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どうすればいいかわからない

閲覧数1859 コメント数3 person退会したユーザー edit2021.03.27

大学2年生女子です。誰にも言えなかったことを書くので読みづらく大変過激な内容になっているかとは思いますがご容赦していただければと思います。

私はおそらく小学二年生頃から中学三年生まで近親相姦を受けていました。
寝ている間に行われていたので初めはよくわからず、それが犯罪だということも知りませんでした。小四の時に学校の先生に軽い気持ちで愚痴ってしまい、児童相談所の職員に通報されました。呼び出された母親は、聞かれたことには全部素直に正直に話したつもりだった私を一瞬睨んでから「この子は話を盛る癖があるので、夫にはよく言い聞かせておきます」と言いました。
私のことを心配しているとかではなく、ここで監督不行き届きの自分が責められることを恐れているような雰囲気でした。見捨てられたのかと思いました。家に帰るなり母親に怒鳴られて、泣きながら父親が捕まったらどうする、ここにはもう住めなくなるんだぞ、と言われました。閉鎖的な田舎の実家に帰りたくない一心だったらしく、短大を卒業してすぐに作った私なんかの為にやっと掴んだ自分の快適な暮らしは捨てられないようでした。私はその時この話は誰にも言ってはいけないことなんだと思いました。私が悪いことをしたんだと。それからも変わらず毎日家に帰れば父がいて、夜になるたび部屋の扉は勝手に開きました。鍵のない部屋でした。
中学生になって、逃げるように忙しい部活に入りました。ご飯を食べてお風呂に入ったらすぐ寝る生活でした。初潮が来て毎月苦しむ期間があって、けれどその間も変わらず父は私の布団に入り込んできました。中二の頃狭さに耐えられなかったのと様々な事情が重なり、家族全員で両親の寝室で寝るようになった。大きなベッドが2つも並んでいるから、どこで寝たって感覚は十分に開くはずでした。真夜中ふと目を覚ましたら、寝間着が下だけ外されていて、後ろから父の手が回っていました。内臓に指が這っている感覚は気持ち悪いを通り越して何も感じませんでした。何よりこの瞬間を母親や弟に見られたらこの人はどうするつもりなんだろうと凄く不安になっていました。自分もよくわからない場所を触られて尚、自分の身体より先に周りを心配しました。何より怖かった。もう一度寝るってことができなくて、それでも一応の不快感はあったからどうにかやめてもらおうと身体を捩ったりしてみたけれど、意味はなかった。あのときはわからなかったけれど、完全に挿れられていたし、既に非処女だった。小さな声で愛してる、と言われたけれど、これが家族愛だとは思えませんでした。
父は普段弟に対して凄く当たりの強い人でした。(叱るときに平気ですぐ殴ったりするから弟は背中にあざがあった)
けれど私のことだけは土日喫茶店やら何やらにつれて行ったり好きなものを買ったりと無条件に優しくしてくれていました。その間母は家で発育の遅い弟を私の時よりはるかに優しく育てていました。母の家系で唯一の男孫だった弟は私より大層甘やかされていたと思います。私のことを見てくれていたのは父だけでした。だから余計にどうしてこんなことをするのかが理解できませんでした。
中三の時、修学旅行で京都に行っていました。へとへとになって帰ってきて、次の日の振替休日は絶対に昼まで眠ると決めていました。意気揚々と布団に入り、次に目を覚ました時には部屋が明るかった。気づくと私は下を履いていなくて、私の足の奥にいる父親も同じだった。はっきりと父親の顔を見た時、初めて怖いと思いました。普段と何一つ変わらない顔つきだった気がする。腹を蹴って床に放置されていた服を掴んで脱衣所に駆け込み、急いで身体を洗って、ソファに沈み込みました。明らかな異常を察知した母親は2階に駆け上がり、そのまま暫く戻って来ませんでした。叫び声を聞くのも嫌で、私は制服を着ていくつもりのなかった部活に行きました。
家に帰ったら空気が冷え切っていました。私は暫く使っていなかったせいで埃をかぶっていた自室のベッドで死んだように眠り、半日食事をとりませんでした。次の日母親が夕食をお盆に乗せて持ってきてくれたけれど、顔色は悪く目は赤かった。あなたが嫌なら離婚するよ、と言って部屋を出ていきました。私はあの日から父親の顔を見るとお腹が痛くなって、何もできなくなってしまうようになりました。できれば離婚してほしかった。けれど数日後母親に呼ばれ、暗い部屋でやっぱり離婚は出来ないと言われました。
何も知らない弟に説明ができない、とか何とか言っていたけれど、結局自分が楽できる今の環境を手離せないだけ。持病を理由に働いていなかった当時専業主婦の母は、貯金がありませんでした。私はまた裏切られた気がしました。今まで親から自分に向けられていた感情すべてが気持ち悪く感じ、私はもう全部が面倒くさくなって部屋にこもりました。後日父親が別居することになり、家を出る前日に謝罪してきました。私は顔を見たくなくてずっと布団の中にいましたが、私の部屋の前で多分土下座していたんだと思います。でも、私は父親が何の理由もなく私を抱いていたということがいつまで経ってもやっぱり理解できなくて、結局何も答えませんでした。許すも何も、何がいけないことだったのか私でさえもきちんと理解していなかったから。
それから夜な夜な近親相姦について調べては経験談のスレッドを見て涙を流していました。皆は行為中の意識があるらしい。けれど私はほとんどない。だから、感覚が薄い。語彙の足りない中学生には責めようがなかった。ただ父親はせこい人だと思った。消えたくなった。苦しくなって学校の匿名アンケートに近親相姦についてどう思いますか?と書いて提出したら、筆跡で私だとバレて呼び出されたことがあった。担任は優しく、真剣な目で、あくまで私だと断定せずに話を聞きだそうとしていましたが、ぼんやりとここで今すべて打ち明けても家庭が崩壊して誰も幸せにならないな、と思い、結局私じゃないです、となんの得にもならない嘘をつきました。私一人の犠牲でどうにかなるなら、もうそれでいいと思うようになりました。クラスメイトで結構中の良かった男の子の家に行ったら、胸を触られたことがあった。もう何にも思わなかった。私はそういう目的でしか求められていないんだとわかってしまった。
変な擦れ方をして、自分の身体を大切にする、ということが理解できなくなった。高校に進学して始めたバイト先で腕に大火傷を負って痕が残っても、痴漢されて服がダメになっても、なんだか大丈夫な気になっていた。そんな中でも基本的に人からは好かれるタイプで、人間関係は概ね良好だった。たまにメンタルが弱い子に勘違いさせるようなことを言ってしまい問題になったこと以外は普通だった。
高3の時にはじめて彼氏ができたけれど、いつまで経っても好きの感情がわからなかった。好かれている、求められている。それは本当に嬉しかったけれど、同じ熱量で返せる気がしなくて、相手のテンションに合わせて会話していた。ちゃんとしたかった。でもうまくいかなかったし、結局彼も父親と同じだった。カラオケボックスで押し倒されて服をまさぐられている間、自分を俯瞰してみていた。惨めだなぁと思いました。
高校を卒業した今、私は貞操観念の無さを存分に発揮して何の考えもなしに知らない人に抱かれてみたり、少しよくないサイトを利用したりしました。結果を言うと何も変わらなかった。私の心象や環境には何の変化もなく、ただただ消費されているだけで、生産性はかけらもなかった。ただ心が満たされなかったかと言われると、微妙なラインでした。
私は両親や周囲の人間からまっとうな愛情を受けたという感覚がほとんどないです。父は言わずもがな、母は私に自分を重ねて劣等感をむき出しにしてあらゆるものと比較してすべてをマイナスからスタートさせることで私の感覚をバグらせた張本人であり、今は無意識に体のいい愚痴の吐き場や友人のような位置づけをして普段会話している。娘として愛してはいないことに、本人が気づいていないのだと思います。
これは私から見ての意見なので、勿論擦り合わせはしていません。けれど、そう思われているということはそうなんじゃないかなと思います。私個人が愛されていると感じられた瞬間があまりにも限定的過ぎた結果、そういう風になってしまったのかもしれないけれど。
そんな中、母親は私に執拗に結婚しろと言います。結婚をして子供を産んで。あなたの産んだ子供が見たい。子どもを産むということは女性誰しもの幸せ。普通の幸せ。女の人が好きならそれでもいいけれど、それなら養子をとりなさい。こればかり言うようになりました。
あなたは本当に私を産んで心の底から幸せだと思っているの?という疑問。二十代の遊びたい盛りを全部私の育児に費やして遺伝した障害をどうにか緩和させるために何度も病院へ通い高い薬を私に飲ませて厳しく苦しみながら育ててきたのに夫には見向きもされないで娘に全部持っていかれて自分はひとり発育不全の弟の世話ばかりまたして、本当にそれが幸せですって心の底から言えるの?
私は思わない、こんな親を見て育って、親のせいでこんなつらい思いして、どうして結婚したいだなんて言えるの。正直もう自分でも自分のことがよくわかっていないから、ここら辺は凄く曖昧だし、はやくどうにかしたくて苦しい思いをしています。
あなたは大丈夫、どこに行ってもやっていけるわ、なんて無責任な期待を課せられてつらい過去は当たり前のように無かったことにされて私だけ苦しい思いをして自分の身体を労わることを教えてもらえず、それでも自発的になれなかった自分が悪いと叱られて、私はもうどうしたらいいかわからないです。
最近は対人関係も上手くいかず、父親がFXで勝手に溶かした奨学金を取り戻すために夜職でずっと働き詰めになっていたせいか眠れなくなってしまいました。自分が生きるのが下手なせいもあるのでしょうが、もう限界なのかなとさえ思ってしまいます。頼れる親戚もおらずどうすればいいかわかりません。母親は私が結婚相手を見つけるまでは家から出す気がないらしく、一人暮らしも許されていません。
リストカットなどの目に見える自傷行為に意味を見出せず、考え無しの性行為での消化もできず、私の感情やもやもやをどこに置けばいいのかもわからない。ずっと霧の中を歩いているみたいな感覚があり、死にたいとは思わないけど、生まれたくなかったとは思うし、みんなの記憶から消えたいとも思うし、ずっと自分のことを大切に出来なくて認められないままです。
環境に適応できない私は病気なんでしょうか。もうどうしようもないのでしょうか。
こんなことを書いてごめんなさい。
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コメント一覧

  • refresh約3年前
    退会したユーザー
    今まで1人でよく頑張って生きてきたね。苦しかったね。助けて欲しかったね。何も無理することないよ。後は自分の心を思いっきり抱き締めて、いたわってあげてね。
  • refresh約3年前
    さら 50代 女性
    あなたは何も悪くなかったし、悪かったのはあなたの両親です。
    お父さんがしたことはもちろん許せませんが、お母さんに守ってもらえなかったことも
    あなたを二重に傷つけたことと思います。
    お父さんが家を出ていったのは幸いですが、
    受けた心の傷のケアをこれからゆっくりされていく必要があると思います。

    あなたはご自分を守っていいし、ご自分を大切にしていいんです。
    ご自分を犠牲にせずに、嫌なことにはこれからは、NOと言っていってください。
    もちろんお母さんの願いなどきく必要はありません。もうすぐ大人ですね。もう許可はいらないですよ。今だって、お母さんに何か言い返したいことがあったら、言っていいですよ。
    怒ってもいいです。


    人は虐待などであまりにもつらいとき、感情を切り離してなんとか生き延びていることもあるそうです。
    時間はかかるかもしれませんが、適切なカウンセラーさんと一緒に、ご自分の育てなおしをするようなことができれば、少しずつ回復していけると思います。
    きっと幸せになってください。


    追記
    カウンセラーの中でも、このデリケートな問題に対応できない方もいます。
    性的虐待サバイバーをみられる、優秀なカウンセラーさんを選んでいくことを
    おすすめします。
  • refresh約3年前
    退会したユーザー
    それは辛い環境で育たれたんですね。あなたの人生はあなたの人生です。母親の言うことは聞かなくてよいです。大人になったら、自分の人生は自分で決めるものです。あなたが自分で稼げる経済力を身につけて、その親から離れることをおすすめします。自分の人生は自分のもので、母親のいいなりになってはいけませんよ。自立して、自分の人生を歩まれて下さい。あとは心理カウンセリングに通うのもよいですよ!自分にあった良い先生が見つかれば、だいぶ心が軽くなると思います☆
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