誰かにとっては

皆様お疲れ様です。ココトモ相談員のMASHです。

今回のコラムで6件目になります。ココトモを始めてから一週間に一回投稿を目標にコラムを書いていっています。あくまで自分の考え方や持論のようなものであったり、ココトモで活動をしていくなかで感じた内容を綴ったりしているだけなので「あぁこんな考え方があるんやな」くらいで読んでいただければ幸いです。

さて、今回のコラムについてですがココトモの掲示板やチャット相談でよく見かけるワードで「消えたい」や「死にたい」や「楽な死に方を教えて」といったものをよく見かけます。

今回はそういった悩みを持っている人が少しでも気が楽になれるような内容に出来たらと思っていますので1つの考え方だと思って最後まで読んでいただければ幸いです。

大前提として

残念ながら今、死にたいとか消えてしまいたいと思っている方には申し訳ないですが私はその気持ちを肯定してあげることは出来ませんし世の中に楽に死ねる死に方なんて存在しないです。(厳密には楽に死ぬにはとてつもないお金や法律の問題、時間がかかります。なのでここでは存在しないと記載しておきます)仮に楽に死ねたとしても周りの人間が辛い思いをしたり悲しくなったりしますし、安楽死などの方法を行う側人の心が痛みます。

いじめやうつ病などの精神的な病、家庭環境など様々な背景があり辛いとは思いますがどんな理由があるにせよ命を捨ててしまうことは私にはどうしても肯定することは出来ません。なぜなら、私は命とは「人とのつながり」だと考えているからです。

ってなんだろうって考えたときに大抵の人は「生き物が生きる力・期間」や「心臓が動くこと」、「息をすること」と回答すると思います。

ですが私にとっての命とは「生まれてから死ぬまで、そして死んだ後も記憶や思い出として人と繋がるもの」が命だと考えています。

生まれたときから死ぬまでに全く人と関わることのない人はいません。人類は進化を遂げ自然の中で弱肉強食で日々生きるか死ぬかのサバイバルをせずとも生きることが出来るようになりましたが、それでも自分1人では生きていくことは出来ません。両親がいて友だちや学校の先生、職場の同僚以外にも様々な人と関わって生きているのが自分という人間だと私は思っています。

みなさんはかりゆし58というアーティストの「さよなら」という曲をご存知でしょうか?

この曲の歌詞に「命は始まった時からゆっくり終わっていく なんて信じない ぼくが生きる今日は もっと生きたかった誰かの明日かも知れないから」という歌詞があります。

私にはこの歌詞が「生まれてから死ぬまで何の意味もない人生なんてない、今自分が生きている人生は明るい未来を渇望したのにも関わらず死んでしまった人にとっての未来なのかもしれない」という意味に感じます。生物はすべて生まれて生きて死んでいくもので、生まれる事と死んでいくことはすべての生命にとって当たり前のように訪れます。しかし、生きるということは平等ではありません。

自分のやりたいことが明確で目標に向かって行動出来る人もいれば、やりたいことが見つからず日々をなんとなく生きる人、環境に恵まれず貧困な地域で生活する人、いじめなどの人間関係で悩む人様々います。皆が全く同じ生き方が出来るわけではありません。

しかし、だからといって生まれた環境で惰性のまま生きていくことを認めるわけではありません。

世の中には興味の湧くものや魅力的な選択肢が沢山あります。例えるならホテルのバイキングみたいだと感じます。しかしながら、取ったのはいい物の自分の口に合わなかったり、同じものを食べていくうちに飽きが来たりするものです。

人の一生も同じようなものだと私は思います。
サッカーを始めてみたものの自分には合わずに辞めて、野球を始めたけど合わなくて辞めて、茶道を始めてみたけど3年ほどやったら飽きてしまった。そんな感じです。
一生かけて1つのことを突き詰めることが出来る人もいれば様々なことに挑戦する人もいるんです。

世の中には明確な意味を持って生きている人(例えばお金をいっぱい稼ぎたい、結婚したい、野球選手になりたい)という思いを持って生きている人も確かにいます。ですが、自分がこれだ!と思えるものを見つけるための生き方だってあります。

人生を楽しむコツは何事も食わず嫌いをせずにまずは挑戦してみる、そして合わなければ次に行く。その繰り返しをしていくだけでも自分は今までこんなことを経験したのだと思えてくるはずです。自分に合わないものを無理してまでやり続けるほど人生は長くないです。そして自分に合うものが見つかればそれを続ければいいです。必ず一つに絞る必要はないのですし複数あってもいいと思います。また、今いる自分の環境がどうしても合わないのであれば時には逃げたっていいんです。大多数の人は逃げたら負けだとか逃げるのは格好が悪いと思いがちですが、私はそうは思っていません。なぜなら、人間だって動物だからです。例えばタコやイカは外敵に襲われたらスミを出して逃げたり、スカンクは悪臭を出して敵を遠ざけたり、ウサギやリスのように走って逃げている際に急にジグザグに走ったり方向転換するなど危険な状況になった際に逃げる手段を持っています。自分には手に負えないのに立ち向かおうとするのは人間くらいです。
だから私はどうしよもなく辛ければ逃げていいと思います。
無理して体や心を壊してしまっては取り返しがつかないです。生命を脅かしてまでやる必要はないです。

掲示板やチャット相談を見ていると「楽な死に方が知りたい」というワードを見かけます。おそらくその投稿をした方は生きていくことが辛くて「死」という選択肢に逃げたいのだと思います。しかし、「死」に逃げるのではなく「今とは違う生き方」に逃げて欲しいと私は思います。「楽な死に方」を教えることは出来ませんが「楽な生き方」であれば私をはじめココトモの相談員の皆さんが一緒に考えてくれるはずです。

最後に私にとっての命についての考え方を綴らせて頂きます。

誰かにとっては過去で

誰かにとっては現在で

誰かにとっては未来で

 

最後まで読んで頂きありがとうございました。あくまで考え方の一つなので参考になる部分とそうでない部分があるかと思います。もしよろしければコメント・感想を頂けますと嬉しいです。

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