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亡くなった愛犬は幸せだったのか。
2348 edit2021.08.04
中学3年生の時に愛犬はやってきました。犬嫌いの私が、いつの間にか家族で1番溺愛するようになりました。
大学4年の頃、両親が離婚。母が愛犬を連れて家を出て、祖父母のいる実家に帰りました。愛犬は父が大好きだったので、精神的ショックを受けないよう、母と絶対愛犬を幸せにしようと誓い、愛情を注いできました。
愛犬が13歳の時、白内障、心臓病、気管虚脱と次々に病気が見つかりました。その度に獣医と相談しながら、生活の質を落とさないようにやれることをやりました。しかし、去年の秋、15歳半ばで脳腫瘍が見つかりました。私は出産間近でした。
痙攣発作を頻繁に起こすようになりました。大切な愛犬が、泡を吹いて痙攣を起こしている。受け入れ難い光景でした。でも、何とかして助けたくて、痙攣を起こしたら座薬をさし、治らなければ病院へ行く、そんな毎日でした。
子どもが産まれてから、精神的にも不安定で、適応障害になりました。なかなか会えなくなった間も、愛犬は懸命に生きてくれました。
今年の6月から愛犬は一気に弱り、寝たきりに。毎日痙攣を起こすようになり、痛みで何時間も悲鳴をあげました。私の体調も良くなったので、毎日子どもを連れて介護に通いました。子どもが立ち歩きし始め危なっかしくて、愛犬に対して十分な介護をすることができませんでした。でも、私なりに精一杯向き合いました。
亡くなる1週間前から、愛犬を可愛がってくれた人全員が遊びにきてくれました。亡くなる2日前、食事をほとんど食べなくなり、体から力が抜けたようになりました。
亡くなる前日は、抱っこしながらたくさん話しかけました。虹の橋がどんなところか、私がどれだけ幸せだったか、感謝しているか。
その日の夜、母が「1時間おきに起きるから、あなたは子どもの世話もあるから寝なさい。」と言い、私は子どもと寝ました。愛犬に、「また明日ね。大好きだよ。」と伝えました。愛犬は母の隣で、その近くで私と子どもは寝ました。そして夜中2時、亡くなった愛犬を母が見つけました。最期を看取ることはできませんでしたが、まだ柔らかく、あったかい体。とても穏やかな顔をしていました。苦しまずに逝ったのだと、直感で感じ取りました。
やり切ったつもりです。でも、子供の世話もあり介護に集中できなかったこと、最期の夜寝てしまったことが悔やまれます。起きてずっと見ていたら看取ることができたのに。壮絶な闘病生活を送った愛犬をこの目で看取りたかった。1人寂しく何を思って逝ったのだろう。
後悔ばかりが次々に出てきます。もっとできたと自分を責めています。喪失感と罪悪感で押し潰されそうです。愛犬は幸せだったのか。愛犬には聞けないし、一生分からないことだということは理解しています。でもどうか幸せであってほしい。この気持ちとどう向き合っていったらいいか、分かりません。
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