くすりづけ

働くこと、生きていく意味って何ですかね?

コメント:9件 閲覧:2,145人 最終更新:8 ヶ月、 1 週前 作成者:くすりづけ

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辛辣でも甘くても何でもいいので、お気軽にコメントくださると嬉しいです。
長文なので、ダルかったらタイトルだけ見てコメントして大丈夫です。

<働く意味とは何でしょうか。働いて、そして生きていくって何の意味があると思いますか?>
私は4月に大学4年生になります。いわゆる就活生です。
頑張って働く意味が分かりません。
一生懸命生きていくとかよく分かりません。
働く意味を人に投げかけたことがあります。
ある方は「自分には家族がいて、自分たちが生きていくために必死になって働くんだ」と仰いました。
ある方は「人生の時間の7~8割は仕事に費やされる。だから、納得のいく働き方をしたいんだ」と仰いました。
ネットでは「生きたいから生きる」とか「死ねないから生きる」「気ままに生きればいい」みたいな書き込みを見かけます。
私はどちらかというと「気ままに」の考えに近いのだと思います。
しかし、楽しいことも嬉しいことも、気ままなことも含めて難しいなぁと思います。
どうやったって遊び続けてはいられません。
それこそ私が「気ままに生きる」なんて言ってたら、生活がひどく困窮していない者の戯言であることは疑いようもありません。(私が言った場合は、ですよ)
生きていくために仕方なくでも働く、生きることに一生懸命になる、
それも大変素晴らしい考え方だと思っています。
苦渋に耐えて成功やかけがえのないものを得ることができたら、それはそれは幸せでしょう。
そうでなくても、人生に貪欲になっていけたらそれだけで生きる目標になりますね。
しかしその貪欲さを私は持っていません。
切望することもありますが、何だかんだその努力を止めたり、忘れたりします。
いつも繰り返しです。落ち込んだりハイテンションになったり。
繰り返すことが人生だと言われたり、私もそう思ったりしますが、何の意味があるのでしょうか。
納得して生きることができたら最高です。でもそれは理想です。
私は幻を抱いて駆けだしますが、すぐに息切れして座り込みます。歩き続けません。
再び歩きだしたりもしません。歩き出す時もたまにありますが。
歩いて何の意味があるのか分かりません。人生にどんな意味があるのでしょうか。
意味があったとして、私はその意味を受容できない、と思います。
恒久不変の意味とそこからブレない自分が欲しいなんて、めちゃくちゃですね。

<本題はここまでです。以下は自身についての補足ですので、読む気がある方はどうぞ>
家は裕福ではないと思いますが、人並の家庭でしばらく生きていくこともできると思います。
アルバイトも大してせず、おそらく人より苦労と挑戦の少ない人生だったと思われます。
自分が嫌になったり、自分なりに大きなことに取り組もうと挑戦したこともあります。
まったく苦労が無かったということでもないと思います。
もちろん、楽をしたり逃げたこともたくさんあります。(どちらかというとそちらの方が多い)
こうやって書くと割と平凡な人生なのでしょうね。
自己評価は低いと言われますが、低い人は割と多いですし本当に低い人は見せないと思います。

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コメント一覧

1-9件目(全9件)
  • くすりづけ
    くすりづけ

    投稿の補足です。
    >自己評価は低いと言われますが、低い人は割と多いですし本当に低い人は見せないと思います。
    よくよく考えたら大変失礼な物言いでした。
    皆が皆、自己評価の低さを口に出すワケでもなければ、
    自己評価の低さを口に出す人が「嘘っぱち」なワケでもありません。
    私の個人的な考えを押し付けることをして申し訳ありません。
    不快になった方がいらっしゃいましたら、本当に申し訳ないです。

  • 匿名

    辛辣な表現の仕方で申し訳ないけど。
    「平和ボケした器用貧乏」という印象を受けたね。

    実は斯く言う自分もそういう境遇にあるタイプの人間でね。

    「貪欲」という性質が普遍的に何に起因しているのかは調べたことがないから分からないけど。
    少なくとも自分は食べる物に困ったことも、生死の瀬戸際に立った経験もない。

    だから生きようとする意欲に欠ける節があるのかな、と短絡的に考えてみたりしてみた。

    ちなみにあなたは「死にたい」と思った経験はある?

  • くすりづけ
    くすりづけ

    tokumeiさん、コメントありがとうございます。
    また長文ですがご容赦ください。しゃべりたいんだと思います。
    確かに瀬戸際には立っていないです。

    たぶん「死にたい」と思ったことのある人は、あちらこちらにいらっしゃると思いますが…。
    私は「死にたい」と思ったことが何回かあります。
    特に強く感じたのは2回あります。
    中学の時、授業の課題をクラスメイトに連絡し忘れて、怖くなってマンションの最上階に向かいました。
    非常にくだらないことだと思うでしょうが、当時の私にはすごく怖いことでした。
    しかし階段を上がってる途中であまりの高さと、死の恐怖などでビビッて引き返しました。
    覚悟もなにもないクソガキです。翌日になってみると、課題の連絡は先生がやってました。
    自分には「死にたいと思うほどのひっ迫」と「死の恐怖を超える覚悟」がないと自覚しました。
    もう一つは、大学のグループ作業の時です。
    集団独特の陰口や能力の差別があり、部活動もまともにやってない私には大変理解できず苦痛でした。
    そもそも作業自体が難しく、教授からは苦言を呈され毎日みんなで居残り作業する中で、
    無力感と人への恐怖で一杯になりました。
    楽な死に方で検索をかけたり家にあったウイスキーを持ちだしたりしましたが、
    やっぱり怖くて死ねません。死ぬ理由としても、どうせ軽い方だなと卑屈にもなっていました。
    ひたすら頑張り切ることもできない、かといってキッパリ死ぬことも選べないことに笑いました。
    そしてグループ作業は、浮き沈みを繰り返して何とかこなしましたが、最後の最後に大きな失敗をして終わりました。

    「死にたい」と思うことを繰り返して、しかし死ぬことなんてできずに浮上し、また同じように沈む。
    その繰り返しが人生とは思いますが、意味が分かりません。

  • 過去のメンバー
    ココトモメンバー

    とても興味深い内容のように見受けましたが、お訊ねしたい点が御座います。

    人生に意味があったと仮定します。しかし「その意味を受容できない」。それはあなたの個性と捉え、一向にかまいません。そもそもその受容できないものを敢えて他者に求める意味は何ですか。

    更に「その意味を受容できない」にもかかわらず「恒久不変の意味とそこからブレない自分が欲しいと」という所で、肯定されている理不尽の理由と意味は何ですか。

    私たちは、空いたと訴えを聞き、思い思いに支度をし配膳するけれど、あなたは何を提供されてもいらないと言う。
    でも空腹は満たしたいと訴える。 

    さてこれらを禅問答としたならば。
    「自ら膳を整え、自ら満たせ」といった心境に至ります。

  • 匿名

    長文、歓迎するよ。

    最近のニュースでもあったね。
    「過去の万引きが原因で志望校に進学できないことを理由に自殺してしまった学生」。

    文章を表面的に受け取れば、「なんだそんなことで」と思う人もいるだろうけど。
    物事の本質や、重視するべき点は、本人の置かれた環境や心境に
    客観的かつ真摯に思考を及ばせなければ見えてこないだろうね。

    そしてその時の気持ちがいかに稚拙なものであったと判明しても。
    決してそれは軽視しちゃいけないこと。

    実際にそれで人間が死んでしまう要因になってしまうわけだし。
    何よりあなたにとっては「そのお陰で」、今も生きているわけだからね。

    「ひたすら頑張り切ることができない」のは、器用貧乏の特徴だよ。
    それを単に「負」の性質として捉えることもできるけど、そんなことをしても何の得にもならない。
    自分の個性を理解した上で、「じゃあどうするか?」と前向きに考えるのが大事なんだと思うよ。

    あなたにとっては死にたいという明確な意思があったのに、死ねなかったことで
    それ自体が自分の中で失敗と認識してしまい、ある種、罪の意識のようなものを芽生えさせているのかも知れないね。

    人生は確かに山もあるし、谷もある。
    でもあなたのいう浮き沈みにはそもそも「山」が無い気もするね。
    人の生き方に哲学という概念をあてはめることができるとするなら。
    厭世観という、「山」が無いのもそれはそれでひとつの生き方として確立することができるけど。

    どうせなら、慎ましやかでも自分らしく前向きに生きて。
    最期くらいは「生きてて良かった」と思いたいよね。

  • ishii
    ishii

    はじめまして。
    私は、家族から離れて一人になり、わかった事があります。
    また、他人の家で生活すれば家族のありがた身がわかりました。
    定命を直前に、先が短いのを直感でかんじました。
    自分の子供みたいにお世話させて頂いて、親の気持ちがわかりました。
    家が震災でなくなって家の有り難みがわかりました。
    障害を持った両親や知り合いの人は、一生懸命働いて生きています。
    今の若い人は、答えを直ぐに出すことにとらわれているように思います。
    人生に答えはないように思います。
    答えを出したければ、頭ではなく体で体験しないと
    でてきません。
    信仰の話ですが、
    難儀せねば難儀したものの気持ちがわからぬ。
    貧に落ち切れば貧の気持ちがわからん。
    と、教え頂きました。
    今ある健康や五体や五感やお金や家族や家や食べ物がなくなった時、大切なものに
    きずきます。
    どれだけの天から恵みを頂いているかが解ります。

  • くすりづけ
    くすりづけ

    ハートさん、tokumeiさん、ishiiさん返信ありがとうございます。
    遅くなってすみません。少し考えていました。
    >ハートさん
    膳を欲して、それを「受容できない」などと言い、それでも空腹だと訴えることは、確かに理不尽な話でした。
    理不尽なことを言ってしまいました。
    ごめんなさい、言い訳をさせてください。
    いままで色んな人から色んな言葉をいただき、また自分でも色んなことを考えてみて、それぞれを自分に当てはめたり咀嚼してきました。
    合う合わないはありますしいくつかは腑に落ちたのですけれど、落ち込むと私はすぐに腹のなかの考えを否定してしまうのです。
    せっかく腑に落ちた考えを私は、ひょんなことから否定してしまいます。
    せっかく持っていた考えなのにそれを貫き続けられないようなのです。
    人間は変化するのですから当然といえば当然ですが、考えを結局否定してしまう自分が嫌だと感じました。
    だから先のコメントでは「せっかく皆様に言葉をかけていただけても、自分の中で実にならないのではないか、自分が否定してしまうのではないか」という不安の下で、「受容できない」などと書きました。
    トピックの枠と皆様の時間割いているこの場で、そんな気持ちを抱いて皆様に相談すべきではありませんでした。
    いや思ってしまったとしても、それは隅に置いて見えない形にするべきでした。
    ごめんなさい、話をして、何か声をかけてもらいたかったみたいなのです。
    受容できないかもしれない不安がありつつも、それでも何か聞きたかったのです。
    受容の不安はまだありますが、それとは別に聞いて受け止めたい気持ちはあります。
    いくらなんでも目に余るわがままでした。本当に申し訳ありません。
    >tokumeiさん
    長文を受け止めてくださってありがとうございます。その気持ちに応えたいと思います。
    私は「器用貧乏」を負の性質としか捉えられていませんでした。
    「ひたすら頑張れない」ことがひどい欠陥で、それができない自分は世の中でなんの価値も生産できないと卑屈になっていました。
    でも、そうですね、器用貧乏は性質であって、それを私がどう捉え、どう活かしていくかが重要なのですね。
    器用貧乏をどう前向きに転換していくことができるか、あまり腐らずに考えてみます。
    >「人生は確かに山もあるし、谷もある。
    でもあなたのいう浮き沈みにはそもそも「山」が無い気もするね」
    私は「山あり谷あり」を何気なく使っていました。
    私は「良いこと=山もあれば悪いこと=谷もある」という解釈でしたが、tokumeiさんの仰る「山」は少し異なるのでしょうか。
    「山」が無い、というのは「良いことがない」という意味ではなく、人生に劇的な上昇はなくても慎ましい生き方、という意味で仰ってくださってのでしょうか。
    どんな生き方をしていても、最期くらいは「生きててよかった」、それに尽きるということですね。
    いまの気持ちを軽んじずに、考え直してみようと思います。
    >ishiiさん
    はじめまして。
    離れてみないと、失ってみないと分からないことも多い…。
    それは体感してはじめて分かる、ということですね。
    私も答えをすぐに出したがっています。
    はっきりとした軸や答えを持って生きていくことを迫られているような気がしていました。(世間からもそうですが、自分自身からも)
    芯を持って生きるということは、はっきりとした答えを持って生きているということだと思って、それを持たない私は…と卑屈になっていました。
    すぐ答えを出すものでも出せるものでもない、そういうふうに読み取っていいのでしょうか。

    皆様からいただいた言葉を「貫き続けられない、だから受容できないんだ」と飲み込むのではなく、「変わってしまってもいい、ありがたくいただこう」と味わうことが大事なのかなと思いました。
    考えを話し、皆様のお話を聞いて、考えてみたことでなにか頭の中で筋が通りました。
    ご心配とご迷惑をおかけいたしました。
    この先も完全に大丈夫とは言い切らなくとも、いまこの時を大丈夫と言えればそれでいいのかなと考えています。
    読んでいただいた皆様、ありがとうございました。

  • 匿名

    相談者の本音の部分を「見えない形」にされると、意外と困っちゃうのが助言する立場の人。
    だからそこはあんまり気にしなくていいと思うよ。
    自分はあなたの「受容できない」という言葉に対して、「ああ、自分で答えを出したい意思がある人なのね。じゃあ補佐役に徹しよう」と考えた。
    人それぞれ受け取り方は違うから、助言者の反応には「適応」ではなく「礼儀」で返せばいいと思うよ。

    かく言う自分もいろんなものに手を出すけど、「なかなか本気になれないなあ」と立ち止まってしまうことは多々あるよ。
    でもそれは悪いことではなくて、「本当に自分がやりたいこと、やるべきことにまだ出会えてない」ってことになるんだね。
    今は心理学にハマってるかな、面白いよ。

    ああ、ちょっと言葉を変えたから分かりにくかったね。
    「「死にたい」と思うことを繰り返して、しかし死ぬことなんてできずに浮上し、また同じように沈む」。
    というあなたの言葉を「山あり、谷あり」と言い換えたんだよ。

    だけども、死にたいと思うことが「谷」であるのは分かるけど。
    「死ぬことができなかったこと」がそのまま「山」にはならないと思うんだよね。
    たまたまあなたが説明を省いただけで、実は「自分なりに充実した期間」があるなら話は変わってくるよ。

    あと、自分の考えを自分で否定するっていうのはすごく高度な作業だと思うんだよね。
    「また振り出しか、、」っていう印象もあるかも知れないけど。
    自分が今まで信じてたことっていうのは否定して消し去ったつもりでも、根っこは残ってる。
    それが「ものの見方」、つまり一つの「視点」として残り続ける。
    物事を判断する上で、ものを見る視点が多いほうが有利なのは明確だよね。

  • ishii
    ishii

    こんばんは。
    お返事誠にありがたく思います。
    真剣に受け取って頂いただけでも、十分です。
    私は、大工をしています。初めはボロカスに怒られ、パンチやブロックが飛んできたり
    理不尽きわまりない事をうけて、何遍も帰らされ、ずっと段取りや掃除や道具運び
    でした。
    一部の話ですいませが、それだけ頑張ったら、今は面白くてたまりません。
    必死になれた状況感謝してます。
    若いうちの苦労は買ってでもでろと、教えて頂いた意味が身につきました。
    小さい事から責任を持つと色々な事が出てきます。
    取り留めない話ですいません。

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