いい子症候群の末路〜良かれと思ってやって来たのに〜
visibility857 edit2025.06.07

突然ですが…私の学生時代のポリシーを自己開示したいと思います。
「なっちゃんは、良い子だね!」
→そうか。私は良い子で《いなきゃ》
「なっちゃんは、凄いね!」
→そうか。私は凄く《なきゃ》
「なっちゃんは、大丈夫だもんね!」
→そうか。私はいつでも大丈夫で《いなくちゃ》
そんな周りからの期待の言葉に、私は《応えなきゃ》って勝手に思っていました。
そのうち、母のメンタルが崩れ、父まで病気で倒れ、いよいよ私の中には【周りを安心させられなければ、価値がない】くらいのプレッシャーを、自分に無意識でかけていました。
学生時代は、程々に成績を修め、進路は決して周囲の反感を買わず、非行や友人トラブルは起こさないといった、とにかく【心配や迷惑をかける行為】を避けて生きてきました。
すると、どうでしょう。
社会人になった今、サラリーマンとして働いていますが、学生時代と全く同じ生き方をしているではないかと気付きました。
- 自分の伝えたい言葉ではなく、相手の求めている言葉を届ける
- 例え自分が手一杯でも、困っている人がいたら、すかさず手を伸ばす
- 残業なんか当たり前。私が苦労して済むなら、いくらでもやる
- 私より大変な人は沢山いる。私の辛さは軽いもんだ
- 秀でることよりも、迷惑をかけない程度の業務遂行を目指す
こんな生き方を続けていったら、この人は一体どうなりそうだと思いますか?笑
【いい子症候群】その弊害とは?
一見、親の手を焼かず、周囲を安心させられる存在でもある「いい子」ですが、そうした振る舞いによるデメリットって何でしょうか?
これは、あくまで私の体験談なので、一般論やセオリーとは別に捉えて頂ければ幸いです。
まず、社会人になって私の生活習慣は、荒みに荒みました(笑)
- 部屋はいつも物で溢れ、散らかっていた
- 酒量が増えて、二日酔いで出勤していた
- 行きずりの関係が増えて、人を傷つけた
- 貯金なんて、心の底から無意味だと思ってた
…今思えば、【いい子で在ろうとし続けた反動】だったなぁと思います。
私はこの期間を【ソロ反抗期】と命名しました(笑)
誰の目にも届かない場所や、私を深く知らない相手に対して、とにかく【いい加減な人間】へと変貌していきました。
心がバランスをとりたかったのかな。
私の中のインナーチャイルドが、
「いい加減、気付いて!」
「もう、いい子キャラやめて!」
「素直になりたい!」
「やりたいことを、やりたい!」
って叫んでた心の声をガン無視して、求められる姿へ無理に近づこうとしてたから、どんどん心も体も荒んでいったんだろうなと思います。
人間、同じ事を繰り返し体験していると、いい加減「何かおかしいぞ?」と気付く様になり、私においては、感情の向き合い方について、1つの結論に昇華させることができました。
下記URLのコラムにまとめているので、良かったらお目通し頂ければ幸いです↓↓↓
自分の生傷の痛みに気付いて初めて、治してあげようと思えた
今までの私は【ナイフが刺さっていても、痛みに麻痺している状態】と言いますか…気付いていないから、ナイフを抜こうともせず、当然その生傷すら治療してあげられていませんでした。
私にとって、【ナイフを認知できた経験】と言うのが、書籍を通して「アダルトチルドレン」という言葉に触れたことです。
自分が、心理学や社会学を専攻してきたとは思えない程、この言葉に辿り着いたタイミングは遅かったなと思います。
自分をラベリングすることで、より一層思い込みが強くなる弊害も一説にはありますが、私はこの単語に触れて、驚く程に心が軽くなったことを覚えています。
家族機能不全と潜在意識について書いた過去のコラムでも、思いの丈をまとめています↓↓↓
いい子とソロ反抗期の統合方法
私がひたすら続けたことは、ノートに感じたこと学んだことを書き、人に何を感じたかシェアすること。
こちらのコラムが、ワークをやってみた感想です↓↓↓
これを続けて得たかったものは、【過去の自分の心の傷を癒してあげること】
自分の本音を言語化して、他者へ伝えることで、過去を完了させる。
繰り返すことで、どんどん生傷を過去のものへとすることができました。
それだけ周囲の存在が大切だった
【周りに心配をかけたくない】その気持ちの根底は、純粋に大切な存在故だったと思います。
子供は自分を取り巻く人間関係の変化に敏感で、その均衡が崩れることは、自分の居場所が失われる危機感にも繋がっていたのだと思います。
家族曰く、私は子供ながらに【自分の振る舞いが、どう人の目に映るのかわかっていた】と言われていました。
末っ子あるあるかもしれませんね(笑)
これまでの正解が、これからの正解とは限らない
私は【平和主義・自己犠牲】こそが、生き方の最適解だと思ってきました。
- 環境や他人の期待に合わせすぎる
- 人の意見や感情ばかり優先する
- 自分の気持ちは押し殺すもの
家庭に限らず、学校生活や社会からの影響を大いに受ける場合もあります。
現代社会において、所属に馴染む・迎合される為には、周囲に合わせることが最適解だと思い込んでいました。
…本当にそうでしょうか?
勿論、これまでが間違っているという主張ではありません。
このポリシーに自分が沢山助けられてきた面も多くあります。
だからこそ、“これまで”と“これから”を分けて考えて、改めて【私はどうしたい?】って聞いてみる機会があっても良いかもしれません。
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