「勝ち組」という価値観と距離を置くことが、安心した心を作る

みなさん、こんにちは。

タカミチと申します。

「勝ち組」という価値観は好きではありませんが、考察するに当たって分かりやすい面もあるため、今日は、“幸せの定義“について「勝ち組」の価値観を題材として考えてみたいと思います。

“幸せ“とは「心が自由な状態」を作ること

“幸せ“と一言で言っても、感じ方や価値観は人それぞれ様々ですので、固定された形があるものでは無いと思います。

その一方で、人の感情の仕組みに基づいた“最も単純な幸せの感じ方“というのは、大部分の人で共通であり、これが「幸せの本質」と言われたり、定義される部分だと感じます。

前述の通り、幸せとはその人の価値観によって変わりますので、多面的、複合的な要素によって感じ取るものです。一言で言い表せないものだと感じますが、あえて一言で表すなら「心が自由な状態」と言えます。

良い事も、悪い事も「じっくり観察して感情を処理できる状態」とも置き換える事が可能だと思います。

社会で生きていると、誰しもが接する人や出来事、物など、あらゆる事象から影響を受けて絶え間なく感情を喚起され、それをおのおのの心で判断・処理をして生きています。

つまり、そうした絶え間なく押し寄せる感情の渦に飲まれないように、安定して人生という船を漕いでいける状態が、「幸せを感じる状態」だと言えるでしょう。より丁寧に言うなら「幸せをじっくり見つめられる、探せる状態」となります。

一方で、世間一般に暗に浸透している、贅沢を追い求める「勝ち組」という価値観にこだわる生き方や、そうした影響を受ける生き方というのは、自ら嵐の大海原に小型の船で挑むようなものだと考えます。

その大波を乗り越えて、財宝のある宝島に辿り着く人もいるでしょう。この財宝は、大金であったり、美形のパートナーなど、人の尽きない欲望を喚起させるものとします。

しかし、そうした人々は、今度はその手に入れた財宝を失う事を恐れ、富めば富むほど他人を信用しなくなって遠ざけ、お金や贅沢に執着する生き方にしがみつくようになる人が増えてしまった事が、現代の病んでしまった社会を形成している側面が強いと感じています。

社会の発展により便利になった事と引き換えに、贅沢することが当たり前となり、多様な娯楽により個人の時間が増え、家族は分散化が進み、コミュニティは廃れ、「人々が共感し合う」という文化が急速に廃れてきたと感じます。

この「共感心」が失われてきた事が、孤独化が進んで心を病む人が増え、さらには自殺者の増加を招いてきた事実があると思います。

人に共感するということは、自分の時間をその人の為に使う、という事と等しいため、得てして生きづらさを生み出します。「むやみに共感しない方が、面倒ごとに巻き込まれない」、こうした考え方が浸透しきってしまった結果の社会だと言えるかも知れません。

そして、多くの人が無意識にこのことに気づいているのに、そうした「勝ち組」主体の社会に共感・従属することを止めるのは、自分だけ社会のつまはじき者になると錯覚して、恐くてそこから抜け出すことが出来ない状態にあると感じています。

「郷に入っては郷に従え」の悪いパターンが、現代の物質社会だと感じています。

「人より稼いで、ある程度贅沢な生活をして、見た目の良いパートナーがいる事」、こうした価値観を“これが幸せの条件だ!”と突きつけられ、多くの人が不安と焦燥感を抱えて、そこに近づこうと躍起になっている、そういう印象が近現代の社会にはあり、道徳観が失われていく事と合わせてより強まっている傾向を感じます。

「勝ち組」に成ろうとする事を否定するわけではありません。努力をして、経済力や人との繋がりを得る事自体は素晴らしい事です。良きにつけ悪しきにつけ、社会が発展してきた事実はあります。ただ、多くの人がそうした社会の価値観に翻弄され、幸せの本質に気づけずにいる、という事が問題だと感じています。

僕がお伝えしたかったのは、「勝ち組」に近づく事が、絶対的な幸せの条件ではない、それ以外に幸せを感じる手だては無い、というわけではない、という事です。

むしろ、一度「勝ち組」の価値観から離れ、それが滑稽であることをよく観察し、「現状にも、小さくても穏やかに幸せを感じる要素はある」という事に気づき、心が安心している状態を作っていく事がとても重要だと感じています。

そうした、先に「心が安心している状態を作る」事は、人生の船を補強し、ちょっとやそっとの嵐ではビクともしない大型船に作り変えていく作業と言えるでしょう。

そして、そうした心境を作っていく上で、「前向きな心境で負けてあげる」ということも、無用な劣等感を生み出しづらく、自分の心を守ることに繋がりますのでご参考ください。人生とは、「如何に多くの負けを、笑顔で受け入れられたか」という事が、その人の心の深さ、安定感に繋がると感じています。

必ずしも、将来に渡っての完全敗北を受け入れる必要はありません。戦略的な一時撤退で良いと思います。機が来れば挽回すれば良いのです。

「泥多ければ仏大なり」という禅語がありますが、多くの苦労や敗北(泥)を、「それもまた良し」「今はしょうがない」と受け止め、「少しずつ改善して行こう」と前向きになる事が出来ると、心(仏)が大きくなります。

そうした、安心した心を作った上で、「勝ち組」的な要素を少しずつ求めて行けばよいと感じます。

やはり、人生は刺激も無いと退屈を感じてしまいますから、「小さな幸せを大切にする事」と、「勝ち組的な要素を少しずつ実現する努力をする事」を、バランス良く考えることで、安心して幸せを感じながら生きていく事が出来やすくなるのではないかな、と思います。

少しでも、ご参考になる部分があれば嬉しいです。

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