気持ちでした。

恐怖というのは、「予測できないもの」「得体の知れないもの」に感じる、というのは、以前どこかでブログにも書きましたよね。

彼女のその言葉を聞いていなかったら、私はこの自分の心の動きに注目することはなく、”こんなに怖いのだからやめたほうがいい”という防衛本能?に従って、彼と恋人になることはなかったでしょう。そうして無意識の抑圧が増え、灰色の世界で生きる時間が長くなっていたのではないかと思います。

この「幸せになる恐怖」と向き合えたことは、私の人生にとってかなり大きな転機でした。

きっと、実家を出るときの恐怖も同じだった

きっと、実家を出るときに感じていた恐怖も、似たような感情だったのでしょう。当時はそれに向き合えるだけの余裕がなくて気がつかなかったけれど。

このまま実家に住めば、今まで通り衣食住に困ることはない。多少の不満はあれど、それは病院に行ったり人に話したりすればなんとか堪えられるんじゃないかとも思う。親も一人暮らしなんてお前には無理だと言っているし、きっと実家に住み続けることが”いいこと”なんだと思う。でも、私は本当は自分の力で生活してみたい。

そうやって、「実家で暮らすべき」と「自立したい」の葛藤で苦しみ、本当の望みに従って行動することにとても恐怖を感じていたのでしょう。「今まで通り」にしんどさはあっても、恐怖はそこまでありませんでしたからね。だって、こうなるだろうなという結果が予測できるんだもの。でも、今までとは違う行動の先にあるものは見えないので、とても恐怖を感じたのだと思います。

恐怖の真っ只中ずっと背中を押し続けてくれたオルガンさんが居なければ、私は家を出られていなかったかもなあ。こんな幸せになってなかったかも。

家を出られて本当に良かったなあ。

 

恋愛でも自立でも、幸せになるためにもがくことから逃げなくて良かったです。

おわりに

キュウの幸せになる恐怖のお話、いかがでしたか?

実は、このブログの大部分を書いたのは2ヶ月くらい前の話なんです。2ヶ月前に書いた書きかけのブログの続きを書きたいと思うことは珍しいのだけど、(というか、こんなブログ書いてたこともすっかり忘れていたのですが)この間ブログを整理していた時に見つけて読み返すと2ヶ月前の自分が書いておいたことが今の私の心にもすんなり響いてきたので、今の私のブログとして公開してみることにしました。

気持ちを書き留めておくと、こういう過去の自分との出会いもあるのですね。結構面白かったです。笑

 

よかったら、皆さんも今現在自分が抱えている葛藤に「幸せになる恐怖」が隠されていないか、自分の心を探ってみませんか?(ちなみに、キュウが今している心の探り方はこちらのブログから^^)きっと、前に進む打開策が見えると思います。

「そんなこと言われても心を探るのが難しいな、手伝って欲しいな」と思う方も多いとおもいます。そのうち、そういう方をお手伝いできるようになりたいなー。

 

では、また^^

 

キュウ

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