【nano×鷹れん】本当の自分ってなに?
visibility1,732 edit2015.08.15
みなさま、こんばんは☆鷹れんです(*´`)
今回は、nanoさんと鷹れんの合作となります☆
nanoさんはステキなおにーさまです。輪になってお話する会の司会もやってらしたから、ご存知の方も多いのではないでしょうか?
合作はこれで三作目となりますが、毎回自分にはない考えを知れたり強く共感できる部分があったりと、とーっても面白いし成長できてるなぁと実感できます(*´`)♡
▽これまでの合作はこちら☆
【ゆっきーな×鷹れん】怒られるのが怖いあなたへ
【まいん×鷹れん】大学生が恋愛を考えてみた
テーマは「人の内面」!
その中でも「自分が思う自分と周囲の思う自分のギャップ」「リアルとメールでメールの方が本意が伝わる不思議」の二つに焦点をあててみました☆
…ひっじょーに長くなりましたので、飲み物とお菓子片手に適度に適当に読んでくれたら幸いです。
では、張り切っていってみましょう☆
Ⅰ.自分が思う自分と周囲の思う自分のギャップ
みなさんは、この二つにギャップを感じたことはないでしょうか。
私はよく「鷹れんって真面目だよね~」と言われます。けれど課題を先延ばしにすることもありますし、常に埃ひとつない綺麗な部屋をキープしているわけではありません。
勿論真面目な部分もあるかもしれませんが、自分で見ていると真面目じゃないところの方が多く感じるのです。
- 頼りになると言われるけどそんなにしっかりしてない。私だって頼りたいのに。
- 可愛いと言われるけど部屋では女の子らしくない。でも出かけるときはバッチリにしないと幻滅されちゃうかも…。
- 大人っぽいって言われるけどイベントとかはしゃぐし大声出すこともあるよ。
- 優しいって言われるけど自分に余裕がなかったりタイミングによっては優しくできないこともある。
…などなど挙げたらキリはありません。
これらは、必ずではないけれど、その人の悩みのタネになりやすいのではないでしょうか?
かく言う私も「真面目だ」と言ってもらうことは嬉しいけれど真面目じゃないときにほんのり罪悪感があったり、人前だといい子のフリをしたり悩みのタネになったりならなかったりです。
では、なんでこんなギャップが生まれてしまうのでしょう。
そして、どうしたら自分も相手もストレスなく過ごせるようになるのでしょう?
そんなことをこれから考えていきたいなぁと思います(*´`)
本当の自分ってなんだろう?
そもそも「本当の自分」とはなんなのでしょうか。
「あなたにとって本当の自分ってどんな?」
そうきかれたら、どう答えますか?
あなたが答えたソレは、本当に本当のあなたなんでしょうか。
「明るくて外交的だなぁ」と思っても、そうじゃない時間もあるんじゃないかなぁ。毎日すれ違う人みんなに挨拶するわけでもありませんし、ちょっぴり落ち込んだり寂しくなったりする時もある気がするのです。
つまりなにが言いたいのかというと、今あなたが「本当の自分」と感じているのは本当の“本当の自分”の一部かもしれないよということです。
明るい面もあって、暗い面もある。みんなと過ごす時間が好きで、一人で過ごす時間も好き。アウトドアも好きだけどインドアも好き。泣きたい夜もあれば笑いたい夜もある。…ずーっと考えていると、本当の自分が分からなくなってしまうかもしれませんね。でも、それが人間なんじゃないかなぁと思います。
nano&鷹れんが最終的に出したこたえは、本当の自分は何人もいる! ということでした。
初対面の人といると寡黙な彼女も、打ち解けた仲間たちとだとみんなを笑わすムードメーカーになったり。普段はしっかりしている彼も、信頼した人の前ではちょっぴり弱いところを見せていたり…。
一緒にいる人や、空間・環境、やっていることによって、出てくる自分は変わってくると思うんです。正確にいうと「出す自分を選んでいる」という感じですかね。
苦手だなぁと思う人と一緒にいると、気持ちを悟られないために表情や声音をつくるかもしれません。初対面の人に対して何も取り繕わずに挑んでいける人はそういないでしょうし、先生や上司・先輩と話すときは基本的には敬語など失礼のない言動をとるでしょう。
常に100%自分というものを表現しているわけではなく、無意識的・意識的どちらにせよ少なからず表す自分を選択しているのではないでしょうか。
だから、あなたから見たあなたと誰かから見たあなたの間にギャップは生まれて当然なんです。
だって相手は、あなたがその人の前で見せた「選択されたあなた」しか見ていないのだから。
なおかつ、「律儀に細かい作業をしている姿を見た」→「真面目な人だと思った」→「嘘を吐かない誠実な人かも」…なんて、相手から見た「あなた」に対する相手の印象や気持ちなどから、相手の中ではどんどんあなたのイメージが作り上げられていきます。
特に複数人に向けて発信する場合(このブログもそうですね)、その一部始終を見た人全員の中にそれぞれ別の「あなた」が生まれるのです。
つまりは、あなたが会って話したりあなたが何か表現したり発信したりを見た人の分だけ「あなた」は存在するんです。そしてそれぞれがその人にとっての「本当のあなた」になる…
だから本当の自分は何人もいるという結果になるわけです。
ということは、あなたが見たあなたと誰かから見たあなたの間のギャップに悩むというのは、当たり前と言えば当たり前なのかもしれません。悩んでも悩んでも解決しきれないものなわけで、ある程度悩みのタネになるのはしかたないとも思えませんか?
しかしギャップが生まれるのはそこだけではありません。「あなたが見たあなた」と「本当のあなた」にもギャップは生まれるのではないでしょうか。いわゆる理想と現実のギャップというやつですね。
本当は真面目じゃないのにいい子なフリをしたり、本当は泣きたいのに見栄を張って大丈夫なフリをしたり。次第に自分の気持ちがわかんなくなって自分で自分がわからなくなってしまったり…。
何故、自分で自分にギャップを感じてしまうのでしょうか。
そういうことで悩んでいる人は「自分はこれができなきゃいけない」「自分はこんな人間でなければならない」みたいな考えを大なり小なり持っているのではないでしょうか。強い人間でなきゃいけない、苦手なことがあっちゃいけない。そんな価値観に縛られて、本当の自分を見ないフリしていませんか?
出来ないことがあるのも、苦手なことがあるのも、弱い部分があるのも全部人間らしくていいじゃないですか。自分が無視をしちゃったら、誰にも「本当の自分」は気づいてもらえません(;;)キヅイテー!
そういう自分を、まずは自分自身が受け入れる。そして「自分が自分にギャップを感じないようにする」つまり「自分にとってストレスのない自然な言動をとる」ことが大切なんだと思います。
ことの受け取り方は受け取る人次第。自分が仮面をつけようとつけなからろうと少なからず相手とのギャップは生まれてしまうでしょうから、そこは受け入れるでも訂正するでもなく聞き流す。それがギャップとの付き合い方なんじゃないかなぁと思います。
「親だからわかる部分」「友達だからわかる部分」「上司だからわかる部分」なんていうものもあるでしょうから、聞き流す中で参考にしたいポイントなどがあったら、そこを少しずつ取り入れてみていったらいいんじゃないかなぁ。それらは決して「嘘のあなた」じゃなくて、ぜーんぶまるまるっとひっくるめて「あなた」ですからね^^
どうしたらギャップを解消できるのか?
なにはともあれギャップがあなたにとって悩みのタネになっているのなら、解消していきたいと思いますよね。
何かを解消したり解決するには、まず悩みの根本を理解することが大切ではないでしょうか。
今回の場合はギャップなわけですが、まずはどんなところのギャップに悩んでいるのかというように、出来るだけ具体的にギャップを認識することが重要になってくるわけです。
自分と自分のギャップを意識すること…なんだかややこしくなってきますが(笑)、自分の内面がわからなくてギャップに悩んでるのに、ギャップ自体という内面を理解するって、なんとも矛盾していますよね(^◇^;)
しかし、ギャップは心の中に閉じこもっているわけではありません。
ギャップが大きければ大きいほど、体はきちんと反応してくれるのです。
ニキビができたり、手汗がふえたり、おでこが広くなってきたり、自分の体の変化に耳を傾ける、自分の声を聴くことができれば、ギャップをちゃんと認識できると思うんです。他人の声は聞き流していいけれど、自分の声は聞き逃しすぎると聞こえなくなってしまいますからね。
「あなたってこんな人だったんだ」
本当の自分を出せるようになると、そんな風に言われて悩むこともあるかもしれません。この発言は「相手から見た自分」とのギャップからうまれるものですが、相手やタイミングによっては「自分が分からない」と思ってしまう可能性もあると思います。
けれど「自分の中の自分」がしっかりしていれば、そういったことで影響を受けても、軸はブレないのではないかな。
「あなたは私のことをそう思っていたんだね。でも、私の中の私はこういう人だからさ」ってね。
そもそも自分と対話しながら、自分の声を聴きながら自分への理解を深めていくと、発信のしかたや言葉選びにも「自然な言動」が表れてくると思います。つまりはそれを見た相手の中の自分とのギャップも、少しずつ消化できるのではないでしょうか。…やっぱり相手による要素は多いから完璧にはいかないでしょうけれど、少なくとも「相手にこう言われたけど、本当の自分ってそうなのかな。むむむ…」と「本当の自分探し」という迷路にはまってしまうことは減らせるんじゃないかなぁ。
そもそもギャップってなくなるもんなの?
「ギャップの解消」について考えたはいいけれど、前述したとおり受け取り方は受け取る人次第。
言ってしまえば「ギャップ」は完全には消化しきれないのです。
人は常に変化する生き物。身長体重記憶感情どれをとっても昨日と全く同じなんてことはないはずです。一瞬前と比べても多少なりとも違いはあるでしょう。
それを理解すると、「常に変化するならギャップのひとつやふたつ、10や20個生まれちゃうよね」なんて、許せる範囲も広がっていくんじゃないでしょうか。そうすると、その範囲内のギャップはもはやギャップではなくなったりして、ギャップの悩みは自然と埋まっていくかもしれません。
…「自分が思う自分と周囲の思う自分のギャップ」についてはここまでで終わりにしようかと思いますが、いかがでしたでしょうか。
次は「リアルとメールでメールの方が本意が伝わる不思議」です。
これは私が相談活動を一年半ほどやってきて感じたことなのですが、皆さんはどちらのほうが「本意が伝えやすい」と思いますか? そんなことも考えながら読んでいただけたら嬉しいです。
Ⅱ.リアルとメールでメールの方が本意が伝わる不思議
相談活動をしていると、中には日頃顔を合わせる学友たちよりも仲良くなったり、親しい人にも言えないようなことをこぼしてくれる人もいて、その度に不思議だなぁと思うのです。
片方が返事をしなければすぐ切れてしまうような繋がりなのに、どうしてそこまで本音で向き合ってくれるんだろうって。だからこそ繋がりを大切にしようと思えるのですが、うむむ、不思議です。
そんなわけで、nanoさんと一緒に考えてみました☆
リアルとメールの違いってなんだろう?
顔を知ってる・名前を知ってる・会ったことがあるって安心材料になると思うんです。会ったことがあるからこそ、相手のことを知っているからこそ話せることもあるのではないでしょうか。
だからこそあえて情報がほぼゼロな人に話すのが不思議なんですね。
nanoさんによると、人が悩みとか自分の大切な部分を吐き出したりってときに大切なのは「伝えやすさ」「伝わりやすさ」の二つなんだそうです。
伝えやすさは、気持ちの部分ですね。自分が相手に吐き出しやすいか、言うときのハードルは高くないか、なんていうことです。伝わりやすさは、話の内容や言いたいことが正しく伝わるかってことです。
リアルだと、恥ずかしさや見栄で言えないことがある…つまり伝えやすさが低くなってしまうことはあるよね、なーんていう感じです。
リアルとメールの違いを、この二つに分けて考えてみようと思います。
伝えやすさ
そもそものテーマが「リアルとメールでメールの方が本意が伝わる不思議」なのでメールの方が伝えやすさが高いーとなりそうなわけですが、本当にそうでしょうか。
顔を知ってるからこそ伝えにくいもの、身近な人だからこそ言えないことってありますよね。学校の先生に恋をしたとか、悩みの原因がその身近な人とか。そういうものは、リアルよりメールの方が伝えやすいことになんの不自然さもありません。というよりも、「顔も知らない他人にしか相談できない」という状況ですね。本当は親しい人や周りの人に相談したいとしてもそれができないケースです。
では、別に親しい人に話せる内容だし、そのほうが具体的なアドバイスとかもらえて結果いい方向に行くかもしれないのにあえて親しくない人に相談する場合は、どんな状況なのでしょうか?
- 第三者の客観的な意見がほしい
- 周囲にいる人を信頼できていない(友達に話すとネタにされて広まっちゃうんじゃないか、など)
- たくさんの人の意見がほしい
こんな感じでしょうか。
他にも、男性だと「客観的に大丈夫か多方面に情報収集をしたい」つまり傷つかないための予防線を張りたかったり「そもそもの解決策が知りたい」、女性だと「(相談することによって発生するトラブルを避けて)友人関係のギクシャクを避けたい」という友達グループに重きを置いた考えだったり「ただ話を聴いてほしい」という周囲の人のお節介を避けたいこともあるのではないでしょうか。
解決やゴールを求めやすい男性、話の共感や共有など過程を重要視しやすい女性、どちらにしても「メールの方が伝えやすい」という状況は成立するのですね。
では「伝わりやすさ」はどうでしょうか?
伝わりやすさ
ちょっと伝えやすさと被る部分もあるのですが、リアル・対面だと相手が目の前にいるため恥ずかしさなどの色々な感情があって、言いたいことが言えないかもしれません。メールは相手の反応が返ってくるまでにタイムラグがあるから、冷静に自分の言いたいことを言葉を選んで自分のペースで綴ることができます。
メールだと、相手のペースに左右されないのです。考えながら話す必要もないし、焦る必要もない。一度書いたことを消すこともできます。
それが分かると告白や別れ話をメールでする男女が増えているらしいのも納得ですね。緊張で声が裏返ってしまう心配もないですしね^^;
悩みや相談にも「スマホやパソコンを通す(=一定の距離感がある)からこそ言える」ものがあるから、益々メールの方が本意が伝わりやすいと感じてきました。
しかし、一定の距離があるからこその“弊害”が生まれているのも事実。
私は現在大学一年生なのですが、大学でグループワークやディスカッションの類の授業をしていると、「自分の意見を言えない」「話し合いのゴール地点を意識するのが苦手」「相手の意見の奥にある想いや考えを理解(しようと)できない」なんていう、いわゆるコミュニケーションが苦手な人が増えていることに気づきます。私もその一人だったりするかもしれません(汗)
対面でのやりとりは、当たり前ですがリアルタイム。メールよりも入ってくる情報が多く、距離が近く、コミュニケーションの間隔が短いですから、メールやLINEでのやりとりが増えている若者(…という言葉を私が使えるのか(苦笑))は、対面でのコミュニケーションが苦手になってしまう人が多いのは当たり前といえば当たり前なんですよね。
メールの「相手のペースに左右されない」という長所が、ここでは短所になってしまうのです。一長一短とはよく言ったものですね。
場の空気を読んで主導権を握ったり雰囲気を良くしたり会話が円滑に進むようにコントロールをしたり…そいうものは、リアルな場でしか磨くことができないスキルですが、その分社会に出るうえで、生きていくうえではとても重要なスキルだったりします。
それを鍛える環境がそもそもないから、鍛えられないまま社会にほっぽりだされてしまう。…すごくゾッとしたのは私だけでしょうか。ゾゾゾゾ…。
メールだからこそ言えること、メールでしか言えないこともあると思います。しかし、メールなどのツールに頼らずに面と向かって相手に伝えられるのが、ひとつの理想なのかもしれません。
かくいう私も、メール相談だけだったときよりも、今のようにメンバーと話したり対面でMTGやら交流会をするようになってからのほうが、ココトモのことを大切にできているし、ずいぶん本音で過ごせているように感じます。もちろんその前からココトモ大好きだったのですけど。笑
メールは双方向ではありますが、それはお互いの一方通行の連続なだけではないでしょうか。内容のやりとりや交換は進んでいくけれど、お互いの心を見ることはできません。リアルは声の高さや大きさ、目の動きや座り方など様々な手がかりがありますが、メールは文字だけです。その文字がいきなり踊りだすわけはありませんし、文字が伝えられるのはその文字の意味だけです。
だから気持ちの面では小さなすれ違いが起こっていたり、「心と心の交換こ♡」は意外と難しいんですね。
文字しか見えない中で相手の心やスペースに踏み込むのはとーっても勇気がいることです。メールの方が「伝えやすさ」は高いから自分の言いたいことを自分の言葉で言うことができるのに、それを相手がどう受け取ったか、どんな反応をしたかっていうのは、リアルでは確認できません。本当は傷ついたのに「大丈夫だよ」なんてメールを送ってしまうかもしれません。
それに、万が一すれ違ってしまったときの修正も難しいのではないでしょうか。前述した通り、ズレたことにすら気づけないのかもしれません。
メールは形式的なやりとりや情報交換にはとーっても便利だけれど、「心のやりとり」は中々難しいんですね。良くも悪くも(返さないだけですぐ繋がりを切れてしまったり)逃げ道がたくさんありますし。だからこそ大切にできるけれど、「本意を伝えやすい」のと「本意が伝わりやすい」のは別問題になってしまうのです。
メールは「誰かと繋がりをもちたい」「本音で付き合える人がほしい」というような欲求を満たすことは本当の意味では難しいですし、伝えやすいことと伝わりやすいのは別問題ですから、状況に応じてリアルとメールを使い分けるのが大切なんだと思います。
勿論メールで心の交換こができることはあります。しかしそれは、とっても難しいこと。お互いがお互いを想いあって、「相手のための言葉選び」をしなければいけません。
本音で付き合える仲間って、どうしたら生まれるんだろう?
本音で付き合える仲間が生まれるのは、どうしたってリアルの関係性の中が多いのではないでしょうか。
それは、そういう仲間が生まれる過程の中に「自分のことを話す」だけでなく「どれだけ本音で向き合えたか」「お互いに感じ取ってシェアできたか」ということが含まれていることが多いからです。
キャッチボールをたくさんすること。それも、単純にやりとりを重ねるわけではなくて、単純に会うわけでもないんですね。
ココトモのメール相談でも、いい意味での「喧嘩」って難しいんですよね。
今回のやりとりの中で私が大切にしたいと思ったのは、「自分の中の自分をハッキリさせること」つまり「素直な自分が対応できる範囲を守ること」でした。
私だって、睡眠や食事や勉強に必要な時間があって、リラックスをしないとストレスでまいってしまって、病気にもなってしまうかもしれない。他のメンバーだって、相談者さんだって、生きてる人はみーんな同じです。
相談活動に限らず、ブログを書いたり、なにをするにも「どこまでやりたいのか」「どこまで出来るのか」をしっかりと認識することは、相手と自分を守るために必要不可欠だと思うのです。
自分自身と向き合うことで、ほかの人との関係性の築き方などを自然と決めてくれるのかもしれません。
結局は「自分の中の自分を見れてるか」が大切なポイントになってくるわけですね。
ギャップを感じても、それがしっかりしてればその間を埋めることは可能でしょうし、人間関係や人との付き合い方に悩んでも「自分にできる・自分がしたいのはここまで」っていう線引きをハッキリしていればある程度割り切ったり相手に譲ったりができると思うんです。
全く違うような今回の二つのテーマだけれど、根本では繋がっているのですね。
もちろんそれがすべてではないし、今回のセッションの内容すべてがあっているとは限りません。人の数だけ考え方はあるものですし、合作の相手が違ったらまた別の結論になっていたかもしれません。
人間関係や自分のギャップに悩むことはこれからもあるだろうけれど、そのときはまたこのブログを読み返して「聞き流せばいいじゃん」「ギャップがあるのは当然じゃん」「きっちり線引きしてたかな」なんて考えるようにしたいなぁと思いました。
とっても長くなってしまったけれど、皆さんを置いてけぼりにしてないかな、大丈夫でしょうか。笑
ではでは、今日はこの辺で。
合作に付き合ってくださったnanoさんと、ここまで読んでくださったあなたに敬意をこめて。
有難うございました☆
- ココトモ「交換日記」を書いて繋がろう♪
-
今日の出来事、気持ち、頑張ったことをみんなでシェアする『交換日記』ができました。 自分の日記を書いたり、他の人の日記にコメント&フォローしたりすることで交流を深めることができます♪
交換日記はこちら