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ただ話を聞いてほしい

父が私の目の前で死んでから、今まで気づいていなかった自分自身の性格の悪さに驚いています
visibility379 edit2025.03.17
先日、父が自宅階段から落下し亡くなりました。当時、母も入院中で心労がたたったのかもしれません。姉は遠方で暮らしていますし、同居している祖父はいれどほとんど関わることもないので同じ建物に住んでいるだけで同居しているとは言えないような関係です。なので父を見つけたのも、心臓マッサージをしたのも、現場を見たのも、父が流した血を掃除したのも私でした。
この件でひねくれてしまって、親に怒られただとか親がうざいだとかと嘆く同世代の少年少女が羨ましいような、馬鹿にするような汚らしい感情にさいなまれるようになりました。両親が健在だったころは高校生がよく抱くような親が鬱陶しいなどといった感情を私も持ち合わせていたにも関わらず、棚に上げています。
父は脳死状態になったので臓器提供をしました。そのことに悔いはありませんし、正しいことをしたと思っています。そのうえで、命を落としたドナーのことを考えもせず自身の幸せのみ考えて生きていくかもしれないレシピエントに腹が立ちます。生体肝移植ならその限りではありませんが、心臓や肺などに関しては命を落としたドナーと家族を失い悲しむ家族の存在があります。レシピエントの手記をいくつか拝読しましたが、その多数がドナー、ドナー家族への感謝や移植後の生活がつづられるばかりで適応するドナーが現れたことへの葛藤(例えば心臓移植ならどこかで脳死状態になった方がいるということ)や、言い方が悪くなりますが脳死状態になる方を待つということはどこかで誰かが死ぬことを待っているということへの葛藤などがつづられないことへモヤモヤしてしまいました。もちろん、記載がないだけで内心葛藤があったのかもしれませんが、記載がないことまでは推測の域を過ぎませんから。父の臓器を受け取った方の幸せは願っています。ですが、なんだかやるせないのです。私が大人になって結婚式をあげることがあれば当たり前のようにバージンロードを一緒に歩くと思っていましたし、子供を産むことがあれば孫を抱いた祖父の顔をする父の存在があることを疑ってもいませんでした。健康だとは手放しに言えないかもしれませんが、死ぬような病気を抱えたことはないような人でしたので。このような意見を持つドナー家族の話も聞いたことがありません。あまりにも私の性格が悪いのだろうと思います。
母は脳内出血で倒れ入院していました。今は退院もし、仕事復帰の予定もありますが後遺症もあり全く以前の通りとはいきません。ずっと私はいずれ一人暮らしをしたいと思っていましたが、母一人残して一人暮らしなど怖くてできません。都会に住んでいるので車の免許を取る必要もないだろうと思っていましたが、実際に車の免許を持っている人がいない家庭(父が唯一免許を持っていました。母は視力の問題で免許が取れないそうです)はあまりにもハードモードすぎました。まだ私は免許をとれる年齢ではないのですが、取れるようになり次第、免許を取る予定になりました。元々免許を取る予定はありませんでしたが、気が変わって免許を取ろうと思っても経験者である父を助手席に乗せて初心者のうちは運転して慣れていけば、とどこかで思っていましたがそんなこともできません。今まで考えていた「未来」が悉く砕かれます。
父を見つけたのは私のみです。発見した時の薄暗さ、出血量、パシャパシャと血が流れる音、パシャパシャという音の原因は何かと目を凝らしている間も広がる血だまり、心臓マッサージをした感触、失禁をしていたため心臓マッサージ中に膝を濡らす生温い液体、発見した時の困惑、「あ、これあかんやつや。死ぬやつや」という漠然とした絶望。知る人が私しかいません。父が実際に書類上死んだのは法的脳死判定で脳死と判定された時であり、父が実際に体の暖かさをなくしたのは父の体からいくつかの臓器が取り出されレシピエントの元へ渡った時であり、心臓自体は父の体ではない方の下で動いています。ですがずっと、臓器提供をするかどうか判断をするときも父の見舞いに行っていた日も、どこかで私の中で父が死んだのは階段から落ちた父を発見したあの瞬間でした。「これ死ぬやつや」と脳内では発した言葉は死ぬかもしれないというifの話ではなくて、確信に近いものだったからだと思います。父の死にざまを見た唯一の人間である私はあの情景を忘れてはいけないと思っています。
あの時、母が入院していたこと、姉が遠方にいたことが今でもずっとどこか恨めしいです。あの時私が一人でないだけで父の死にざまを見た人間は唯一ではなくなります。父が倒れこんでいることや搬送されたことにずっと内心動揺しながらも私しかいないんだと思う必要はありませんでした。今でも時折父のことを母などと振り返りますが、私があの時のことを話しても「大変やったね、お疲れ様」という言葉しか返ってきませんし、かけられる言葉もないのだと思います。そんなもの求めていないんです。びっくりしたね、大変だったね、怖かったね。そういって同じものを見た同士で感情の共有ができる人がいればそれだけでだいぶ違ったはずなんです。父のことに関して、私は一人ぼっちです。誰も知りませんから。知りようもないですから。
色々な方に精神的な面で心配していただきましたが、大丈夫だと答えていれば心配してくれる方は一人もいなくなりました。今、同じ質問をされても私は大丈夫だと答えると思います。病んでいる、メンタルブレイクしていることは大っぴらにするものではないとおもってしまうので。ですが、全然大丈夫じゃないんです。大丈夫だと答えれば、強いねと言ってくださった方もいましたが強くなんてありません。ただの虚勢です。強くもなければ、大丈夫だと嘘をつき続けているだけの性格が悪く弱い人間でしかないんです。
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