解決済み
愛犬の死。後悔ばかりが残ります。
1323 edit2021.08.03
先日16歳のトイプードルの愛犬が亡くなりました。40分離れた実家で飼っており、最近は母が1人で面倒を見ていました。
私にとって愛犬は、自分の命を犠牲にしてでも守りたいと思う大切な存在です。大学、就職してからなかなか会えなくなったけど、仕事が落ち着いてからは、暇さえあれば会いに行きました。
私は完璧主義な人間です。子どもと関わる仕事をしていますが、子どもと動物が大好きです。4年前から愛犬に次々と病気が見つかり、その度に自分にやれることをやり尽くしてきました。昨年妊娠したときも、お腹が大きいのに毎週愛犬の注射に病院に通いました。自分でもやり過ぎだなと感じていました。そして、愛犬に脳腫瘍があることがわかり、頻繁に痙攣を起こすようになりました。
子どもが産まれ里帰りをしたので、愛犬と子どものお世話をしていました。でも初めての育児、介護。上手くいかず、自分を責めたことで鬱状態になりました。何も手がつかなくなり、布団から起き上がれなくなりました。4ヶ月自宅療養し、回復しました。その間は愛犬の介護はほとんどできませんでした。母は仕事をしているので日中愛犬は1人です。今痙攣が起きていたら、1人で逝かせてしまったら、そればかり考えていました。
私が回復した6月から愛犬が一気に弱り、寝たきりになりました。なので毎日子どもを連れて介護に行きました。ちょうどその頃子どもがハイハイや伝い歩きをするようになり、目を離すと転んだり怪我をしたりしてしまっていました。なので、愛犬の介護をする気満々なのに、子どもも目が離せない、どちらとも大切で守りたいのにどちらも中途半端。ものすごく苦しみました。
でも、少しずつ慣れ、笑顔で接することができるようになりました。でも、全身の痛みから何時間も泣き叫ぶ愛犬を前に途方に暮れ、叫んでしまったこともありました。今日はゆっくり休みたいなと思ったり、買い物に行きたいなと思ったり、子どもと思いっきり遊びたいなと思ったり、そんなことを考えてしまうこともありました。でも、何があっても毎日介護に通いました。今まで私を大好きでいてくれた愛犬への恩返しだと思って、その時にできることを精一杯やったつもりです。
亡くなる前日、何故かもう愛犬が長くないと思い、その日はずっと抱っこをして話しかけました。虹の橋のこと、どんなに愛犬が頑張ったかということ、どれだけ私が幸せだったか、そして私は大丈夫だから、ずっと一緒だからと声をかけて寝ました。その日の夜中に息を引き取りました。母が見つけました。穏やかで可愛くて優しい顔をしていました。
亡くなってからずっと考えていることがあります。それは、愛犬の介護を100の力でできなかったことです。数字で表すのもおかしいですが、今まで愛犬に100だったのが、子ども60愛犬40くらいになりました。母には仕方ないことだと言われました。でも、私自身、できたことがもっとあったはずなのに、もっと頑張れたのにと後悔しています。もっと愛犬に時間をたくさん使ってあげたかった。
完璧主義が影響しているんだと思います。毎日、こんなことを考え、愛犬に申し訳気持ちで一杯になります。亡くなった直後は、壮絶な闘病生活を生き抜いた愛犬に、感謝の気持ちしかなかったのに、時間が経つに連れて、自分は果たして恩返しできたのかと自問自答しています。
この気持ちに、どう折り合いをつけたら良いのでしょう。人生経験の少ない未熟な私に、どうかアドバイスいただきたいです。よろしくお願いします。
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