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10代後半 女性

誰にも言えない愚痴です。

閲覧数924 コメント数1 person edit2022.10.09

17歳女です。父とは3歳の頃に離婚、姉と兄の三人兄弟の末っ子として暮らしていました。離婚してから、母は朝から晩まで働きました。土日は休みだったような気もしますが、基本的に仕事or睡眠・休息を10年間繰り返していたと思います。ずっと死ぬ気で働いてるところも、顔色の悪い毎日も、疲れて車の中で寝てしまう日も、ずっと見ていました。尊敬と感謝でいっぱいです。でも、その疲れからもあると思いますが、モラハラ気味で、昔から怒声響く家庭でした。「穀潰し」「足枷」「グズ」と言われたことは、何年経っても忘れられないです。日常的だったので全てのことは覚えていませんが、ショックで頭が真っ白になった言葉は複数あります。兄とは5年、姉とは8年と歳の差があり、昔から可愛がってくれましたが、絶対に逆らえませんでした。兄は家の中で唯一の男となってしまい、かつ父に未練があったので非行的になりました。母と姉の前では立場がなく、小学生の頃から私に当たるようになりました。暴言や暴力で立場を分からせるようなやり方をされていて、とても怖かったです。姉や兄を怒らせると髪や耳、胸ぐらを掴まれて叩かれました。それもあって昔からベリーショートにしていました。そんな家庭でも、母が誕生日やクリスマスは絶対にプレゼントやケーキを買ってきてくれたし、私を優しく抱きしめて撫でてくれたし、キャンプにも連れていってくれたし、私は家族が大好きでした。多少怒号が飛び交おうが、父親が居なかろうが、心底どうでもいいと思って育ちました。でも思春期を迎え、そうとも思えなくなりました。中2の二学期でしょうか、コロナで休校措置がとられ、母も仕事から離れて腰を落ち着ける事になりました。母と一緒にいる時間が増えたことで暴言を受けることが多くなり、ストレスばかりが溜まっていきました。中3、学校が始まると、ストレスは一気に発散されて、毎日とても楽しく過ごせました(家に帰るのは憂鬱でしたが)。末っ子として大人に媚びる中で、人に好かれる方法はなんとなく心得ていたので友達は少なくなかったし、先生とも良好でした。部活でもレギュラーとして最後の大会で優勝を収めて、充実していたと思います。ただ、勉強がめっぽう駄目で、受験期は私も母も不安で仕方なかったです。母は焦りから、暴言が激増し、私も焦り+反抗期(?)で喧嘩が増えました。その頃、何が発端だったかは分かりませんが、本当に些細すぎることで母の怒りが爆発し、水筒で殴られました。たんこぶ程度に済みましたが、私は大泣きして、姉が仲裁に入りました。しかし母には殴った記憶が全くもって無いらしく(しょうもない嘘はつかないので本当に憶えていない)、物を使って殴られたのは初めてだったのでとてもショックでしたが謝罪は無く、むしろ暴言を重ねてきました。憶えていないなら引くしかないので諦めましたが、そこで母には病気があると確信に近いものを感じました。結局、やらなきゃやらなきゃと思いつつ大して勉強しないまま偏差値の低い第1希望の高校へ進学しました。入学し、最初は少してこずりましたが友達は増えました。部活は、中学からのものを続けようと思い入部したけれどやる気がまるで無く、自分もモチベーションを失くしてしまいました。高校からスマホを与えられたのでそれに没頭し、勉強に手をつけなかったので何回も没収されました(それでも勉強はしなかった)。進級しクラス替えを行い、仲のいい部活友達と同じクラスになりました。特にそこで人間関係等がこじれた訳ではないですが、新しい科目についていけず、今まで溜めに溜めてきたストレスがついに爆発し、目を閉じても夜寝付けない、朝起きれない、憂鬱でため息が増え、それでも母からの暴言は止まらないため、ついに授業中わけもなく涙から溢れだして、その日から微熱が続く羽目になりました。自分自身、自分の体調が悪いことは把握していましたが、親に打ち明けてまた暴言を受けるかもしれない恐怖で何も言えず、一学期が終わるまで重い体を引き摺って学校へ行きました。6月頃から不調が続き、不眠・過眠、過食・食欲減退、歩行が遅くなる、手に力が入らなくなる、感情失禁、吐き気、微熱等が続いていました。元から授業は爆睡なので勉強についていけてるはずもなく、それに集中力や記憶力が極端に下がっていたので評定に1が3つ付きました。ぼんやりとした頭で救いを求めたのか、近所の心療内科に1人でかかりました。初診では「思春期」というワードを沢山出され、1番弱いであろう睡眠薬を出されただけだったので自分でも甘えなのだと思い、もう行く気はなかったのですが、何故か2回目をかかり、そこで急に薬を変えられて睡眠薬と抗うつ薬を処方されました。効いた感じはしませんでしたが、副作用が心地よくて毎日飲みました。そんな事をしている内にひいおばあちゃんが無くなり、通夜に参列しました。体調が悪いので頭も顔もガサガサだし、あまり言葉を発せられなくなっていたので親戚に態度が悪いと見なされ少し悪態をつかれました。私のせいで居心地の悪くなった母は帰宅してから私に「死ねばいいのに」と言いました。ひいおばあちゃんの亡くなった姿を見た後に言われたので、本当に死んで欲しいのだと、冗談なはずがないと思いました(ちなみに姉は怒ると口癖のように「死ね」と連呼していた。母に言われたのは初めてだったのでショックだった)。翌日、体調も悪かったので「葬式行かない」と言ったのですが、親戚の関係上それは雰囲気が悪くなること間違いなしなので無理やり連れて行かされました。再びひいおばあちゃんの死に顔を見て、涙が溢れました。死んだらただの物体になるのだと。そのことを美しく、愛おしく思いました。早く母と姉にこの死に顔を見せてあげたいと心から思いました。それから毎日、授業中は死に方を考えながら寝落ちるようなことを繰り返しました。私は元々(今の私が客観視すると)ポジティブで元気な子だったので、笑顔と会話が無くなった私を見て、周りの友達や先生は心配してくれました。それでも、死に方を考えたり、自分の死んだ姿を想像するとわくわくして、涙が止まりませんでした。リスカや市販薬のODにはハマりませんでしたが、線香で手の甲を焼いてニコニコしていました。結局、親に薬を飲んでるのがバレて、涙ながらに謝罪されました。でも内容としては「私もいっぱいいっぱいになってた」とか「私も母に虐待受けてて」とか、言い訳ばかり。それから甘やかされ生活が始まってしまったので熱は下がりました。でもやたら私を1人にしたがらないので、家で1人きりになる時間が無くなり泣くことも出来なくなりました。夏休みが終わるのに課題は1ページも進めておらず、学校へ行くとキラキラした友達の姿がやたらと目に着きました。私には死しか待っていないのに、この子たちには未来があっていいなと羨ましくなりました。2日目学校へ行くのが嫌になり、早朝4時頃に処方されていた睡眠薬を全て飲みました。死ねると思ってやった訳ではなく、逃げたかったから。ただの甘えで丸1日眠りこけました。それから今日まで、ずっと不登校です。小中は皆勤だったので自分でも信じられません。親にお金が無くて困ってるのも分かっているから、早く死んであげたいのに死ねなくて辛いです。
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コメント一覧

  • refresh約1年前
    メンバー
    おもち 10代後半 女性
    3ヶ月経っていますがコメント失礼します。
    幼い頃から、1番のよりどころであるべき家族からの暴言や暴力を受けられてきたのですね。
    死に方を考えてわくわくなんて、心身ともに計り知れない程のキズを負ってしまいましたね。
    逃げたり心から安心出来る場所も無くて、大変辛い思いをされてきたと思います。
    文章を読み、悔しくて涙が止まりませんでした。
    ここまで苦しい状況を過ごしてきた ま さんに対して、私なんかがアドバイスのような助言のようなものはとてもできませんが、文章を読んだことと、生きていて欲しいということを伝えたかったためコメント致しました。
    どうかこれからも生きてください。お願いします。
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