中学生のキュウのおはなし①

こんにちは。キュウです。

前回に引き続き、私の昔の経験から少しお話しようと思います。

前回までの記事はこちら↓

下痢が続く方へ

不登校の原因-キュウの場合-

今回は、不登校になりはじめた中学校1年生からの事をお話ししたいと思います。長くなりますが、おつきあいくださいね。

中学一年のキュウのおはなし

不登校になったキュウ

私は、中学校1年の4月~5月頃、高熱をだし学校に行けなくなりました。休んで様子を見ていたものの、その後しばらく食欲もなくぐったりと寝てばかりで、何かがおかしいと病院にかかり検査をしますが、結果は異常なし。その結果に納得が行くはずもなく様々な病院をまわり、でも、どこでも異常は見つからなくて、ドクターショッピングを繰り返していました。

しかし、ふとしたきっかけで心療内科も診ている小児科の先生に診察してもらうことになり、そこでようやく「過敏性腸症候群」という病名がつきました。(過敏性腸症候群について詳しく知りたい方はこちら)

そこで、「あなたのおなかが痛くなるのはあなたのせいではないですよ、ちゃんと原因のある病気ですよ」と、説明されました。

わかった時には、正直ホッとしました。今までの苦しみの正体がわかったからです。正体不明のまま仮病と言われ続け苦しむのと、病気とわかってから苦しむのとでは、同じ苦しみでも感じ方が変わりました。

病気と戦う日々

病気と診断されてからは、緊張が解けたのか、何かの糸が切れたかのように一気に症状が重くなりました。家から一歩出るだけで下痢をするようになってしまい、家のなかでも布団↔トイレの移動で精一杯。食べ物を口にするだけで吐いたり下痢をしたりするので、どんどん痩せていきました。酷いときには飲み物も受け付けず、点滴を打ちに行ってた時期もあります。家族が食べ物の話をするだけで吐き気を催したり、下痢をしたりするような時期もありました。

また、私の布団からトイレまでは約15歩ほどでしたが、その距離も我慢できずに漏らしたり、吐いたりすることが度々ありました。

吐いたり、下痢をするって、疲れますよね。意外に体力が要りますよね。何も食べられず弱ってる上に下痢や嘔吐を繰り返していたため、トイレに座っているとき以外は布団にぐったりと横たわっていました。いつも疲れていて、頭もあまりハッキリしていませんでした。そんな寝たきりのような生活が、1年半くらい続きました。

「病院に通う」という苦労

病院には、週に一度、車で40分ほどかけて行っていました。眠っていると症状は出づらいので、頑張って車まで行った後は、すぐ寝るようにしていました。でも、いつでもぐったりしていたので、病院に入れず車で寝て待ちながら親だけ診察室に入る時もありましたし、病院の待合室で横にならせてもらったりもしました。

途中の車の中で目覚めてしまったときは、トイレまで我慢大会の始まりです。近くにコンビニやスーパーが無いか母が懸命に探す間も、我慢するのが辛かったです。我慢できなくて、持ってきたスーパーの買い物袋に用を足したこともありました。(その日からは、車に介護用オムツがつまれました。)

病院での治療

病院での治療はというと、主に漢方薬を処方されていました。今の症状を伝え、それに合った漢方薬を処方してくれました。漢方薬で足りない部分は、抗不安薬や睡眠薬で補う感じだったとおもいます。効き目は、イマイチよくわからないものから、おぉーと感じるものまで様々でしたが、医者も試行錯誤しながら処方しているのが感じられて本当に親身になってくださっていることが伝わってきていたので、総合的に良い医者だったなと思います。

また、発達障害の疑いを持たれて検査をしたり(違いました)、カウンセラーさんと話をしたり、障害者手帳が持てますよと案内を受けたり、親は色々忙しかったと思います。私はというと、兄弟たちも学校に出かけ、親も仕事や買い物で出かけ、ひとりぼっちの時間が増えて、布団の中で、目の前の大通りを通る車のヘッドライトの微かな光が天井に映るのを目で追いながら「これからどうなるんだろう、、、」と他人事のように呟いていました。この状況から抜け出すという事に全く現実味を感じられずに、ただただ苦しい下痢の時間が来ないでくれと願うばかりでした。

親からは「あんた家からも出られないで将来どうやって生きていくつもりなの!」と怒られ、何一つピンと来ないまま希望のない灰色の世界でひたすらに怯えていました。

母親の辛さ

私が不登校になったと聞いて、母はいろんな人から「親が悪い」と言われていたようです。母からすれば、娘がいきなり学校に行けなくなって不安で不安で仕方がなくて助けて欲しい時に、いつもなら助けになってくれていたはずの家族や友人たちに責められたことは、とても辛い事だったと言います。当時の私は自分の事で精一杯で親がそんなことになって大変だなんて考える余裕は無かったのですが、今思うと、親にもかなり苦労をかけたなーと、ありがたいようなおそれ多いような、それでいてその時に言われて傷ついた言葉を思い出したりして素直には感謝しきれない、複雑な気持ちになります。

でも、親だって人間です。不器用でも、傷付いても、娘にかける言葉に失敗しても仕方ない。いつか、素直にありがとうと言えるようになれたらいいなと思ってます。

中学生のキュウの心

自己否定的な価値観

私は小さい頃から自己肯定感の持てない子でした。物心ついたときから、いつも死にたいと思っていました。私の最初の自殺未遂は、まだ小学校にも上がっていないような幼い頃でした。親が、「布団を頭まで被って寝ていると窒息して死んじゃうからやめて」と言ったのを真に受けて、何度か布団を頭まで被って自分が死ぬのを待っていたことがありました。そういう、親の言ったことは全部信じちゃうような幼い頃から、死にたいと思っていました。

もちろん、布団を頭まで被ったぐらいで実際に死ねる訳はなく、未遂に(?)終わりましたが(笑)とてもとても生きづらかったです。

そう思うようになった理由は未だにわかりません。幼い頃に何かトラウマになるようなことがあったのかもしれませんが、記憶には残っていません。私には夫婦仲の良い両親が居て、仲の良い兄弟が居て、いとこや祖父母の家も歩いていけるほど近くて親戚みんなに可愛がられて育ったので、深刻な家庭の事情があったとかそういう事ではないと思うのですが…。まあ、私の親が育った家庭には両家共に色々な問題があったようですが、それを知るのはもっと後の話で、幼い頃はみんな仲良しこよしと思っていたので、それも特に関係はないのかな~。

とにかく、自分は無価値で、生きている意味のない人間だという気持ちが常にあって、私みたいなダメなやつははやくこの世から消えた方がいいな~と考えているような子供でした。

ピーちゃん、という格上の存在

私には、ピーちゃんという一学年下のいとこが居ます。幼稚園までは同じマンションの別の階に住んでいて家が近かったのと、親が仲良しで割と一緒に行動することが多かったのもあって、本当の姉妹のように育ちました。


今でもその絆は続いていて、一緒に買い物にいったり、家に泊まったり、ピーちゃんにしか相談できないこともあるし、生まれたときから一緒に居てくれた本当にかけがえのない大切な人なのですが、幼い頃はピーちゃんに強い劣等感を抱いてしまってかなり辛い時期がありました。

例えば、私が不登校になりはじめたのと同じ時期くらいに、ピーちゃんは中学受験の準備をしていました。私は落ちこぼれている真っ最中なのに、ピーちゃんは中学受験のために塾にいって勉強をしているんだ…と、益々自己肯定感が持てなくなっていきました。

また、ピーちゃんの母親は事あるごとに「キュウちゃんは頭がいいんだから、勉強すればピーちゃんと同じように中学受験できる」というような事を私に言ってきました。彼女なりに私のためを思って言ってくれていたようですが、当時の私にはよくわからなかったです。今不登校になっていて、学校に行けなくて、勉強どころじゃない現実があるのに、どうしてこの人は私にそんなことを言うんだろう…と思っていました。

ピーちゃんが中学に受かったときも、ピーちゃんが勉強の話をするときも、ピーちゃんが友達と楽しく遊んだ話をするときも、私の心はズキズキ痛みました。ピーちゃんが遠い世界に行ってしまったようで、私は一生そこには行けない気がして、それだけで私はもうここで生きていてはいけない人なんじゃないかと思いました。

ピーちゃんと比べられるキュウ

私とピーちゃんが母親たちに比べられるようになったのは、何も私が不登校になったことがきっかけではなく、もっともっと小さい頃から比べられてきました。

例えば、私なら「ピーちゃんは塾に通って勉強しているんだからあなたも勉強しなさい」とか、「ピーちゃんは片付けができるのにどうしてあなたはできないの?」とか。あと、ピーちゃんが新しいおもちゃやペンを買ってもらったと見せてくれた日に私も欲しいと言うと「ピーちゃんの家はお金持ちだから」とよく言われていて、「ピーちゃんの家はお金持ちだからいい思いができるんだ、私の家は貧乏だからダメなんだ」という劣等感も持ってました(私の家は当時、お菓子も買ってもらえないぐらい貧乏でした)。

他にも、ピーちゃんは父方にお金持ちのおばあちゃんが居るからおねだりできるけど、私の父方のおばあちゃんは貧乏だから何もねだっちゃダメ。ピーちゃんの母親は社交的で友人が多いからピーちゃんもいろんな人に可愛がられているけど、私の母親は内気で人と接するのが苦手だから私も居場所が少ない(←母親が自分で言ってました)。などなど。

ピーちゃんなら、「どうしてキュウちゃんは信仰があるのにあなたはそうじゃないの?」とかかな・・・。(私の家族は祖父母から孫(私たちの世代)までキリスト教系の教えを信じています)

私たち二人は、幼い頃はお互いに対する劣等感を持っていたようです。ピーちゃんがどうだったかは知らないけど、私はいろんなところでピーちゃんに嫉妬していました。

また、ピーちゃんが私になんらかの劣等感を持っていることも感じていて、「私よりいい思いをたくさんしているくせに何で私に劣等感を抱いてるんだ?」と、なんだか自分を馬鹿にされているような気持ちにもなっていました。

私を褒めるピーちゃんの母親

私が心に残っている、とても大きな傷を負う原因となった言葉の一つに、ピーちゃんの母親の言葉があります。それは、私が小学校低学年の時に頻繁に言われていた「キュウちゃんが私の子供で、ピーちゃんがキュウちゃんの母親の子供だったらよかったのにね」です。

ピーちゃんの母親は手芸が好きで、社交的で、料理が上手で(調理師免許を持っている)、髪を可愛く結ってくれて、服装も女の人らしくて、幼い私にとっては憧れの母親でした。私もそういうことが好きでした。

私の母親はそれと対象的に、手先が不器用で、内気で、料理もそれほど上手ではなく、髪なんか伸ばすより切ってしまったほうが楽!といってベリーショートにしてしまうような、いつもTシャツとジーンズしか着ない、オシャレに興味のない人でした。女子トイレに入ると「ここは女性用ですよ」と注意されるような男っぽい容姿をしていて、手芸どころか女の子が好きそうな趣味はあまり興味のない人でした。

また、ピーちゃんは、オシャレには興味があったけど、手芸が好きじゃなかったり、ところどころ自分の母親の趣味とは違う趣味を持っていました。

「キュウちゃんが私の子供で、ピーちゃんがキュウちゃんの母親の子供だったらよかったのにね」

そのほうが趣味が合うのにね、程度で、ピーちゃんの母親本人の気持ちには何も深い意味はなかったと思います。でも、私はその言葉に囚われました。まず、「確かにそのほうが趣味が合うし楽しそう!」と思いました。でも、自分の母親のことが好きだったし、何より、ピーちゃんの母親はピーちゃんのことをどう思ってそういう事を言ったのか?と考えると、その発言は恐ろしいものに変わりました。まるで「自分の子供は要らない」と自分の娘の目の前で言っているようで、一体それを聞いたピーちゃんはどう思っているんだろうと内心ビクビクしていました。

また、もしかしたら自分の母親もそう思っているんじゃないかという恐怖に囚われ、自分の親に対してもビクビクする子になっていきました。私の「いい子」のはじまりのきっかけはこれだったのかもしれません。今では、どんなに本気じゃなかったとしても、そんなことを子供の前で言うべきではないと思っています。

距離の近すぎる親戚

私の親戚はとても距離が近い家族だと思います。私の母親とピーちゃんの母親は、祖父母も交えてみんなで一緒に私達の子育てをしていました。あるときは祖父母の家に預けられ、他の日はピーちゃんの家に預けられ、ピーちゃん達がうちに来ることもあれば、ピーちゃんたちと一緒に祖父母の家に預けられたり、家族ぐるみでとても親密な付き合いをしていました。

また、5年前ぐらいまでは、孫の誰かの誕生日があるとそれに合わせて私の家族やピーちゃんの家族、おじさんおばさんがみんな祖父母の家に終結し、誕生日パーティーを開いていました。楽しかった思い出もあるけれど、色々と距離が近い分「病気はどうなの?」とかなんとか根掘り葉掘り聞かれるんですよね。また、もちろんピーちゃんの学校の話も話題に上がりますが、それを聞くことによって生まれる劣等感や自己否定の気持ちは私にとって辛いもので、そういう場面になる事を考えるだけでお腹が痛くなったり、親戚のパーティーにいけなくなったり、行けたとしてもみんながいる部屋には居られなくなったりしました。

「家族だから」はありがたいことだけれど、この時は「家族だから」が辛かったです。

「ありがたいこと」への本心

こんな話をするのは、実はとても勇気が要りました。片親しか居ない方、両親の仲が悪い方、兄弟仲が悪い方、親戚と疎遠の方…等々、私よりも精神的に不安定になりやすい環境に置かれている方々はたくさん居ると思うんです。私は両親が居るし、親も兄弟も仲良しだし、親戚も距離感が近くていっぱいいっぱい構ってもらってきました。それなのに、それが辛いってどういうことだよと思いました。でも、辛かったのは本当だし、いつもそこから逃げ出したいと思っていました。本当は誰にも会いたくなかった。人と会って気を使うことに疲れていました。

今でも、親戚は苦手です。会えばたくさん構ってくれるけれど、そのせいで心が振り回されたり、気を遣ったり、自分が大人にならなきゃいけない場面もあるし、赤の他人なら踏み込まないような部分でも、付き合いが濃くて長い分踏み込まれてしまう事が多いので…。

誰にも悪気はないし、むしろ善意から色々踏み込んでくれるのはわかっているけれど、それで心を荒らされるのはちょっと怖い。心って、難しいですね。いい関係で居られる距離を保ちながら、付き合っていけたらなーと思ってます。

おわりに

この記事を書いている今、とても穏やかな気持ちになっています。なぜかというと、自分自身に起きた出来事を、文に起こすことで整理できたからです。そうか、私はこの時こう思ったから今こういう気持ちになっているんだな、とか、私って昔からこうだったんだ~知らなかった!とか、自分自身を理解するのにとても役立ちました。

また、現在、親と話すことを拒否し続け、親との縁を切りたいと思っていた理由についても、少しだけわかった気がしました。私は誰かに怯えて暮らす生活とおさらばしたいのだと思います。

私にとって、親は恐怖の存在であること。自分から見て私はこんなにも価値が無い存在だったこと。自分が抱えていた恐怖の数々、、、私はきっと怖がりなのですね。笑

人と過ごすことで、人に怯えて自信をなくして、死にたくなってしまう事が、私の抱えている困った性質の一つなんだろうな。一人で居るときが一番リラックスできるし、やりたいことを自分のタイミングで、自分のペースでやりたいようにできる方が落ち着ける。そうすることがきっと、私の命を守ることに繋がるのだろうな…と思いました。

いつか、心から人に身を任せられる日は来るのかしら。

 

私の人生は、小さい頃から「いい子」になることがすべてでした。でも、それは裏返すと親や周りを信頼していないという証拠でした。いつも人に見捨てられる恐怖に怯え、気を使ってビクビクしていました。虐待されていたわけではないのですが、いつでもその恐怖に怯えていました。

反抗期、というものを、私は経験したことがありません。私は親に対してビクビクしていて、怖い気持ちが大きかったので、反抗なんかしたら最後、捨てられて宛もなく飢え死にするんじゃないかと思っていました。そのため、親に反抗するなんて私にとってはとんでもないことで、それよりも「いい子」「なるべく迷惑をかけない子」になろうと頑張っていました。

でも、大人になって気がつきました。私にとって大切だったのは「いい子になること」ではなく、「たとえ数年間親との関係がこじれたとしても、そのあと本音でぶつかれる関係を築くこと」だったのです。

反抗期、というのは、反抗しても親に嫌われたり見捨てられたりする恐怖が無い子供が、なにも案ずることなく反抗しているものだと思うのです。それは裏返すと、親への信頼の証拠だと思うのです。そういう「反抗期」を迎えられることが、私にとってどれ程羨ましいことか。周りの友人を見てみると、反抗期に安心して親にぶつかれた友達ほど、大きくなって親との関係が良いものになっている気がするのです。反抗期って大切な時期だったんだなあ、と、今になって身に染みて感じています。

 

でも、今では、嬉しいことに、こんなにこんなに人への恐怖と自己否定で歪んでしまった心を持っている私にも、興味を持ってくれる人がいて、一緒に楽しんでくれる人たちがいて、仲間だなーと思える人たちがいます。そういう仲間ができたと思えるようになったのは、ここ四ヶ月で出会ったみんなの優しさと、私が少しだけ自分自身の殻を破ることができたから。

しかも、その殻を破るきっかけになったのは、人と仲良くなりたい!という前向きな理由ではなく、「どうせもうすぐ死のうと思ってるし、無くなる命ならせめて人の役に立ててから死のう」と思って、できることを探し始めたのがきっかけでした。(実際に、自殺の準備もしていました。)

ココトモを始めたきっかけも、コンサートの裏方のボランティアを始めたきっかけも、バイトをするようになったきっかけも、全部そう。「どうせ死ぬなら、悔いの無いように何か少しでも人の役に立ててから死のう」という気持ちがあったからこそ、前よりも傷つくことを恐れずに積極的になれました。(今では、あんまり死にたくありません。(笑))

 

このブログを読んでくださったあなたとの出会いも、私の大切な出会いのひとつです。読んでくださってありがとう。

どうやら、私のこのブログを読んでくださったオハナさんも反抗期について似たようなことを感じていたようで、ブログにしてくださいました✨よければ併せて読んでみてください♪

オハナさんの反抗期についての記事はこちら→反抗期と人付き合いとの関係

 

私の過去の話はまだまだ続きますが、よければもうしばらくお付き合いくださいね。

 

 

次回もよろしくお願いします♪
以上、ココトモライターチームのキュウでした。

 

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全2件のコメント

  1. キュウ 2015/10/30 08:00

    のえるさん!Twitterでのリプに加えてコメントまで…!!ありがとうございます✨嬉しい~♪
    とても嬉しいことばかり言ってくださっていて、そう言ってもらえてるのが本当に私なんかで良いのかなーと思っちゃいますが、本当に嬉しいです(笑)
    ところで、のえるさんはココトモハウスに来られる距離にお住まいですか?もしそうなら、会いたい!というお気持ちを実現させるのも夢じゃないかもしれないです(笑)私は滅多にココトモハウスには行きませんが、たまーに、本当にたまーに顔を出すつもりなので、行く予定ができたらTwitterで呟きますね(笑)都合が合えば会いに来てください♪是非是非お話しましょう~!楽しみにしています(*^^*)
    ブログは書きたいネタがまだまだたくさんあるので、少しずつ頑張ります~
    またいつでもコメント待ってま~す(笑)

  2. のえる 2015/10/30 00:58

    こんばんは★Twitterでフォローしてくれたのが嬉しくて、勇気をだして、夜中の力を借りて、コメントしますね(*^^*)

    記事を読んで、わたしは初めて「過敏性腸症候群」を知りました。教えてくれてありがとう。
    不登校のこと、病気のこと、家族のこと、などなど、すごくたくさんのことを綴ってくれてて、素直に尊敬します!!
    そして、わたしも共感するとことがあって。
    病名をつけられたときの嬉しさとか、母親への気持ちとか、両親への恐怖とか、自分の価値を考えちゃうところとか、どうせ死ぬならっていう原動力で生きているところとか…。
    とにかく感じることがいっぱいあって、でもそれをうまく文章にできない自分がすんごくもどかしいです(>_<)

    いつか、どこかで、お会いできたら、お話しできたらなーーー。と、けっこう真剣に思ってるので、、そのいつかを楽しみにしてます♪
    もちろん、続きのブログも、Twitterも、楽しみに拝見させていただきます(^^)/

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