いじめられてから今までの話
edit2015.10.19 1,486
こんにちは!かのんです٩( ᐛ )و
これを読んでいるあなたは「いじめ」についてどの程度かかわりを持っているでしょうか?
いじめられた人、いじめた人、見ていた人、助けた人、、、ニュースで初めて現状を知った人もいますかね?いじめ問題はいまや社会が関心を寄せる大きなテーマですからね。
私はかつていじめられていました。早く忘れてしまいたい話なのですが、ちょっとしたきっかけで思い出したり夢に出てきたり、、、という感じで未だに傷跡が残っています;;
しかし、いじめられてた当時と比べるとかなり回復してきており、我ながらよくここまで頑張ったと思うところです。
どうせ忘れられぬ記憶なら、、、と言うことで今日は私自身の体験をブログに記そうと思います。
いじめ体験のブログを呼んで色々考えるところはあると思いますが、どうぞお付き合いください。
*注意 痛々しい表現が含まれます。しかも面白い記事でもなんでもありません。
1、始まりは突然に
私がいじめられたのは最も古い記憶で、幼稚園のころです。あるとき同じ幼稚園の子供三人が私を取り囲んで言いました。「なんでお前チビなの?5歳?」。どうやら周りは皆6歳なのに、早生まれの私は5歳であるところに目をつけられたみたいでした、、、というか私だって好きで早生まれなわけじゃないです。
私はもともと体が丈夫ではなく、早生まれということもあり他の子供より体格が一回り小さかった事も影響したのでしょう。そのあとその子供に突き飛ばされました。私も相手の子供を突き飛ばして喧嘩になったのをうっすら覚えています。その後先生や母親にメチャクチャ怒られました。「暴力は絶対駄目!」という内容だったのを覚えています。当時の私はやられたらやり返す精神でしたが、それを機に何か言われても抵抗せずに耐え忍ぶようになりました。今思えばこの瞬間、喧嘩がいじめに変わったと思います。それ以降はあまり覚えていませんが、いじめられたくないので幼稚園に行きたくないと喚き、両親を困らせました、、、。
2、小学校に入学
小学校に上がってからのことはハッキリ覚えています。
一度いじめられた人間は負け癖がついて、いじめられやすくなるといいますが、、、その例に漏れず小学校でもチビと散々言われました。私は今でこそ、174 cmという身長ですが、当時は本当に小さかったと思います。というか、中学卒業するまで私は他の子供より小さく、父が「お前と他の子供が兄弟みたいだな!」と驚いたほどです。実際よく間違われました(笑)
話を戻します。
小学校に入ってから、いじめは激化しました。最初は言葉の暴力だけでしたが、私が泣いているのが周りも楽しいようで、入学してすぐに文房具等が壊されるようになり、クラスのガキ大将?に目をつけられ、暴力を振られるようになりました。
そんな私にとって恐ろしかった時間が下校です。小学校は下校時、一人で帰らなければなりません。いじめられっこの私にとってこの時間は守ってくれる大人もなく、決められた下校ルートを使用しなければならないため、襲撃される要因がそろっていました。実際ほぼ毎日暴言、暴力にさらされました。竹刀サイズの竹で全身叩かれた日には死ぬかと思いましたが、生還しました。他にも逃げ場の無いトイレの中、先生のいない教室に入るということは自殺行為でした。今でも外出先のトイレは使わないようにしています。
今思えば私がいじめられた要因は単にチビで非力で泣き虫だったからというだけではなく、私が小学校中学校のいじめでほとんど抵抗しなかった事が挙げられると思います。。相手がどれだけ殴ってこようとも、こちらがやり返せば先生や両親に怒られるからです。喧嘩両成敗といいますが、相手は複数、こっちは一人。どちらに非があるか言い合いになれば、複数意見が通るのは目に見えています。
私ができたことといえば先生にいじめられたことを訴えることですが、イマドキの先生はいじめっ子に対して強く注意できないのが現状です。それどころか、先生にチクられたと逆上し、いじめが悪化する事も多く、私も先生に訴えはしますが期待はしませんでした。これが現実です。
3、中学校に入学
私の中学校は特殊なところで、同じ小学校出身の人だけが入学していました。つまり、中学校でもいじめられる環境はそのままです。私は入学したらどうなるか想像できていたので両親に違う学区の市立中学校に入学先を変更するように言いました。私の地域はあえて別の学区の中学校に通うことが許されていたからです。今思えばこれがいじめから脱出する最後のチャンスだったのですが親に「面倒くさい」という理由で却下されました。両親はいじめというものを軽視していたのです。
結局私は小学校のいじめっ子達と同じ中学校に進みました。
そこから三年間は最悪でした。地獄ってどんなところ?って聞かれたら私は中学校と答えます。大津のいじめ事件で、頭を踏まれたとか自殺の練習をさせられたという報告がありますが、私も中学校で同じ経験をさせられました。頭を踏まれるのは人間雑巾と称しておりますが、上履きで頭を踏まれて床にこすり付けられます。メチャクチャ痛いです。自殺練習は私の場合は校舎の3階から外にぶら下げられるというものでした。死ぬかと思いました。他に公衆の面前で服を脱がされたり、水をかけられたり、物は盗まれるし、すれ違い様に暴言、後ろから襲撃、、、はさみギロチンといって腹部を締め付けられたときは内臓が痛む感覚がリアルで息ができなかったのを覚えています。窒息系で言えばのどの柔らかい部分を指で押すシガンというのもありました。今思えばよく五体満足で卒業できたという感じです。
4、それでも誰も助けてくれなかった。
授業中もいじめにあい、勉強道具は筆記用具を中心に盗まれ、勉強どころではなくなりました。中学三年生時点で60あった偏差値は30台に突入する教科もあり、いよいよ高校進学が難しくなってきました。
全身あざだらけで、暴力の影響か内臓が破裂するような腹痛で歩けなくなることもありました。先生にいじめを訴えてもじめられるほうが悪いという担任、私がいじめられてる目の前を素通りする教員。助けてと叫んだとき、無視した先生は今でもゆるせません。
一方親はというと、私がいじめられているといっても信じてもらえませんでした。頭からつま先まであざだらけな姿を見ても父は「俺の学校ではいじめはなかった」「いじめなんてあり得ない」「ちょっとドつかれたのはいじめに入らないんだぞ?」と、私の話をまったく信じていない様子でした。
母は、私の学力低下を見て、私の唯一の逃げ場だったネットを遮断して退路をたった後、腹痛に苦しむ私に「サボるな」と怒鳴り学校に行かせました。(すぐ保健室おくりになり親に怒られました)
5、その後
結局両親や教師の助けも得られないまま時は過ぎました。 両親や教師、いじめっ子を刺し殺そうかと思いましたが自信も力もありませんでした;; 自分が死のうとも思いましたが勇気がありませんでした(臆病)。 この時点で既に人間不信といいますか、家族と信頼できる人以外には言葉が出ない状態でしたが、今ではとりあえず人と会話できます。笑顔も戻りました。一応(少し前に別れたけど)彼女もできて傍から普通の大学生ですが、やはり今でも人に声をかけるのに抵抗があったり、人前でしゃべると震えるといった後遺症?が残っています。また、見た目的な傷も残っています。傷のことはきにしないようにしていますが、両親に笑われたときは流石にキレそうでした^^;; 困ったことといえば地元はやはり堂々と歩けません。同級生に見つかったら大変ですから。 両親は大津のいじめをニュースで見てから「おまえもいじめられたらすぐ言えよ!」といっておりました。頼もしい限りです(棒) 最後に感想ですが、いじめを経験した私自身は今教員の勉強をしていて、いじめ問題も取り扱っていますが、、、正直対策も、いじめに対する罰則も不十分であると考えます。いじめといいますが学校外では傷害罪、恐喝など、犯罪行為です。被害者の傷は深く残り、生涯にわたって影響を与えてしまいます。 はやく撲滅しないかな、、、、
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