大切なもの程、私を置いていく。
edit2015.10.14 1,150
おはようございます。
生憎の曇り空。少し陽が出てきたけど、それでもスッキリしない空で残念です。
さて、お題。
『あなたはこれまで、大切な物を失った事がありますか?』
ほとんどの方があるんじゃないかなぁ?と思います。
よくここにうっすら書きますが、私は今年春に長年の付き合いの友人を『恐ろしいショックな一面を見た』という失くし方をしました。その子はまだ付き合いがあるし、死んだ訳ではないけど、同じように感じる事信用する事話す事はもうないと思います。
私が失ったと感じるもので、最初に出て来るのは、『祖母』と『お店』です。
先日友人と町田に行ったのですが、むかーし、よく町田にアパレル店のヘルプに来てましてね。(片道2時間位かかってしんどかった〜)
その時の店を覗いていこうかと思ったら…
ない!!Σ(゚д゚lll)店がもうなくなってる!!
やっぱり、ながーく駅ビルにテナント置くのはどこもそうだけど厳しくて、もうお店がなかったんです。
私は、アパレル店員時代、本当にヘルプに多々出していて、一年勤めてなかったのに、異動は2回、ヘルプ店舗は4店舗に登ります。時には半月ヘルプで自店にいなかった事も…。
で、そこで気になって、経験した店舗全て検索をかけてみたんです。
辞めて2年半、残っていた店舗は、この6店舗中、2店舗だけでした。
しょーがないしよくある事でした。一般的には。
でも私には苦い思い出が、トラウマがあるんです。
私が初めてアパレルに勤めたのは大学2年の夏。その店で良い教育者に恵まれ、先輩社員に可愛がられた当時19歳の私。店長はクールなサバサバ系、恐くもあったけど、私の成長を温かく見守ってくれて、とても幸せでした。
色々あって、たまに周囲に愚痴をこぼしながら、そこで勤めた5ヶ月目。初売りで大わらわの店で、教育係の人と本社の人と、お昼に出た私に告げられたのは、『今月末で閉店』の一言でした。
その時奢ってもらった海鮮丼の味が、その一言を聞いた瞬間から、なくなったのを、10年近く経った今でも覚えています。
涙をぐっと堪えたのも、よく覚えています。
教育係の人からは『オハナさんには、年明けてから伝えようと、みんなで黙っていたの。本当は年末には決まっていたんだけどね。聞いたらショックを受けると思っていて…』
皆さんの心遣いは、本当にありがたかった。その人が言う通り、私は自分でも制御出来ないショックを受けたから。
そこで同時に、新店舗を勧められて、オープニングスタッフとして異動が決まった。
その日、親に家で号泣しながら閉店を伝えたんだけど、『生活かかってる訳でもないんだから』と理解されず。
友人にも『え、辞めたかったのかと思ってた〜。大変そうだったし〜。』と分かってもらえず。
大変でクレーム出したりもして辛かったけど、その仕事が最初から大好きでした。
採用を面接でもらい、本当にルンルンで帰宅したあの時、初めて売ったもの、スタッフとの雑談、全てが大切な思い出でした。
たった5ヶ月、されど5ヶ月。私は自分でもビックリする位、そのお店に愛着を抱いていたんですね。
お店の最終日は、辛過ぎて、出勤しない事にしました。
片付けや打ち上げには出て、一人一人最後の一言で、このお店で本当に良かったみたいな事を泣きながら言った時クールな店長が、オハナがお店を好きでいてくれて本当に良かった、と泣きながら喜んでいてくれたのを、今でも覚えています。
この時は、大切なものを失った、ただそれだけでした。
次のお店でも、非常に人に恵まれて、お店が大好きでした。
たまに学校帰り、無給でも働いた位。
オープニングで人が少なく、頼りにされた事、自由度が高くて仕事を楽しめて、私自身成績を出して、信用されていて、楽しかったんですよね。
このお店を自分が担っている、そんな気持ちが原動力。同時に、『同じように閉店させるもんか』という思いがありました。
好きなお店だった事もありましたが、ここまで閉店したら、自分が厄病神みたいな気がしたんですよね。
バイトなのに連続2店舗閉店させたなんて、縁起が悪いんじゃないか?みたいな。
オープニングのお店は、スタッフの定着率や店長の評判は良かったんです。でも、価格帯が合わないのか、厳しかったんですよね。
結局、同時期にオープンした姉妹店と共に、就職間際に閉店。
この時は、最終日にも出勤し、片付け、打ち上げと出席。
打ち上げでは、マネージャーから花束貰いました。
この時のとても好きだった店長に、閉店が決まった時から、よく漏らしていたのが、
『私がいるから、お店は潰れたのかなぁ?』という事。
『オハナは閉店させる程の力なんてないでしょ(笑)そんな訳ない。』と言ってくれていました。
閉店はしたけど、異動先に会いに行ったり、結婚式に出たり、何かとその後も関係性は続いています。全員ではないけど。
届いているかは分からないけど、アドレスや番号が変わると、未だにちゃんと伝えています。返信はないんですけどね苦笑)
と、長くなりましたが、この2店舗の閉店は、『大切なものを失う経験』に他なりません。
町田の際に気づいた、多店舗の閉店情報、これらは『大切なもの程、どんどん目の前からなくなっていく恐怖感、絶望感』を私に思い出させました。
正直、先程の4店舗は、特別思い入れはないんです。むしろ嫌な記憶のほうが勝る。
でも、『自分が関わったお店の閉店』としてのショックや、今までの経験での閉店数は6店舗なんだ、という意味のない合計数に対するショックには、勝手に繋げてしまったんですよね。(って、この話はお題と少し逸れてしまうけど)
学生時代に経験した2店舗のショック、好きなお店程なくなるんだろうか?というトラウマ、更に2年前の祖母の死も、『大事だものは、みんな私を置いていく』という意味合いで、変にまとめて繋げてしまっている自分がいます。
ネガティヴですよね〜。ちょっと無理矢理だな、とも思っています。
大切なものは先立ってしまう、なくなってしまう、これは嘘ではないんだけど、多分『印象に強く残る』という意味もあるから、本当はもっと気付かない多くのものを失っているんだと思うんです。本当は。
思い入れがあるもの、大切なものが、なくなったり傷ついたりする事に、誰しも敏感なのは当たり前な事。
私が過剰に気にしているだろうというのは、分かっています。
でも、怖さもあるんですよ。
もう老犬の、実家の愛犬が死んだら、きっとまた、『私は大切なものに先立たれて置いていかれた』と思う。
親が死んでも、きっと『置いて行くんだなぁ』と思う。
仕方ないんですよ、特に自分より年上の対象は。
でもね、きっと無意識にまた感じるんだろうって。絶望したり悲しんだり苦しんだりするのかなぁ?って。
そんなトラウマや恐さも、まだまだ私の中には残ってるんです。
ネガティヴな繋げ方、捉え方をしているってだけの事なんですけどね。
でもこんなトラウマがあるからこそ、大事なものを大切にし、それがなくなる事の準備も出来る。何かに思い入れを感じて、大事に思う事って、人生の中で悪い経験ではないですよね?
失った時の反動は、制御不能かもしれないけど。
私は、少しずつでも成長したり、変わったりしているから、次に何かあった時、少しでも自己制御してポジティブな捉え方になっていたらいいなぁ、と思う、今日この頃です。
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