不登校の体験談インタビュー『ひ汰』
visibility220 edit2025.01.03
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ココトモメンバーインタビュー企画!
今回は「ひ汰」さんに不登校の体験談を聞いてみました。
まずは自己紹介をお願いします
ひ汰と言います。大学生の頃のアルバイトから現在まで、12年以上教育系の仕事をしています。主に小中学生、たまに高校生の不登校の児童・生徒や発達障害のある児童・生徒とかかわることが多いです。数年前からは掛け持ちで公立中学校にスクールサポートスタッフとして勤務しています。教育の世界にどっぷりと浸かっている私ですが、実を言うと勉強をあまりしてこなかったので、大人になった今、もっと現役の頃に勉強しておけばこんな苦労してないな、と思うことが多いです笑
不登校を経験したことで、不登校の児童や生徒の力になれることをしたいと思ったのがきっかけで、大学生の頃にアルバイトから始め、大学を中退してからは仕事として、家庭教師をしています。
不登校になったきっかけを教えてください
小学生の頃はクラスからのいじめがきっかけでした。3年生以降は、いじめの主犯格だった子の転校と、クラス替えという環境の変化から登校できるようになりました。
中学生では2年生の夏休み明けごろから休みがちになり、3年生に進級してからは主に担任との相性の不一致がきっかけで1学期はほぼ通っていません。夏休み明けから別室登校、秋頃くらいからだったと思いますが教室で授業を受けることが増えたように思います。しかしやはり担任との折り合いが合わず、ほぼ不登校でした。
高校では入学して早々クラスに馴染めずないのがきっかけでした。今思えば完全な高1クライシスでした。
大学では2年生の後期から不登校になり、留年に留年を重ね8年目の夏に中退しました。卒論にも着手していたのですが、だんだんとしんどくなっていき中退を決意しました。不登校になったきっかけは人よりも劣っている自分がしんどかったのかもしれません。
不登校の時期はどんな風に過ごしていましたか?
アニメを見たり、ゲームをしたり。それから学力を下げないために勉強をしたりしていました。
中学生の頃からは高校生の頃は母方の祖父母の協力もあり、週に2〜3日ほど祖父母の家へ行き、畑で農作業をしたり畑や庭の草むしりを手伝っていました。あとはSNSで知り合ったネッ友と話したりしていました。
大学生の頃はしばらく部屋から出られずに引きこもっていたのですが、同じアパートに住んでいる友達や入学当初から仲良くしてる友達のサポートのおかげでドライブをしたり、旅行をしたりと外の空気を吸う機会も増えました。ただ、完全な引きこもりだったというわけではなく、どんなに体や気持ちがしんどくても、アルバイト(家庭教師)の時間になれば決まった時間に家を出て生徒の家は訪問していました。基本的に夕方からだったのがよかったのかもしれません。
不登校にたいして家族や友人はどんな反応でしたか?
母親はとても協力的で、母のみならず母方の祖父母、祖母の妹家族、はとこ夫婦、母の兄とたくさんの大人の力に支えられました。
父親は世間体を気にして、日中は外に出るなと叱られたことが今でも忘れられません。というのも、地元では名の通った日本画家の祖父や父がマザコンだったこともあり、必ずおばあちゃんに恥をかかせるな、おじいちゃんの名に傷をつけるな、と前置きされた上で外に出るなと言われていたからです。辛くしんどい時期にあった私は息子のメンタルよりも世間体なんだ、と父にはそういう意味での期待はできなくなりました。ですが、父は父なりに心配してくれていたのも事実で、もっと広い世界見てこい!と、短期ながらも海外留学を経験させてくれました。自分には無縁だと思っていた海外留学が、短期とはいえ経験できるのだということ、父なりに私のことを大事に思ってくれているのだと感じました。母とは違う形でなんとかしたかったのだと思いますし、父の励まし方が凄すぎて、私が子を持つ親になり、当時の父と同じ立場になったとしても、自分には真似できません。未だに感謝していますし、期待できないとか思ったことが恥ずかしくなりました。
前述の入学当初からの友達は時に厳しく叱責しつつも力強く励ましてくれました。気にかけてくれていたのか、たまに泊まりにきてくれました。彼にはカミングアウトもしていて、今では腹を割って話せる親友です。
また、私はゲイセクシュアルで、高校2年生から10年間交際していた彼氏がいました。どんな時も見放さず、常に少し先で待っていてくれているような距離感で見守り続けてくれたのも心強く感じていました。
不登校の時期に救われたことや転機となった出来事があれば教えてください
「頑張らんでもいい。まず校門通っておはよう言えただけで自分を褒めようや。」
中学3年生のときに、当時苦手に思っていた体育教師から言われた一言でした。
不登校のとき、何かのはずみで行ってみようかな、という気持ちになって登校したときのことです。いざ靴を履き替え校舎に入ったら、急に怖くなってしまい、教室に上がれずに帰ろうとしていました。そんな私に、かけてくれた言葉でした。顔は全然優しそうではないのに、かけてくれる口調、声のトーンはものすごく優しかったのを今でも覚えています。保体の授業はほぼ出なかったのですが、それでもこうして声をかけてくださったことが嬉しく、そして頑張った自分を褒めてもらえたことが嬉しく、別室登校のきっかけとなりました。小さな一歩が大きな一歩、という言葉をまさに感じた瞬間でした。
今、不登校で悩んでいる人へ
通えるタイミングで通えばいい。この一言につきます。もちろん、無理してでも行かなくては行けないシーンも出てくるかもしれませんし、通わなかったことで思うような結果にならないこともあるでしょう。学校の成績が全てではないですし、成績のためだけに通うものでもないでしょう。しかし、成績によって進路が思うように決められない、というのも一つの事実です。ですが、その結果でその人全てを推し量ることは不可能ですし、大人になってからでも勉強はやる気さえあればできます。少々厳しいことを綴りましたが、“今”にとらわれすぎることなく、フレキシブルなものの見方で向き合ってほしいな、と思います。ただ、環境の変化は大きなエネルギーが必要ですし、そのためには時間もかかります。また、自分1人で抱え込むにも限界があります。家族や学校の先生でもいいし、友達でもいいし、そうじゃなくてもいい。身近な人だからこそ寄り添ってくれるかと言われれば100%そうとは言い切れませんし、むしろ身近な人にこそ言えない悩みもあります。ただ、SOSのサインだけは出し続けてください。どんな形でもいいので、悩んでいるんだ、不安なんだ、しんどいんだ、辛いんだ、というSOSのサインはしっかり出してください。
そして、全ての刺激からシャットアウトしないでほしいな、と思います。10代、とりわけ思春期という、敏感で、繊細で、揺らぎやすいこの時期だからこそ感じられるものがあるし、あらゆることを吸収できます。吸収した刺激は時に激しい痛みを伴うこともあるかもしれません。しかし、思春期という限られた時期に吸収したことは、大人になった時の財産に変化します。たくさん失敗をして、失敗を重ねながら成功体験を増やして、自己肯定感を高めてください。そして、刺激を受けながら若く青々とした感性を育めば、きっと円熟した大人へと成長できますよ^ ^
――インタビューは以上です。
貴重なお話を聴かせていただき、ありがとうございました。
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