トラウマー女子が怖い
edit2015.12.31 1,315
こんにちは!キュウです。
今回は、ライターエディターチームのブログです。
今回のブログを書くにあたって、前々回(「中学生のキュウのおはなし①」)の続きで「中学生のキュウのおはなし②」を書こうか、それともトラウマシリーズで女子が怖い話を書こうかで、かなーり迷っていたのですが…
「トラウマー男性が怖い」のライターエディターチーム内での反響が予想外に大きく、「女子バージョン聞きたい!」とのお言葉を頂きましたので、今回は私のトラウマ記事第2弾ということにして、わたしの「女子が怖い」お話をしようと思います。(中学生のキュウのおはなし②も、近いうちに書き上げますよ~(*^^*))
毎度ながら長くなりますが、お時間よろしければお付き合いください。
トラウマー女子が怖い
私は女子が怖いです。特に、同年代のきゃぴきゃぴ♪とした女の子が苦手で、女子グループに入ることに抵抗があり、いつも一匹狼で居たいと願うような感じの人。また、友達と群れたり、友達と遊んだりすることに憧れを持つ反面、傷付きやすく、陰口を叩かれているのではないかという恐怖に負けて友達の前でリラックスできない自分が居て、人が好きなのに人といるのが疲れる自分に嫌気がさして、自分を「クズ人間」と卑下することでなんとか自分を保ってきました。こんな自分が「クズ」だと自覚している分、まともな部分があると思いたかったのかも。
本当はクズでも何でもない、怯えた心をもった一人の人間なのですが、それに気づくのはもっと後のお話で、ずっとずっと20年近く自分はクズだと思っていました。
では、私が女の子に恐怖を抱くまでの色々なトラウマをお話ししましょう。
トラウマ①ー噂と陰口の世界
よくある話だとは思うのですが、大抵の方々と同じように、私の小学校時代の女子社会(と言うのかな?)は、噂話と陰口にまみれた社会でした。うわべでは皆仲良しでも、誰かがトイレに立つとその人への陰口が始まる。本人の見えないところで陰口をたたく。「調子に乗っている」という理由だけで、けなされたり、仲間はずれにされたり。理不尽な事がたくさんで、見ている方は「自分もやられるかもしれない」という恐怖があるため、気を張る。そんな独特の世界でした。
どんなに陰口を言われないように頑張っても、頭がよくて運動ができる子は「調子に乗っている」、リーダーシップが取れる子も「調子に乗っている」、先生に気に入られている子も「調子に乗っている」、中心グループの親分的な女子に気に入られた子も「調子に乗っている」、中心グループの女子と偶然筆箱が被るだけで「真似しないでくれない?」などなど、、、理不尽な扱いの数々を、目の当たりにしてきました。
ちなみに、私も、何を「調子に乗った」のかは忘れましたが、「調子に乗っている」から無視されたことがあります。あれって、なんの前触れもなく突然起きるんですね。ある日突然、友達だと思っていた人に、完全に視界から存在を消されました。
しかも、先生が見てるところでは普通に話すからたちが悪い。
訳もわからず「ごめんね」と謝ると、話してもらえるようにはなったけど、意味がわからないので、後味も悪い。次も同じ事があるんじゃないかとビクビクしながら、気を使っては疲れる日々ですよ。
そんなの、息が詰まっちゃう。
でも、「世の中にはそうじゃない人も居る」事を知らない小学生の狭い視野では、学校という社会は正義でしかなくて、「息が詰まる」と思ってる自分が変だという認識しかできなかったんですよ。私はなんでもかんでも自分のせいのように感じちゃうので特にそう。
だから、「息苦しい」と感じている気持ちを意識の外に追いやることで目の前の狭い「社会」になんとか馴染もうと頑張るわけですね。「楽しい」事を感じるように、心が頑張るんです。精一杯。そして、頑張っていることを自覚できないまま、怯えた心だけが密かに心の奥深くで大きくなっていきました。
だから、当時感じてた小学校の生活の印象は「楽しかった」だったんです。本気で、これが楽しいんだと思ってました。親にもそういってたし、勉強も好きだったし、友達も居るのに、なんで学校に行きたくない気持ちが出てくるのかわからなかった。そして、大人になってから自覚した頃にはもうトラウマとなって心に刻まれてしまっていたんです。
本当は、毎日友達に見捨てられ裏切られる恐怖に怯えていたのですよね、心が。今なら、当時の自分が学校に行きたくなかった理由がわかる気がします。
でも、無意識の世界の中に刻まれたトラウマは、なかなか消えてはくれないんですよね。男性のトラウマと同じく、女子へのトラウマも、今のわたしの対人関係の下手くそさに一役買ってると思います。笑
ちなみに、この時私の心に刻まれたトラウマはこのようなものでした。
「どんなに仲良しに見えても陰口は叩かれる」
「絶対どこかでバカにされているので、誰にも本音を話してはいけないし、自分の弱味を見せてはいけない」
「特に、見た目が可愛い(クラスの中心女子のような)人はご機嫌が変わりやすく、気に入らないことがあれば無視したり、勉強を教えて欲しいときはやたら構ってきたり、人と接する態度にムラがある。相手にしても、いいように利用されるだけ」
こうして、私は、女の子…特にクラスの中心に居るようなキャピキャピ♪した雰囲気の女の子と話すのが怖くなっていきました。
トラウマ②ーいじめ
私が居た小学校には、いじめがありました。しかも、学年の子達(男女関係なく)全員が、六年間一人の子をいじめていました。
クラスが変わってもいじめられる、終わりの見えないいじめ。本当に辛かったと思います。
その子の名前を、仮にもずきちゃんとしましょう。もずきちゃんは、「もず菌」と呼ばれていて、もずきちゃんが触れるだけでそれは「汚いもの・もず菌に犯されたもの」とされました。もず菌に触った人は、誰かに移すか、手を洗わない限り汚い。だから、皆で鬼ごっこのように菌を移しあって遊んで(?)いました。さらに、もずきちゃんのすることなすこと全てが陰口の対象で、今思うと、それでも6年間ほとんど毎日学校に来続けたもずきちゃんはとってもとっても強い子でした。
多分、みなさんの中にも、同じようないじめを見たことがある方がいらっしゃると思います。私がいとこにこの話をした時に、「私の小学校でもあった!」と言っていたので、よくあるいじめの一つなんだと思います。でも、私はそれが嫌でした。
私は、もずきちゃんへのいじめが嫌だったので、「もず菌」を移されても動じなかったし、誰かに移そうとはしませんでした。周りの子達も、そこまで深く考えていじめていたわけではなかったのか、私のそういう態度を見て「あ、そうか。お前は関係ないんだったな」と、別の子に菌を移しに行く子が増えました。でも、私の心は臆病で、積極的にもずきちゃんの友達になる勇気は出ませんでした。ただいじめに加わらないことが精一杯で・・・。でも、私が自分のことばかり考えて友達になれなかった間も、もずきちゃんはずっと苦しんでたんですよね。あの時、臆病な性格じゃなければ、もっと勇気を出せていたらなあ。悔やんでも悔やみきれない後悔って、多分こういうことを言うんだろうと思います。
そんな中、小学校四年生の時、もずきちゃんが動きます。
私の通っていた小学校では、担任との「れんらくちょう」というものがあって、その中の日記を書く欄に毎日日記を書いて提出しなければならず、提出した日記は担任が読んでコメント付きで返されるという制度?があったのですが、そこに、もずきちゃんは「自分はいじめられている」ということを書いたのです。
それを読んだ担任の先生は、何を思ったのか、授業の時間にもずきちゃんだけを保健室におつかいに行かせ(わざとらしい)、残った全員にもずきちゃんのその日記を読んで聞かせました。
その日記は書く欄が少ないので内容も短かったのですが、「いつもクサイと言われるので、毎日一時間お風呂に入るようにしている」等、もずきちゃんなりに、いじめられないような対策を頑張っていることが書かれていて、先生はそれを皆に言い聞かせては、いじめはダメだと怒っていました。
でも、そういうのって逆効果なんですよね。先生はまだ20代の若い男の先生でしたのでわからなかったのかもしれませんが、私は先生が日記を読み上げた時内心ギョッとして、クラスでこれからもずきちゃんがどうなるのか怖くなりながら聞いてました。
説教が終わった後の休み時間は、予想通り「もず菌は調子に乗っている」などと悪口が叩かれ、もずきちゃんへの風当たりが強くなったことまでは覚えているのですが、それからすぐ学年が上がりクラスが変わったので、それからのことはわからないまま、五年生になりました。
私たちの学年の共通認識が「もず菌」だなんて悲しいですよね。でも、本当にそうだったんです。クラスを超えても通じるいじめでした。六年生になって、私はもずきちゃんのことを心配に思いながら、でも仲良くなると私もいじめられそうなので怖いなあと思いながら、自分の友達と過ごしていました。でも、もずきちゃんはそんな私に手を振ってくれたり、仲良くなりたいそぶりを見せてくれていて、私も、周りに友達がいない時には勇気を出して手を振ったりしていました。
そんなある日、友達と並んで歩いている時に、もずきちゃんがこちらを見て手を振ってくれたので、友達に何て思われるか怖く思いながらも、もずきちゃんに手を振り返したことがありました。すると、友達は「お前あいつと友達なの??」と私に聞いてきて、私が「うん」と答えると、「ふーん。」で、会話は終了しました。その時には何もなかったので、もっと早く皆の前で堂々と手を振ればよかったと思いました。
私が予想するには、私は「優等生」で、「ポイ捨てとかしなさそう」で、「先生にひいきされている」「純粋な」人間だったので(全部面と向かって言われた言葉ですが)、変わり者として受け入れられていたのかもしれません。もともと変わり者の私がいじめられっ子と仲良くしていても、あまり関係なかったのかも。まあでも、その後結局別の友達に無視されるんですけどね。もしかしたら、「ふーん。」と言った友達と、いきなり無視しだした子とで、私のそういうところが「調子に乗っている」と陰で言われて無視に繋がっていったのかもしれませんが。
本当、女子って怖いですねー。
「もずきちゃんを助けられなかったこと」
これは、私の心に後悔として深く刻まれる傷となって残ってしまいました。
(実は、この話には後日談があるのですが、その話はまた今度・・・。)
トラウマ③ー「スパイ」になっちゃった!
私の通っていた小学校では、女の子が活発で、女子グループがいくつかできており、中心グループの女の子たちが仲間割れを起こすこともしばしば。
皆と仲良くしたかった私は、グループが分裂したときにどうしたら良いのかわからず、どちらにも良い顔をしてしまいました。どちらの主張も聞いて、どちらにもお互いの主張を伝えて…。
特に、「調子に乗っている」という(今考えると)意味不明な理由で一人ぼっちにハブられてしまった子に同情していたのですが、そんなことも言えず。本当にどちらにも良い顔をしてしまっていたのです。
クラスの中心に居るような女子たちの大がかりな喧嘩だったので、部活の先生たちが異変に気が付き、仲裁をして、女の子を意味不明にハブったグループの女子達が罰を受け、仲直りという形でもとの鞘に収まったのですが、私もいじめっ子の側にも良い顔をしていたのに罰を受ける時に呼ばれなかった事がいじめられていた子にとって本当に良かったのかわからず心に刺さったのと、仲直りしたあとにどう顔を合わせて良いのかわからなかったのとで、そのグループに近づきづらくなってしまいました。
そんなある日、クラスの女子の皆で更衣室で着替えてるときに、ケロっと仲良くなった女の子達のうち、いじめた側のリーダー的な子に「キュウって、あの喧嘩の時スパイだったよね」と言われて、ものすごいショックを受けました。
あ、私って実は一番の悪者だったんだ
悪気はなかったけど、そう受け取られても仕方がない行動をしたんだ…
そう思うと、皆に合わせる顔が無くて、私は自分から皆を避けるようになってしまって。結局居場所が無くなりました。
その頃からパソコンが家にあったうえに、扱うのがちょっと得意だった私は、ネットでYA○OO知恵袋等を見て、人間関係の悩みの分類のところから似たような状況になった質問者の投稿を見つけては、その回答でコメントしてる人たちの厳しい意見を見て自分を攻める理由をたくさんたくさん心に吸収してしまい、結果的に、人の揉め事や相談事等に積極的に関わることが怖くなっていきました。
「無意識にでも人を傷つけたくない」
という思いが、私の心をますます臆病にしていきました。
「キュウって、あの喧嘩の時スパイだったよね」
スパイと呼ばれてから時はかなり経ってますが、たった一度言われただけのその言葉は、未だに消えない心の傷として深く深く心に残っています。
ココトモで思い切って相談メンバーになることができずにいるのも、きっとこのトラウマを心のどこかで未だに引きずっているからなんだろうなー。でも、これからはすこしずつそういう殻を破っていきたいと思っているので、その時は応援してくださいね。笑
トラウマ④ーいじめに加わっちゃった!
小学校六年生のある日の放課後。帰宅すると、友達から一本の電話がかかってきました。
友人「もしもし、キュウ??いきなりでごめんだけど、明日、全身黒い服で来てくれない??」
私「・・・え?なんで??」
友人「いいからいいから!!明日絶対全身黒で来てね!じゃあね!!」
ガチャ。ツーツーツー
私「・・・なんで???」
訳も分からないまま、「明日ってなんかイベントでもあったっけー?」なんてのんきな事を思いつつ、明日のために黒っぽい服を探して用意した私。
次の日黒い服で登校してみると、数人を除いてクラスの女子のほぼ全員が黒い服を来ていました。黒い服じゃないのは、あまり目立たない小数グループの三人と、中心グループで皆と仲良くしているはずの子が一人。小数グループの三人は誰も彼女たちの家の番号なんて知らないだろうし黒い服じゃないのは普通だとして、中心グループで皆と仲良くしていたはずの子が黒じゃないのは何か違和感ですよね。
そうです。次のいじめはその子が標的でした。
彼女は、私に「キュウにも電話がかかってきたの?」と聞いた後、「うん、あなたは?」と聞いた私を見て、泣きそうな顔をしながら階段を降りて行きました。
その途端、私は自分が今言ったこと、したことの意味を理解して、サーっと青ざめました。そう、私は黒い服を着て登校することで、知らない間にいじめっ子側の仲間になってしまっていたのでした。
いじめになるってわかっていたら、絶対黒い服なんて着てこなかったのに・・・!あの子は、理由を言ったら私が参加しないだろうということを見越してああいう電話をかけてきたのか・・・!!なるほどな・・・!!怒
自分がいじめに加担していたと知ると同時に、電話した子が私に黒い服の理由を告げなかった「ワケ」を理解して、なんというか、怒りがこみ上げてきました。
放課後、皆で正座して先生に怒られました。でも、私は正直いじめの内容なんて知らないし、いじめたくなかったし、正直いじめられた子の方が好きだったので、怒られてる間中ずっとイライラモヤモヤしてました。
怒られている最中、先生が放送で呼び出されて、怒られている中から誰か一人お使いに行ってと頼まれたとき、私がそのお使いに行かされることになったのですが、そのとき後ろからコソッと聞こえた声が「まあ、キュウはこのいじめに一番関係ないしね。」でした。
関係ないなら電話すんなよ!!怒
・・・すみませんね、思い出したらまた怒りが 汗
とにかく、そうやって「知らない間にいじめに加わる」ことは二度と御免だと思えばおもうほど、付き合う人間を注意深く選ぶようになって、やはり人に対して恐怖心が強くなっていくんですよね。特に、当時のクラスの中心グループの女子は「ザ・可愛い女の子」という見た目の子が多かったので、無意識のうちに可愛い・オシャレな女の子をみると警戒心が高まるようになってしまいました。
今でもまだ、可愛い女の子は苦手です。(ごめんなさい、偏見なのはわかってます。)
でも、この間、見た目超可愛いのに心もとても素敵な女の子に出会ったので、その子が私のこのトラウマを払拭してくれるキッカケになるのではないかなあーなんて。笑
人との出会いって、本当に素敵ですね!!笑
トラウマ⑤ー浪人時代に傷つけた友達
時は飛んで、予備校時代。一緒に浪人していた、同い年の女の子がいました。
その子は、ザ・女の子!という感じの印象で、彼女は人間関係に器用なタイプでした。それは、劣等感に弱い私が苦手とする女の子でした。苦手だけど、付き合わなくちゃいけない。でも、うまく付き合えない。そして、私が知ったかぶりをしたりと態度も悪かったので、その子は私の態度のことで傷付いたと私に打ち明けてくれました。
その時、私はどうしたらいいのかわからなかった。
その子は私の態度に傷付いてもよく頑張って耐えたなと思いました。でも、私は彼女が怖いのでなかなか態度を変えられない。避けてしまうし、関わろうとしても不器用にしか関わることができない。
申し訳なさでいっぱいでした。
こんな自分に関わろうとしてくれる彼女に嫉妬さえしていました。わたしにもあの心の広さがあったなら…という妬みの気持ち。彼女のようになりたかった自分と、それに向いていない自分。自分にがっかりした浪人時代。受験という特殊な環境も悪い方に影響して、わたしは過度にストレスを受けて行きました。
彼女たちに映るわたしの姿は、ただの最低野郎だったと思います。成績も悪い癖に挨拶もろくにできない、話もあまりしない、優しくできない、彼女に笑いかけることさえも…。知ったかぶりで態度も偉そうだったと思うので、わたしは本当にクソ野郎でした。
そんな、うまくいかない人間関係の中で、一人ぼっちの仲間はずれになるのにそんなに時間はかからず、わたしは孤立していきました。
「勉強するなら、友達は必要ない」
いつの間にかそう自分に言い聞かせながらも、心のどこかでは「あの子みたいに友達がたくさんいたらいいのに」という寂しい気持ちと、自分への絶望感、みじめさ。
そんな自分の性格が大嫌いだったし、蔑まれて当然と思いました。わたしならこんなわたしみたいな人と友達になりたくない。そう思いながら過ごした2年間。勉強(…といっても、美大受験なので絵の勉強だったのですが)に集中して取り組むことができず、とうとう夢を諦めてしまった日。滑り止めに入学することを決めたわたしの心は晴れやかでした。
「ああ、わたしには向いてなかったんだ、他人との競争に勝ち上がりながら、人間関係をうまく保つことに、わたしは向いてなかったんだなあ。。」
そうして入学した専門学校でも、わたしはまた苦しむことになるのですが。
レベルの高い専門学校へ入学したので、周りとの競争を過度に意識してしまって、結局「他人との競争」に耐えられず、心は少しずつ壊れて行きました。
居場所を求め「友達」を必死に探し、いつも一緒にいるように頑張るも、恐怖の気持ちは拭えない。心が開けない、安心できない。いつも「嫌われるのではないか」という恐怖におびえる毎日。
「わたしの作品レベルが低いから笑われている」
「本当は皆わたしなんかと一緒には居たくないんだ」
「わたしなんて本当はどこにも必要ないんだ」
毎日友達といるはずなのに、そういう思いが膨らんでいく幸せじゃない日々。怯える毎日。晴れてても灰色にしか見えない空。
友達はいっぱいいたけど、心のそこから信じられる人は一人もいない状況でした。友達はいっぱいいたのに、心は空っぽで孤独だった。
そんな時にいじめられたので、きっと心が爆発したのでしょう。わたしは自ら命を断つ決心を固めてしまいました。(この話も、いつか、どこかで詳しく書けるかな。)
トラウマが私に与えたもの
…と、まあ、重たい話になってしまいましたが、ここまでがわたしのトラウマのお話。そのトラウマが私に与えた影響についても少しお話してから、今年最後のお別れをしようと思います。
日記が書けない
人を信じるのが怖くなっていくと、誰にも心のうちなんてさらけ出せないですよね。わたしは日記にすら正直な気持ちを書くことができないほど、人に対して臆病になりました。
多分、学校で誰かが席を立ってる間に勝手にノートを見たりする子が多かったからなんだと思います。自分の知らない内に、自分の本当の心の内を誰かに知られることは、本当に怖いことでした。
当時、親から日記帳を買ってもらった事があるのですが、そこには、誰かにこっそり見られても大丈夫な内容を作り出すような感じで日常を書いていました。「○○が楽しかった(誰も傷つけないように全部楽しかったことにする)」「誰々(女友達)が○○だから好き(本当はそんなこと思えなくても、好きでいなければならないと言う気持ちで文字にして自分に言い聞かせる)」「○○が××だった(出来事のみなので誰も傷つけない)」みたいな、当たり障りの無いことばかり書いていました。
では、なぜそんな私がこのような心の内暴露ブログ(笑)を書けるようになったのか。それは、ある本との出会いがキッカケでした。
その本は「アンネの日記」です。(読んでみたい方は図書館へGO!笑)
アンネの日記を読んで、アンネ・フランクが、日記を相手に自分の事をすべてさらけ出しているのを目の当たりにして、「自分もこうなりたい!!」と思ったのがきっかけで、本音を文字にしてさらけ出す練習を始めました。最初は、主観的に物事を見ることに対するものすごい罪悪感と抵抗感に負けて、結局いつもの”ご機嫌うかがい日記”を書いてしまう結果に終わることが多かったのですが、鍵付きの日記を買ってみたり、引き出しの奥の誰にも勝手に開けられないような場所に日記をかくしておいたりできるようになってからは、少しずつ日記に心の内をさらけ出せるようになって行きました。
でも、「本当に私がこんなことを思ってていいのかわからない」「私がこの気持ちを文字にすることで、傷つく人が居たらどうしよう」「人に知られたら怖い」という気持ちは相変わらず拭うことができなくて、ビクビクしながら書いていたので、ことあるごとに不安定になって、全部捨ててしまったりしました。捨てたら誰も読めませんからね(笑)
きっと今も、ライターチームの皆が「大丈夫」と背中を押してくれなければ、不安で押しつぶされてしまって、いきなり記事を消したりするのかもしれません。この恐怖心が、いつか、自分で処理できるようになれるといいな。
恐怖の気持ちはなかなかしぶといです。笑
女の子と話せない
私は、前回のブログをお読みいただくとわかる通り男性と話すのがとても怖いのですが、今回のブログを読んでお分かり頂いた通り、女の子と話すのも怖いです。(じゃあ誰なら怖くないんだって話になるかと思いますが、子供なら怖くないです。なので、キュウは子供がだーーーーいすき!!です!(その話もまた今度!笑))
女の子と話そうとすると、「陰口を叩かれるのではないか」「いじめられるんじゃないか」「笑い者にされるんじゃないか」「私がクズみたいな人間だと証明されてしまうんじゃないか」などなど、いろいろな恐怖が襲ってきます。だいたい初対面だと、怖くて目も合わせられず、可愛い女の子だと、なおさら話しにくくなってしまう・・・(恋ではありませんよ!!私は異性愛者の女ですからね!!笑)
実際、最近も、ある女の子が直感的に怖く感じてしまって、避けてしまったため関係がうまくいかなくなっていたことがありました。さすがにやばいと思って積極的に近づくように努力したら、かなり関係は改善しましたが、まだ怖い気持ちは残っているし、まだまだ回復したとは言えません。こういうところを直さないと、これから先苦労するなーと思います。
でも、怖いと思ってしまう理由って、きっとひとつじゃないんですよ。今回書いたこと以外でも、自分がまだ気がついていない理由がたくさんあるはずで。男の人へのトラウマは、以前のブログで振り返ったり、病院のカウンセラーにたくさんお話を聞いてもらったりして治療が進んできているので、回復しているのが感じられるのですが、女の子へのトラウマは原因が全部はわからない上、病院にもまだ話したことがないので、終わりが見えなくて苦しいです。
ブログにするまではなぜ女の子が怖いかなんて考えたこともなくて、誰かに話すなんて発想がなかったので、この機会に病院のカウンセラーさんにも話してみようかな・・・。
まだまだ、克服への道のりは長そうです。
思考が停止する
これは、共感してくださる方がいらっしゃるかどうかわからないのですが、私は自分が相手との会話で何かしら「失敗した」と感じると、どうしたらいいのかわからず一瞬で脳内パニックを起こし、返事ができなくなることがあります。
「キュウって、都合が悪くなると無視するよね」
と言われて、はじめて自覚しました。
確かに、わたしには、返事に困った時に脳内パニックになって黙る癖があります。返事を考えている間に、相手はが空気を読んで(?)会話を別の方へ持って行ってしまうので、結果的に無視したことになってしまうのかもしれません。この癖がどうやって治るのかもわかりません。
無視しようと思って無視しているわけでもなく、頭では答えを必死に探しているだけなのですが…。それは無視だ、と言われて、なかなかショックでした。
どうしたら治るんだろうな。ちなみに、頭の中で考えていることは、どう返事したら相手を傷つけないかとか、自分はいつそんなことを言われるようなことをしたのかなとか、どうしようとかそんなことです。
今度病院に相談してみよう。
おわりに
今回のブログは克服の真っ最中のお話しなので、全くいい言葉で締めることができないのですが、一つだけ言えることは、
「わたしは諦めない」
ということです。
たとえ、つらい過去があって、今苦しい思いをしていたとしても、それは絶対に「永続するもの」ではありません。
例えば、中学一年生の時に過敏性腸症候群にかかったとき、病院の先生に「治らない」と言われてから8年、今では全く気にならないほどに回復してるし、「治った」と言ってもいいんじゃないかと思えるくらい、症状には困ってないんです。それは、毎日少しずつでも治ろうと努力したからだと思っているし、そうやって努力できたのは、
わたしは絶対に治る!!
と心の底から信じていたからなんです。病院の先生に「治らない」と言われても、この心だけはブレませんでした。根拠はなかったけど。
逆に、大学受験の時には「わたしみたいな奴はどうせ落ちる」という考えが最後まで拭いきれずに努力の邪魔をしてしまった結果、本当に落ちました。
綺麗事だと思われてもいいです。バカな人だと思われてもいいし、どうせ無理だと言われたっていい。ただ、わたしはわたしがトラウマを克服できるって絶対に信じ続けるし、克服するために努力し続けます。だって、絶対絶対克服したいから。
努力って、いつも自分の望む方向に実るとは限らないですが、いつの間にか何かしらの方向に素敵な実を実らせているものだと思うから、どんな努力も無駄ではないんだよって、わたしは思います。
以上、ライターエディターチームのキュウでした!
皆様、良いお年を〜!!!
- ココトモ「ライター・エディターチーム」とは
- 『ココトモのサイトに検索で訪れてくれる人を増やすこと!』を目的として、ブログの書き方~効果測定方法までみんなで勉強しながらブログを書くチーム。日ごろよりココトモに来てくださっている皆さまにとってもきっと良いブログをお届けできると思いますので、どうぞお楽しみに☆
⇒ライター・エディターチームの詳細はこちら
- ココトモInstagramはじめました♪
-
このたび、ココトモの取り組みや想いを発信するInstagramをはじめました。ココトモメンバーたちが試行錯誤しながら運用してくれているので、ぜひ応援&フォローいただけると嬉しいです(*´`)
Instagramはこちら