最近思うあれこれ。
edit2020.09.05 1,544
2千万円問題って、結構前からあったよね。
詳しくは調べてなくて、ニュースで垣間見たくらい。
あれ、初めて知った時、いろーんな人が未来に不安を持って、って話聞いて。
投資とか、貯金どうするかとか、副業とか。いろーんなお金の為の手段を調べて実践して頑張ってる人を見ながら。
私は1人(かどうかは知らんけど)違うことを考えてた。
※これ、ぶっちゃけ去年オリンピックのチケット買ってる人にも感じたことなのだけどね。。。
「老後、または一年後、今が続いて行ってるとか、または健康だとか、とりあえず【生きてる】こと前提だと思えていて、羨ましいなぁ」と。
もしや、とらえ方によっては、不謹慎だと思われてしまうかもしれないけれど。
私は、そう思った。
私は、多分10年前くらいから、新卒で鬱っぽくなって会社辞めて、いっつも「来年こそはもっと健康が戻ってる。」「息苦しさとか呼吸が浅いとか、体調不良乗り越えてる」「もっと普通にちゃんと働いてる」と思ってた。
でも、今の10年後、今の自分はどうだい?
未だにストレスで呼吸が浅くなってジムはやりにくくなる。胃腸も弱くて午前中はトイレに何度も行ってる。不眠は良い時もあれば悪い時もあって繰り返してる。漠然とした不安は消えないし、人生楽しんでると今とてもとても言えない。
私は、今の自分の半年後、一年後がとてと不安だ。
オリンピックのチケットがあったとしても、行けるんだろうか?その時元気だろうか?自分に自分がとても不安だ。
こんなんなので、老後の30年後を、心配できない程不安だ。
だから、まだ2千万円問題が、不安にならない。
老後が、何歳からなのかも、分からない。(まぁ一般的概念とか年金受け取りとか色々調べれば答えは出るだろうが、そんな気も起きない)
それよりも、数十年先よりも、数ヶ月後さえキニナル。
テレワークになってから辛いと思ってた日常に、耐えきれなくなって、本を読み漁り、ここ数年の働き方が、明らかに自分が行くべき道じゃないと確信してから、1週間が経って。
人生にとって大きな確信を得たのに、結局それを知ってどうするか?の未来は、その本には書かれておらず、数ヶ月先が、見えなくなった。
人は素直なもので、本当に辛くて、それがモヤモヤしてる状態から、ダメだと確信に変わった瞬間から、よりダメになる。
来年のオリンピック開催も、次期首相も心配している場合ではなくなった。
今がダメな確信があって、じゃあどうする?が見えてないけど、今やっていることにやる気が俄然なくなったのは、確かだ。
2千万円が必要かどうか?もっと少なくても実は大丈夫なのか?実はもっと必要なのか、「今」本当に試算できる人は、その「老後」と言われるタイミングに遠いほど、ちゃんと出すのは難しいんだろうと思ってる。
近付けば、私も怖くなるだろうし、今よりもっと調べて、ここに書いたことと全然違うことを言うのかもしれない。
私の言うことなんて、勝手なものだ。他の人の言うことだって、勝手なものだけれど、別に自分も他人もそれでいいと思ってる。
それでもいいのだが、「今の状態」や「今の景気から考えた将来の景気」から、2千万円必要なんて、私は信じてない。
必要な金額は、絶対一人一人違うし、不安を全部潰そうとしたら億単位じゃ済まないくらい必要な人もいるだろう。
ちなみに、今日聞いた整体の人は、「3億」って言ってたw
んでもって、このままこの人生続くなら、20年が限界だけど、ベーシックインカムとかで生きることがデフォルトで全人類に許されるならいくらでも生きていいと言ってた。
再び、私の「お金って何?」頭論争が勃発。
お金イコール命ではない。命はお金を起源として生まれた訳ではないけれど、ほとんどの人がお金イコール命だ。
2千万円イコール命になる。
はたまた、3億イコール命になる。
つまり、2千万円貯金が無理なら、老後を迎える前に、死ななければならない。
そのほうが、幸せだと判断するのが妥当、ということになるのかもしれない。
私もお金が必要で、命イコールお金、の枠組みの中にある人間であるにも関わらず、「2千万円なければ、生きていけない」と思うと、早く死んだほうが幸せだと言われている気がしてならない。
なんだろ?なぜかバカバカしく思えてくる。
多分、私の場合2千万円あっても3億あっても幸せにはならないんだろう。
何となく、10年地味な体調不良を繰り返して、思った。
浅い呼吸が改善して、不眠が改善して、人生が楽しいと心から言えたら幸せだと思うのは感覚的に理解してる。
でも、2千万円、または3億あれば幸せな未来だとは、どうしても思えない。
2千万円あれば、不眠に必要な薬を買うこともできるだろうに。。。
なぜだろうか?
健康ってなんだろう?お金が充分にあるって、どれくらいの金額なのか?どういう意味なのか?根拠ってあるんだろうか?
そんなこんなで、よくLINEニュースを見ながら、色々考えると、とんでもなく頭が疲れる。一ニュースに数個色々感じたり思うことがある、こともある。思わないこともあるw
んで、このニュースの流し見は良くないと言われる。理由は「頭で考えずにそういうのを見るから」らしい。
私は、その意味が分からない。私は考えてしまう。1人で流れていく情報を見て、勝手に疲れる。たまにアウトプット出来る場面があると、解消出来ることが多い。
でも、在宅ワークばかりで解消できる事は少ないので、ひたすらインプットして、考えて、終わる。
たまーに、頭がある程度まとまったり言語化出来るとブログに書く。まとまらなくても、書きたいと思った時に衝動的に書くこともある。
このコミュニケーション不足の毎日のこともあり、実は婚活アプリを始めたけど、もう辞めようと思ってる。
私は「本音が言えない」ことが、昔より断然ストレスがかかるようになった。
アウトプットができないこのご時世、仕事もうまくいかないし、「甘えられない、頼れない」などの改善のために、もしや仕事のコンプレックスや解決の鍵が、今まであまり積極的にしなかった「恋愛」というジャンルに隠されているのでは!?と思い至って、人生初の婚活は、【会社のチャットツールで、気を遣い文章考えて10分くらいどうしようもないとこを修正してるアノ時間】と同じくらい疲れてることを知った。
私の取説的に、【苦労が報われる事はない。過程が楽しいと思えるものに幸せは宿る】とある。
だから、初めて5日目、アプリを開いてメッセージを返信するのが億劫でしょーがない現時点でアウトだ。
やはり、対面に限ると思った。このご時世難しいなら、オンライン対面でも最悪構わないので、とりあえずアプリで気を遣って頑張って相手に気にいられるメッセージを送り合うみたいなことは、辞めようと思う。
続けたら何か見つかるかも?と思わなくもないし、課金したものもあるので多分一般的に見ると勿体ないけど、この5日間のストレスを考えると、今の仕事状況と婚活アプリで実るか分からない縁結びまでのストレスはとてもとても両立出来ない。
アプリで課金して5日目。月額4200円。多分戻ってこない。いい勉強だと思いました。サヨナラ、経験ができて良かった。
アプリって不思議なもので、写真見てもプロフィール見ても、断る理由もないし、判断基準も私は持てなかった。
どの人もよく見ようと思えばよく見えるし、プロフィールも写真見てもダメな人なんてほぼいない。
条件で見て判断はするけど、それで本当に判断してもいいか自分で分からずモヤモヤした。
共働きを望むか?この年齢以上は本当に切っていいのか?もしいいと思ったら?この人に安心を抱いたら、私はこの条件がネックに感じないのでは?
とか色々思って考えてたら、もんのすごく疲れた。
私には、多分向かなかった。
繋がりが持てた人、ゴメンナサイ。私自身にも、苦しめてゴメンナサイ、と思った。
とりあえずまだこれから、もう少し「婚活パーティ」なるものに挑戦して、それでも無理なら「婚活は合わない」と再認識してきっと私は活動終えるな、と思う。
結婚、はゴールじゃなくて。結婚に対して、私がどう思うのか?結婚してみようと動いたら私は何を得るのか?何かを失うのか?
今回の行動は、そのジャッジをする為でもある。誰かと一緒になるのは、どういう意味なんだろう?ここ数年考えてない自分と、向き合うことになる、と思ってる。
こうして、色々やってみて、失敗ばかりして、うまくいかなくて体調不良だのなんだのマイナスなことばかりやらかして、私は多分明日とか1ヶ月後くらいまでは、生きているんだと思ってる。
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