神様っているの?(前編)

みなさん、こんにちは😀

タカミチです。

約2ヶ月ぶりにココトモの活動を再開することができました。

というのも、勤めていたロボット工場が半導体や部品不足で仕事が激減し、派遣リストラのリスクを考えて急遽転職することにしました。

11月からは、在宅のAmazonコールセンターを始めます。

Amazonに問い合わせたら、数百分の1位の確率で僕が出るかもしれません笑

先日、掲示板相談でとある方にコメントさせていただいたことが復帰のきっかけとなったのですが、今日はその内容をさらに深掘りして書いてみたいと思います。

これまであえて避けてきた信仰についてですが、宗教という枠を取っ払って読んでいただけると嬉しいです。

"信仰"という言い方が宗教色を感じさせるのは否めないので、「心の安定・安心を作るための最善策」についての記事だと思っていただいて構わないです😅

多くの人に受け入れられるタイプの記事ではないと思いますが、ココトモは心が清く素直な人が多いと感じますので、何か感じ入るところがあれば嬉しいです。

なぜ現代がこれほど病んでいるのかという核心を突いた内容になっています。

そもそも宗教とは?

宗教と聞くと、どんなイメージが思い浮かびますか?

古臭い?胡散臭い?それとも危険な感じ?

おそらく、良いイメージが真っ先に浮かぶ人の方が圧倒的に少ないのではないでしょうか。

その原因は、新興宗教にあります。

教団名を挙げる事は避けますが、かのサリン事件を起こした教団を筆頭に、悪徳勧誘や黒い噂が絶えない教団がたくさんあります。

これらの教団は、「信者になれば救われる」と弱い人々の心につけ込んで、お金を巻き上げるために信者を集めるのです。

そのお金は、政治資金や裏社会での活動資金に流れたり、教祖を始めとした幹部連が贅沢三昧するためのお金となっています。

集金する時点で、どんなキレイなお題目を掲げていても、仮に救われた人がいたとしても、その教団は邪教です。

本物の信仰には、お金はかかりません。

お金がかかるとすれば、神棚にかかる費用くらいのものです。

信者を勧誘する必要もありません。

独りでやるからこそ深い意味があります。

では、信仰する理由とは何だと思いますか?

見えない、聞こえない神様をわざわざ祭る理由とは何でしょうか?

ここに、現代社会が人類史上かつてないほどに病んでしまった原因が隠れています。

人間は「自分が頂点」と考えると道を失い、病んでしまう生き物

「神様のおかげで、私たちは生きることができている」

この言葉を面と向かって聞いた時、ほとんどの人は引いてしまうと思います。

「、、、え?この人怪しい宗教に入っているのかな(・・;)」と。

まぁ、日常生活でこんな言葉を使う場面はほとんどありません。(というか、リアル生活ではありません笑)

小さい娘に「いつも神様に"ありがとう"って思ってね」とは言っていますが、場の空気を考えない発言はただのエゴなのです。

信仰とは、読んで字の通り「信じて仰ぐ」行為を指すもので、何かの宗教に属さなくても「自分が好きな神様を信じて仰ぐ」だけで信仰していることになります。

信じて仰ぎ、感謝を奉納する行為です。

ちなみに僕は無宗教です。(家柄は浄土真宗ですが意識した事はありません)

信仰していることを人に伝える必要は全くないのです。(むしろ必要な時以外は「変な人」と思われるだけなので伝えない方がいい)

この"信仰"とは何のためにするのかというと、わかりやすく自分の利益にフォーカスして説明すると

  • 「常に心身の健康を保ち、心から安心して生活するため」
  • 「奢り(おごり)、昂り(たかぶり)、慢心をなくすため」
  • 「運気を上げて、人生をより歩みやすくするため」

などですが、これらは信仰による副次的な産物であり、目的ではないことに注意しないといけません。

そもそも、神様にご利益を求めてはいけないのです。

神社での祈願が当たり前にされていますが、私欲を満たすための祈願は逆に天罰が下ります。(私欲以外の公への祈願はOKです)

想像してみてください。

神社の神前で、小銭を投げつけて「お金がもっと欲しいです~!」「結婚したいです~!」と私欲にまみれたお願い事をする人に、神様が動かれると思いますか?

神様はあなたの願いをお見通しですから、公のために祈っていれば、「うむうむ、善い行いじゃな。では、願いを叶えて進ぜよう」と自然とバックアップしてくれます笑

信仰の本来の目的は、森羅万象(しんらばんしょう=神様)により”生かされていることに対する感謝を伝える事”です。

ここがとても重要です。

人間は、自分の力だけで生きていると思い上がると、心に本当の安心感が備わることがなく、最悪病んでしまう生き物なのです。

現代人は、本当の信仰心を持っている人は圧倒的に少ないと感じます。(”何となく”宗教している人は多いですが、、)

そのため大半の人が漠然とした不安を抱えて生きています。

これが、現代が病んでいる最大の理由だと考えています。

では、神様とは一体何なのでしょうか?

観えない、聴こえない神様を信じると言っても、なかなか敷居の高い話に感じると思いますので、次の項では科学的視点からわかりやすく説明してみたいと思います。

神様は”あらゆる全てのもの”を指す

前項で「森羅万象(あらゆる全てのもの)=神様」としましたが、森羅万象は神様のエネルギーによって創られたものであると同時に、神様そのものでもあるのです。

「一粒のお米には七人の神様が宿っている」と言いますが、お米に限らず家具や車、ぬいぐるみにも宿っています笑(神気が象ったものですから)

神様の分かりやすい例は、古来より最も信仰の対象となってきた太陽です。

日本でいう太陽神は天照太御神様ですが、太陽が無ければ人間を含めた動植物は生きることが出来ません。

近年、X級の太陽フレアが頻発していますが、X〇〇級のスーパーフレアが地球を直撃しただけで文明は崩壊し、生物は生きてはいられないと言われています。

つまり、天照太御神様の御意思ひとつで地球文明はあっけなく滅びます。

その地球の神様である国常立太神様の逆鱗に触れても地球文明は簡単に滅びます。

熊本県の阿蘇山は世界最大のカルデラを持つ活火山ですが、破局噴火を起こせば成層圏を火山灰が覆い、太陽光が激減して作物は育たなくなり、さらに地球上は極寒となり数十億人が餓死・凍死すると言われています。

こうした地球文明を滅ぼしかねない活火山は世界各地にありますし、2021年1月のトンガ噴火は小規模だったので人類は助かりました。しかし、2025年7月に起きると言われているフィリピン海噴火はどうでしょうか。。?

また、月の月読命様(素戔嗚尊)と姉神である天照太御神様が、完璧なバランスで地球を守っているから人類は生きることが出来ています。

地球から太陽までの距離は、月までの距離の400倍です。

そして、太陽の大きさは月の400倍なので、地球から双方を観ればきっちり同じ大きさに見え、そのおかげで地球の自転や気温、大気の状態が健全に保たれています。

もし月までの距離が350倍などであったとしたら、地球文明はそもそも起きていません。生物が生存できないからです。

これらは偶然ではなく、神様方の御意思によって完璧にコントロールされています。

挙げるとキリがないので割愛しますが、こうした神様方の健全な地球運営ルールは他にもたくさんあります。

その神様方が人類を滅ぼさない理由、それは産みの親であり、大切な子供だからです。

その神様方ってどんなご存在なんだろう?、、と思いますよね?

しかし、人間の知能で考えても学問での理解の範疇をはるかに超えていて、どんな天才も理解することは出来ないと言われています。

天才の象徴であるアインシュタインも、神様の存在について以下のように答えています。

「今日の科学が神の存在を証明出来ないのは、科学がそこまで発展していないのであって、神が存在しないのではない。人間の五感は限られており、神の存在を感じることはできない。

科学も神の存在を否定はできないのであるから、われわれは神の存在を信じるべきである」

そして、観えない、聴こえない、分からないご存在だからこそ、その神様を信じることが出来るのかどうかを人間は試されています。

神様や精霊様は観たり、聴いたりは出来ないですが、感謝をして生きていれば少しずつ感じ取ることは出来るようになってきます。

アインシュタインは「五感では感じることはできない」と言っていますが、神様を感じとれる第六感が芽生えてきます。

そして、その神様はすでにあなたの中(右胸)に居ます。

そのために必須の素養は、”素直さ”と”心の健全さ”です。

ココトモには、この素養を持たれる方が多いと感じています。

天照太御神様、素戔嗚尊様(月読命)、国常立太神様、、その他八百万の神様方の中からあなたの好きな神様から信じてみませんか?笑

さいごに

いかがだったでしょうか?

今回の記事は、正直ココトモで書くにはかなり挑戦的な内容でした😅

でも、純粋で素直な方が多いこの場で反応をうかがってみたい、という思いから書かせて頂きました。

巷ではオカルトネタに分類されがちな話ですが、僕はオカルトマニアではありませんし、神様をオカルトだとは全く思っていません。

そして、オカルトだと思われがちな神様の話を敢えてさせて頂いた本当の理由は、「あらゆる悩みを解決する最強の手段は神様を信じること」だからです。

はっきり言って、チートなのです笑

だから、これまでご相談者様のお悩みに、神様の話をしないままお返事することに「フェアではないなぁ」と感じていました。

とは言っても、今後もお返事で神様の話をすることはありませんが、、(困惑させてしまいますので)😅

続きとなる「神様っているの?(後編)」も併せてお読みいただければ嬉しいです!

 

あなたの心に、常に太陽があることを祈りつつ。。

お読みいただき、ありがとうございます😊

 

 

 

 

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コメント一覧

全3件
  1. schedule2022.10.29

    タカミチ

    むむ、、絵文字を入れたつもりが表示されていない、、苦笑

    ふっこさん、ところどころにニコニコマークがあると思って読んでいただければ嬉しいです笑

  2. schedule2022.10.29

    タカミチ

    ふっこさん、こんばんは

    タカミチです。

    ご感想をいただきありがとうございます!

    実家が神社なのですね~!羨ましい笑

    神官になりたいなぁ、と思っていたこともありました。

    お天道様に顔向けできない、、ほんとこの通りだと思います。

    いついかなる時も、お天道様(太陽・天照太御神様)に恥じない生き方をしていれば間違いないですね

    >胸の内にある自問する相手こそ神様なんだろうなとも思います。よりどころというか。

    すごい感性をお持ちなんだなぁ、とビックリしました!

    複雑な話になると読みづらくなると思い、あえて「右胸に居る神様」とぼかした表現をしましたが、まさにふっこさんのおっしゃる通りです。

    自問する相手=自分の良心=内在神

    なのです。

    胸の中心から右に3㎝のところに鎮まる内在神様こそ、人の良心の正体であり、最高の相談役なのです。

    だからこそ、良心に恥じぬ生き方をする事、これがひいては自分の中の神様をより生き生きと発露させる事に繋がっていきます。

    これを続けていると、、ビックリする体験が出来ると思いますよ

    この後、後編を投稿するつもりなので、お読みいただければ嬉しいです。

    ありがとうございます!

  3. schedule2022.10.29

    ふっこ

    こんばんは。
    はじめまして。私は、タカミチさんよりも先に生まれたふっこと申します。

    実家が神社ということもあり、興味深く読ませていただきました。確かに神様はお願いを叶えてくれるスーパーマンではないですし、これが神様ですよという象徴もないと思います。…心の中、気持ちの中にあって、常に全てをお見通しな存在なのかなと思っています。よく「お天道様に顔向けできないよ!」と叱られたものですが、太陽は小代から神様として奉られていますね。

    胸の内にある自問する相手こそ神様なんだろうなとも思います。よりどころというか。タカミチさんのお話は、温かいです。心の中にポッと灯るような…。私も温かい気持ちを常に忘れないようにしたいものです。続きのお話、楽しみにしております。

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